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「『英語教育』誌(大修館書店)批評」(その18)(一緒につくろう! 新学期のよい習慣)

Posted on 2015年4月20日

(1)今回の特集の1つは、「一緒につくろう! 新学期のよい習慣」です。「一緒につくろう!」という呼びかけは、「生徒みんなが一緒になって」という意味だと思いますが、かなり曖昧です。「教員にも良い習慣がついていない者がいる」という皮肉のようにも取れます。いずれにしても、まず本文を読んでみることにします。

 

(2)最初は、田尻 悟郎(和歌山大)「4月の授業で何をするか」です。「目標を持たせる」「成績のつけ方を伝える」などの項目が示してありますが、前提としては反論すべきものではありません。しかし、一番大切なことは、前学年までの指導教員と違う教員が担当者になる場合でしょうから、教員の組織のことも問題にして欲しかったと思いました。これは学校によって違う結構やっかいな問題点です。

 

(3)稲岡 章代(賢明女子学園中・高)「英語で授業をどう始めるか」は、まず大切なこととして、4月にこそ「英語を楽しみながら、クラスコミュニティつくりをすること」を挙げています。

それも大切かも知れませんが、新しい中・高生を担当する場合は、「生徒一人一人の実力を知ることがまず必要でしょう。「英語は嫌いだ」と言うならば、「どうして嫌いになったのか」とか、「好きだ」と言うならば、「話すこと」「聞くこと」「読むこと」などを示して、「どういうことが、なぜ好きなのか、などを確かめる必要もあるでしょう。

 

(4)こういう時間のかかる予備調査が可能かどうか、無理であれば、その障害を除く方法を述べるべきでしょう。「英語で授業を進めること」をまず指導者がどう考えているかを示して欲しいと思いました。“英語の授業は英語で”という文科省の方針には反対意見もあるのですから、そのことにも言及してもらいたいのです。文科省の検定方針は、「公平であるべき」と主張しています。賛成意見だけを述べるのは公平ではないでしょう。

 

(5)最近は「コミュニケーション」がテレビのバラエティ番組でも話題になることがあります。用語の問題になると、広辞苑の定義が引用されることが多いようです。それは結構なことですが、「社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達」とあって、その手段となる方法についても述べてあります。英語を学び始めて5、6年程度の生徒に期待するには重すぎる課題ですから、英語教室で安易に“コミュニケーション”を口にするのは危険だと私は思います。

 

(6)中嶋 洋一(関西外語大)「『Bタイプの学習規律』で自立学習者を育てる」は、「集団の秩序(discipline)に必要なのは One for all, all for one.. の意識である」と書き出していますが、私にはよく分かりませんでした。“社会心理学”の分野のことであろうと推測しましたが、最後まで読んでも、具体的な説明はありません。最後には、「『B タイプの学習規律』はコラボで」とあって、ますます混乱しました。学術論文であればともかく、啓蒙的使命を持った『英語教育』という雑誌の記事としては相応しくないと思いました。本誌を手にして、勉強してみようかと思うような大学生でしたら、「こんな難解なことを知らないといけないのか」と諦めてしまうでしょう。本誌の売れ行きに関係する大問題です。

 

(7)教員の“活字ばなれ”が言われて久しくなりますが、英語教員が本誌を失えば、情報交換の手段を失うことになって、孤立無援の状態になるわけです。一方、特集以外には、有益な記事が沢山あって、本誌の価値は決して失われていません。特集記事でも、1ページの短いものは、具体的で有益だと思います。今回は、特に“特集”の在り方を編集部に再考して頂きたいと要望します。

 

(8)「特集の2」は、「授業研究まずはここから・1:教案の読み方・書き方」です。むしろこちらを「特集の1」にすべきだったと思います。なお、もうずいぶん以前から、“教育法より指導法”“教案よりも指導案”ということが言われて来ました。どうして昔に戻そうとするのでしょうか?自民党の菅官房長官も、「“粛々と”は上から目線だ」と言われて使用を止めました。辞書の定義とは関係なく、用語は使われる状況によって、感情的な要素が加わるものです。“教案”と“指導案”にも似たようなことが言えるのではないでしょうか?とにかく今回は、特集の在り方に関して、編集部に再考をお願いして終わりたいと思います。(この回終り)

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