言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野式辞典:ぎそう(偽装)

Posted on 2008年7月24日

「この語の意味を説明せよ」の代表的答案3つ;
(1)欽ちゃんのやってる番組。にせ物なのにとても人気がある。
(2)ファッションショー。モデルはブスなんだけど、衣装と化粧でごまかしている。
(3)ある国の輸出用の衣類。原料は「絹」とか「ウール」とか書いてあるけれど、信用できない。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano's Japanese Dictionary of Current Word★★

浅野:英語教育批評:「英語教育」8月号(大修館書店)に思うこと

Posted on 2008年7月22日

 この号の特集は「英語教師のためのこだわりの旅」だ。私は「こだわり」という言い方はあまり好きではない。最近は「素材にこだわった料理」のように「良い意味」でも使われるが、本来は悪い意味のほうが強い言い方だ。旅行については、個人がどう“こだわりの旅”をしようとかまわないが、「英語教師はこのようにこだわった旅行記を参考にせよ」と言われると素直に受け取れない気がした。
 ことばの教師は、教材にどんな話題が扱われるかわからないから、広い知識と経験が必要なのは確かだ。しかし、一生をかけたとしても、学べることは限られている。だとしたらあまり細部にこだわらずに、広く浅い知識のほうが役に立つであろう、というような思いがあって、半信半疑でこの特集を読みだしたが、結構おもしろくて、役にも立つと感じた。何事も先入観で判断してはいけないとも反省した。
 例えば、紀伊半島の先端にある紀伊大島には、ペリー来航の62年も前に、アメリカ船が来航し、日本に通商を求めたという史実は、日本の教科書では無視されている(p35)とか、アメリカの4名の大統領の顔が巨大な岩山に彫られていて有名なマウント・ラシュモアについては、多くのネイティブ・アメリカンが侮辱的と感じていて、ネイティブ・アメリカンの大彫刻を作る計画が進行中である(p.13)、といった情報は英語教師には必要なものであろう。
戦後4,5年目で主に大学教授がガリオア資金などで留学し、帰国後よく報告会が開かれた。当時の日本人には珍しく、羨ましくもあるアメリカの話は興味をそそる点も少なくなかったが、こちらには地名もよくわからない風景の写真や、本人が世話になった人々の写真を次々と長時間見せられても、ほとんど印象に残らなかった。本人には懐かしさもあって、楽しいものであろうが見せられるほうはうんざりということがある。教室で生徒に自分の経験を話すときは、十分に注意をしたいものだとその頃から思ってきた。
(浅 野 博)

浅野:英語教育批評:「検定ばやり」に思うこと

Posted on 2008年6月4日

 世の中「検定」が大はやりだ。いくつあるのか数えたことはないが、単純に良いことだとも言えない。例えば、「eco 検定」というのもあるが、就職に有利だということ以外にどういう利点があるのだろうか。温暖化防止や物資の節約のためなら、人間一人ひとりが、適切な知識と判断力をもって実践しなければ効果はないであろう。指導員が必要かもしれないが、今の日本人の多くは指導員などに従わないのではないか。ゴミの分別をしない、不法投棄をするなどわがままし放題だ。
 英語教育についても同様だ。教員免許の更新制も必要かもしれないが、英語教員には、その他に TOEFL だ、TOEIC だ、英検だと、さまざまな英語力の資格が要求される。肝心な「授業力」というものは、定義も難しいし、検定もしにくいから、不問に付されがちだ。研究授業などで、1回の授業を観察すれば、「教え方のうまい先生」と「下手な先生」くらいの区別はつくが、「うまい先生」でも、長い期間そのような教え方をして、効果をあげているかどうかはわからないし、「下手な先生」でも、その後努力して改善を図ることもあり得るだろう。要するに、教育の実践に関しては短期間で結論を出すことはできないのだ。ましてや、英語力の検定に受かるための勉強に追われて、授業の手抜きをしているとしたら、まったく逆効果ではないか。
 現在、もっとも必要なのは「父母検定」というものではないか。結婚そのものは、年齢の制限や親権者の認可という条件がある。しかし、子どもを生む、つまり親になるというのは、結婚していれば当然のことと思われている。それなのに、子どもを虐待したり、殺したりと親と呼べない親が少なくない。
「親になる資格があるかどうかを検定試験で判定する」などと言うと、人権侵害と訴えられそうだが、もちろん、検定問題である得点以下の者には、子どもを生むことを許可しないほうがよいなどと本当に思っているわけではない。世の中が「検定、検定」と騒いでいるから、「もっと他にやるべきことがあるのではないですか」と問いたいのが本心である。
(浅 野 博)

浅野式辞典:「つかいまわし」(使い廻し)

Posted on 2008年5月24日

 国語辞典にもあまり出ていない用語だが、有名料亭がお客に出した料理の食べ残しを次のお客に出したことで、マスコミ用語となった。高校生にこの語を使って短文を作らせたら、意外とうまく使っていた。その代表例:
A:おれたちはカンニングペーパーを使い廻しする。
B:あの先生はいつも試験問題を使い廻しする。
C:お笑いタレントとは使い回しされて、姿を消す。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano's Japanese Dictionary of Current Word★★

浅野:英語教育批評:「やれやれ大変だな」(理科系教育と英語教育)

Posted on 2008年5月23日

 これは、「英語教育」(大修館書店)2008年6月号の特集を見たときの率直な感想である。英語教育には ESP (特別目的の英語教育) という分野があって、笹島茂氏(埼玉医科大学)は、この分野での研究を続けておられ、立派な研究レポートも出しておられる。私は、これは大学レベルのものだと漠然と考えていたが、「英語教育」誌の特集は「チャレンジ!理系英語」ということで、高校レベルでの実践を勧めるものだ。中高の英語教員は、英語力の他に、指導法、IT 関連の技能と知識、評価法など学ぶべきものが山ほどある。しかも、生活指導や保護者への対応などその任務は昔と比較にならないほど重い。だから「理系英語などやる余裕はない」とまで言うつもりはないが、「勉強しよう」とも言いにくい気がする。
 40年ほど前に開校した筑波大学では、1、2年の外国語は「一般外国語」と「専門外国語」があって、「専門外国語」は生物学、体育科学、文学などの教員が、その分野の論文や雑誌の記事を読む手ほどきをするもので、外国語の単位として認定されていた。「一般外国語」は、いわゆる語学の教員が基礎的な語学力を養うもので、購読ばかりでなく、ネイティブスピーカーの授業や LL授業もあった。
 私は、医学専攻の1年生のLL授業を担当したが、いろいろなトピックのある総合的なLL教材を使用した。その中には、「ビタミンの働き」とか「血液の話」などもあったが、授業のあとで一人の学生がやってきて、「今日のビタミンの話は、誤解を招く言い方がありましたよ」とのことだった。それで、どう書き換えたらよいかを次回までに示してくれるように頼んだことがある。教材の著者のネイティブスピーカーは、百科辞典の記事などをリライトしたのであろう。専門的なことをやさしく書くのはとても難しいと感じた。
 文系出身の英語教員が知るべきなのは、せいぜい英米の小学校2年生くらいまでの、算数や理科の英語であろう。こういう英語力が弱いことは認めるが、簡単に「高校の理系英語にチャレンジせよ」と私には言えない。
(浅 野 博)