言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野式辞典:「のうないめーかー」(脳内メーカー)

Posted on 2007年8月9日

中年男性:知ってるよ。脳が無いから、くだらない駄洒落ばかり作る人。「笑点」の木久蔵のことだ。
女高生:おじさんの頭こそ「無」という字がぎっしり並ぶよ。私なんか若いのに「熟」という字でいっぱいだよ。“熟年女”っていうことかな。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★

浅野:英語教育批評:言語教育の基本について

Posted on 2007年8月7日

 昔、筑波大で同僚のアメリカ人に「日本の学生にはもっと expository prose を読ませるべきだ」と言われたことがある。
“expository” というのはあまりなじみのない形容詞だが、元の名詞は”exposition”で、「説明、解説」ということだ。学生の書く英文は、
“I think this book is interesting.” とか
“Nikko is very beautiful.” といっただけのものが多く、具体性に欠け、説得力がない。もっと「説明文」を読んで、文章の構成を学ぶべきだというわけである。これは英語ばかりでなく、日本語の問題でもあろう。
 説明文ですぐ思いつくのは、機器の「使用の手引き」である。この素人向きの解説書の文章がわかりにくいことはかなり前から指摘されているが、城生伯太郎『日本人の日本語知らず』(アルク、1989)は、そういう問題を本格的に取り上げているものの1冊である。当時のビデオカメラの説明書を例に「わかりにくさ」の原因を追究している。
 文科系の人間は、理系の人間は理路整然とした考え方をするから、書く文章もそうだろうと思いがちである。理系の人はお互いに共通知識があるから通じるけれど、素人相手に明快な説明することには慣れていないのである。コンピュータの普及によって、説明すべきことはさらに多岐にわたるようになったが、用語の定義をしないで、ただカタカナ語にしているだけだから、さらにわかりにくくなった。付随の「ヘルプ」といった情報はほとんど役に立たない。英語学習の場合に英英辞典を引くと、その説明の単語がわからなくていらいらしたものだが、最近の英英辞典は、非常に改善されて、「説明用のことば」を特にやさしくしている。国語辞典はもっと見習うべきだ。
 要するに言語教育の基本としては、創造性とか独創性ばかりを強調するのではなく、「あたりまえ」のことがわかり、言えることをまず「あたりまえ」のことと考えたい。
(浅野 博)

浅野式辞典:「にぎりずしひゃっかん」(にぎり寿司百貫)

Posted on 2007年7月28日

 テレビではギャル曽根が「にぎり百貫」をぺろりと食べた。すし400キロ!いくら大食女でもそれはないだろう。すし通は「すし8貫」など数えるが、呉智英氏は個でよいものに「かん」などを使うのは愚劣だと言う。日本語は難しい。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★

浅野式辞典:「たいしょくかん」(大食漢)

Posted on 2007年7月27日

「漢」は「おとこ」だから、今は「痴漢」がよく使われる。だから「退職官」つまり「天下りした官僚」と思えばよい。大食のほうはもっぱら「ギャル曽根」だ。でも食料自給率40%の日本で、なぜこんな大食女が有名になるのかね。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★

浅野:英語教育批評:「書くこと」の指導に関連して

Posted on 2007年7月24日

 次は古い学習指導要領(英語)からの引用だが、当時は学年ごとの目標が示されていた。何年用の目標か見当がつくであろうか。
(ア)文を聞いて正しく書き取ること
(イ)書こうとする事柄を整理して、大事なことを落とさないように書くこと。
(ウ)書かれていることの内容を読み取って、それについて書くこと。
 これは昭和56年(1981) から実施された中学1年の「書くこと」の指導目標である。小学校での英語学習は前提とはされていなかったし、公立中学校における英語の「標準週3時間」がこの指導要領によって強制的(週4や週5を禁じる)力を持つようになったときである。しかし、私立中学校への強制力はなく、英語の時間数が多い私立学校への受験競争が激化したときでもある。検定教科書で使える単語数は900〜1,050語(現行は「900語程度」)で、第1学年での使用数は多くて 400語くらいである。これで、「書こうとする事柄を整理して、大事なことを落とさないように書くこと」など指導できるであろうか。2学期の終わりあたりで、次のように書けたら上出来であろう。
I have a brother.
His name is Taro.
He is five years old.
I like him very much.
 しかし、別な生徒は「私には姉がいて、ピアノがうまくて、私も姉のようにピアノをうまく弾けるようになりたい」と書きたいと思っても、「姉」「ピアノを弾く」「〜になりたい」は未習であるからお手上げである。そうすると「書こうとする事柄を整理して」というのは、「言いたくても言えないことは省いて」ということであり、「大事なことでも落として(書く)」ということになりがちである。
 そこで、初期の外国語学習では、「もっぱら基本文の暗記をさせよ」という主張が正当性を帯びてくる。Pattern Practice はその点かなり有効だった。それも捨て去り、現在は「コミュニケーション」重視で、「話すこと」の練習ばかりして、どういう力が生徒につくのかじっくり反省してみる必要があると思う。
(浅 野 博)