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「『英語教育』誌(大修館書店)批評」(その10)(“デキる指導”と“残念な指導”)

Posted on 2014年6月16日

(1)「英語教育」誌(大修館書店)の2014年7月号の特集は、第1が「『デキる』指導と『残念な』指導Q&A―SLA研究の成果から」となっています。私がまず疑問に思ったのは、“デキる指導”と“残念な指導”とは、対立する概念が明確ではないのではないか、という点です。例えば、“失敗した指導”と“成功した指導”なら対立がはっきりするでしょう。“デキる”という表記も私には違和感があります。

 

(2)7月号の表紙には、「理想と現実を見据えつつ、英語学習・指導の『常識』をいま一度検証する」とあって、「第2言語習得研究は実践に役立つのか/ リスニング/ スピーキング/ リーディング/ ライティング/ 文法/ 語彙/ タスク/ 評価/ 授業全般」と書いてあります。「こんなに欲張って大丈夫かな?」という不安がよぎりました。“英語の勉強方法の常識”といったものが、英語教員によって共通に認識されているものとは思えないからです。

 

(3)最初の記事は、鈴木 渉(宮城教育大)「[概論] 第2言語習得研究は実践に役立つのか」です。“概論”とは言いながら、結構具体的な例を示していますが、私にはその例文がとても稚拙なものに思えました。例えば、“今年の正月に行ったこと”の文章は、I went to my grandparents’ home. I mailed New Year’s cards, I made a new year’s resolution. I went to the shrine.となっています。こんな英文を聞かされたり、読まされたりする生徒に同情せざるを得ないと思いました。

 

(4)浜田 陽(秋田大学教育推進総合センター)「[リスニング] 音をしっかり『捕球』しよう」は、指導に自信のない教員の質問を想定して、その回答に解説を加えています(この形式は、以下の記事に共通です)。想定している英語教員のレベルから考えて、bottom-up skills, top-down skills, shadowing なども説明する必要があるのではないか、と私は思いました。

 

(5)佐藤 匡俊(Andres Bello 大)「[スピーキング] 限られた時間内にスピーキング能力を伸ばすには」では、質問1として、「グループワークにおいて全員が英語で参加するような指導方法はありますか?」とあって、「ロールプレイ用の台本を渡す」は不正解、「一人一人に役割を与える」は正解になっています。センター入試のように、“正解は1つだけ” といった姿勢は問題だと思います。台本を渡して音読の練習をして、“暗唱できる段階”から、“応用の段階”へと進む方法だって間違っていないと思うからです。

 

(6)中西 弘(東北学院大)「[リーディング] 記憶容量を効率よく使うための読解指導」は、書いてあることは具体的で参考にはなりますが、“読解指導”に関してはこれまでも様々な議論がなされてきました。私は読解力の向上には、「学習者が自己努力によって、出来るだけ多くの英文に、耳から、また目から触れるようにする以外に方法は無い」と考えています。そして学校の授業が“自己努力”を援助するものであることは望ましいことでしょう。中西氏の示す方法が間違いとは言いませんが、他の研究成果を示されても、「第2言語習得論」との関係は私にはよく分かりません。

 

(7)残りの6編は、「ライティング」「文法」「語彙」「タスク」「評価」「授業全般」と題したもので、特集の「SLA の研究成果から」という視点からはかなり離れてしまっています。これまでも繰り返された指導法上の問題点だと思いますので、執筆者には失礼ながら、私のコメントは割愛させてもらいます。

 

(8)特集の第2は、「英語外部試験の実態に迫る」ですが、本シリーズの最終回とのことで、“外部試験”が教室の指導法に与える影響を論じる記事が2編あります。これまでも、“入試問題とその指導法”については数多く論じられてきたと思いますが、「教室の英語指導は入試のためにのみあるのか」と私は疑問に思ってきました。2編の記事は、安河内 哲也(東進ビジネススクール)と根岸 雅史(東京外大)によるもので、問題点の指摘や指導方法の在り方には異論はありませんが、私には、“本末転倒ではないか”という意識が拭えないのです。(この回終り)

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