言語情報ブログ 語学教育を考える

「『英語教育』誌(大修館書店)批評」(その5)(“引き算”の授業)

Posted on 2014年1月17日

(1)「英語教育」誌(大修館書店)の2014年2月号の特集は、「“引き算”の授業改善で指導にゆとりを」です。私はこれを見た時に、「新しい指導法が生まれたのか?」と疑問を感じて、「それは“ゆとり”を生み出す魔法のような方法かも知れない」と思ってしまいました。

 

(2)目次の解説には、指導手順を見直して家庭学習などを通して、「本当に必要なことだけに絞る“引き算”の目線で授業改善を」という趣旨のことが書いてあります。それでも私には理解しにくい点が残りました。私だったら、「自分の授業手順をよく見直して、本当に必要なこととムダなことを見分けましょう」とでも言いたいところです。

 

(3)最初の記事は、太田 洋(駒沢女子大)「『引き算』目線で授業を見直す」で、若い頃に ALT から、「よく働くね」とか、「がんばるね」とか言われたことを紹介して、「先生ががんばる授業」から「生徒ががんばる授業」への転換を説いています。この“ねらい”は私にも分かります。

 

(4)私の記憶では40年ほど前にも、「先生中心から、生徒中心の授業へ」といったことが言われたことがあります。そして、“教授法”よりも“指導法”という言い方が優勢になりました。例えば、パーマー式の Oral Introduction (口頭導入)をする場合は、先生の独擅場になることが多く、生徒はもっぱら聞き役になりがちでした。太田氏もこの点に触れて、「場面を示す程度に留めて、内容につて質問をしてから後は生徒に教科書を読ませてはどうか」と提案しています。私もこの点は賛成です。

 

(5)2番目の記事は、畠山 喜彦(一関工業高等専門学校)「引き算でできたゆとりはこう使おう!――ゆとりを活用した授業デザイン」です。「ゆとりの活用」の例としては、「生徒とのインタラクション」「音読活動」「リスニング活動」などを挙げています。私はこれらにも反対ではありませんが、「平常の授業からゆとりを生みだすことは、そんなに簡単なのだろうか?」という疑念を払しょく出来ませんでした。中学でも高校でも、「教科書を終えることが難しい」という声をよく聞くからです。

 

(6)今回の特集では、11編の記事がありますから、全部を批評・紹介することは出来ませんので割愛させてもらいますが、「“現状分析”と“問題点の指摘”が欠けているのではないか」という疑問がどうしても残りました。そして、出来るならば、こういう特集では、中学、高校、中高一貫校それぞれの場合のように対象を分けてもらえると有難いと思いました。

 

(7)この号の「英語教育時評」は、森住 衛氏(桜美林大)の担当で、私が上記で指摘したような問題点が見事に論じられています。すなわち、「朝日新聞」の英語教育に関する記事を引用しながら、ご自分の賛否の態度を明確にしているのです。「ことばの学習は、“そのまま覚える”という受け身の要素を抜きにしてはならない」ことも指摘しています。学習段階では、理屈ばかり言っていては能率が悪いのは確かですが、森住氏の主張は生徒の目線を無視しろという意味ではなく、世間の英語教育に対する批判には、英語教師が答えるべきだということも述べています。

 

(8)こうした問題点の議論は、森住氏が担当している英語教育関係の授業で、学生相手に実践しているとのことですから、説得力があると思います。今回でこの欄の担当は最後だそうですが、もっと続けてもらいたいと私は思いました。英語教育を非難する声の中には、“個人差”とか、“個人の努力”といった視点が欠けていることがありがちです。したがって、もっと個人指導が徹底出来るような文部行政側の実践を強く望みたいですし、「英語教育」誌にも、このような視点からの特集をしてほしいと要望して終わることにします。(この回終り)

Comments (0) Trackbacks (0)

Sorry, the comment form is closed at this time.

Trackbacks are disabled.