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日本語は悪魔の言葉か?(1)

Posted on 2014年6月20日

日本は戦争に負けて、新憲法を初め、あらゆる改革を戦勝国、特にアメリカに押しつけられた。日本人を好戦的な、軍国主義の民族にしないために教育改革こそ大事だとされ、教育使節団がアメリカから派遣された。

 

その報告書は、敗戦の翌年、1946年4月7日にマッカーサーの声明を付して公表された。それを読むと、勧告は指示とか命令とかいった形ではなくて、日本人が自ら考え、討議し、判断し、新しい日本を創り上げていってほしいとの立場を取っているふうであった。

 

中でも日本語をどうするかは相当議論があり、裏では、難しい文字を使い、学習効率が悪く、世界とのコミュニケーションがうまくできず、軍国主義につながった元凶として、日本語を「悪魔のことば」と呼んだ委員もいたと言われる。

 

日本の国語の改革には極めて積極的で、何らかのローマ字表記は当然で、漢字制限 → 漢字撤廃 → ローマ字表記へのコースをどう進めるか、これを日本政府の実行力に期待するとしている。

 

われわれ日本人の中にも、日本語は極めて特殊な、変わった言語で、できうれば国語を変えてしまった方がいいなどといった意見も歴史上何度となく出ているのはご承知の通り。

 

ほんとうに日本語は特殊な言語で、効率が悪いのか。特に文字、漢字は日本人の学習を大いに妨げているのか。少しばかりこれらの点を考えてみたい。

 

1.言語学的にみると、日本語はごく普通の言語だ。

 

世界には5,000とも7,000とも言われる言語が存在する。その中の1,500ほどの言語を調べた研究者によると、英語の S+V+O のように動詞が前にくる言語32%に比べて、日本語のように動詞が文尾にくる言語は47%で多い。

 

英語のように語順によって意味が決まる言語も多いが、日本語のように、助詞などの接辞をつけることによって文中の要素を決め、語順は決め手としてはゆるい言語もたいへんに多い。このように独立の語に文法的な要素をつけていく「膠着語」は言語の大きな分類のひとつで、めずらしくはない。以上のように文法的に検討していくと、日本語はなんら特殊な言語ではないとの結論に達する。

 

2.語彙、文字、発音を見ると、極めて特殊な言語だ。

 

ところが、実際に使われている単語とその綴り、その発音を具体的に見てみると、まったくほかに例がない特殊な傾向に驚く。

 

日本語には同音異義語、すなわち、同じ発音で意味が違う語が極めて多い。世界の言語にその類例はまったくない。例えば、「しょう」を国語辞典で引くと、40個あるいはそれ以上の語が出ている。40もの違う漢字、あるいは書き方があるのだ。それもこのような同音異義語の組が、数千、数万と存在するのだ。

 

例えば、英語の世界ではほんの数組の同音異義語が存在したが、それぞれの組の一方が死滅する過程を辿るのが英語学の授業の一コマだったりする。

 

同音異義語が異常に多くても、日本人はほとんど気にしないし、間違いが起こることも少ない。まったく支障がないのだ。これは欧米の言語学では想像すらできないことだ。

 

ではどうして、5千もの言語の中で類例のない唯一の変わった言語だと言われるのか、日本語は?

 

3.音読みと訓読み

 

日本語には文字はなかった。おそらく奈良時代の少し前、中国から漢字を借りてきて、使い始める。

 

最初は「万葉仮名」と呼ばれる使い方で、音声1個に漢字1個を当てた。日本語の語の音にもっとも近い漢語の漢字1字を。例えば、「ヤマ」 → 夜麻、 「カワ」 → 可波、 「ハナ」 → 波奈、「ヤクモタツ」 → 夜久毛多都 (漢字の発音を借りただけで、漢語の意味はいっさい考えなかった。)

 

ひとつの音に1つの漢字をあてる。その漢字にはなんの意味ももたせないで、ただ音、発音だけを表した。これはどんなにか便利であったろう。書きつけておけば、いつまでも残ったから。忘れてしまったり、わからなくなったり、遠くの人に伝えられないといったことがなくなった。

 

ついで日本人は「音読み」「訓読み」を行った。漢字の中国語音(字音)をそのまま使う<音読み>と、さらに、その漢字の意味に対応する日本語にその漢字をあてた<訓読み>だ。例えば、山(サン)を見て、ああ、これは「ヤマ」のことじゃないか、と言って、「ヤマ」に「山」を当てた。だから、<訓読み>は中国語にはなかったものだ。

 

山 → (音)サン、(訓)ヤマ; 川 → (音)セン、(訓)カワ

花 → (音)カ、(訓)ハナ; 白 → (音)ハク、(訓)シロ

 

韓国語、ベトナム語、中国語の方言などでも一部訓読みを行ったが、日本語の場合は、大幅に、徹底的にこれを活用した。

 

4.漢語に大いに依存する。

 

中国の古典、書籍からどんどん単語を借りて、漢語に近い発音で読むと同時に訓読みの語も作っていった。

 

特に明治になって、西洋の書物を翻訳する際に、漢字を組み合わせて、際限なく、単語を作った。漢字とその意味が大事で、発音に気を向けることはなかった。同音異義語がほかにあって、迷うかも知れないなどと考える余裕はなかった。

 

そのことの功罪について言えば、罪も大きく、また、利点も大きかった。「功」については、まったく新しい技術、研究、処置などを表す単語をすぐに作ることができ、表面的にはその単語が理解しやすく、覚えやすかったこと。かなりの誤解はあったにしても、そのすそ野の広さゆえに医学も、工業技術もどんどん西欧に追いついていくことができた。

 

「罪」については、中国語にそのような漢字の組合せがあろうがなかろうが、お構いなしに、どんどん単語(字音語:主に漢字2字で、音読みをする単語)を作って、他の言語に比べて異常なまでに同音異義語の多い体系にしてしまったこと。この漢語(字音語)を読み書きする教育もたいへんである。ほかにもあるが、次の機会に譲りたい。

 

 (つづく)
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