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浅野:英語教育批評:「わからない」と言うこと

Posted on 2008年4月22日

 私が小学5年生のときは日米開戦の直前だったが、まだ学校には自由な雰囲気があった(先生の個性にもよることはずっと後でわかったが)。ある時「今日は先生が答えるから、何でも質問しなさい」と言われた。生徒の勝手な質問に先生が簡潔に次々と答えられるので、「先生って偉いんだなあ」と感心した。「おならはなぜ出るんですか」といった質問もあって、先生は説明のあと、「おならは他人には迷惑だが、身体のためにはしたほうがいいんだよ」と言われたのが印象に残っている。教室には笑い声も起こって、先生との距離がさらに近づいた感じがした。
 生徒の年齢にもよるが、先生も時には「先生もわからない」と正直に言ったほうがよい場合がある。例えば、「目的語は動詞の動作を受けるもの」と言われたって、break やeat の場合はわかるような気がするが、see the moonと look at the moonの違いになると説明しにくい。生徒には、「先生もよくわからない。我慢して英語を読んだり聞いたりしていくと、もう少しわかるようになるから」と言ったほうがよいだろう。
 ところで、福田首相は国会で「野党の言われることはよくわからない。私はかわいそうなくらい努力しているんですよ」といった趣旨の発言をした。これは戴けない。野党が政府のすることを批判したり、法案に反対したりするのは当たり前のことだ。「わからない」とぼやく暇があったら、「自分はこういう考えでこう提案する」と自分の意図を説明すべきだ。その結果は選挙や世論調査で明らかになる。首相のぼやきばかりを繰り返し放送する民放テレビも同罪だ。
 官房長官の発言もよくわからない。名古屋高裁の「自衛隊のイラク派遣は違憲」という判決に、「政府は考え方が違いますから」と無視する姿勢だった。ところが「聖火リレーでは中国からの警備員は断る。わが国は法治国家ですから」とも言う。こういう状態では、国民は無関心や批判から独裁者待望へと変化する恐れが多分にあると思う。
(浅 野 博)

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