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浅野式現代でたらめ用語辞典(再開その23)

Posted on 2013年9月27日

「おもてなし」

“2020年東京オリンピック”招致運動の最終プレゼンテーションで、元ニュースキャスターの滝川クリステルさんが、ジェスチャーと共に言った“おもてなし”が評判になりました。

 

耳の不自由な老人:「表通り?」うちも表通りに面しているが、最近は車がうるさくて閉めたままだよ。オリンピックの前に、車の排気ガスを何とかしてくれんかね。裏口の出入りは気がひけるよ。

 

中学生ギャル:うちの母ちゃんは、お客さんが見える日になると朝から大騒ぎ。「かたづけろ」、「掃除しろ」って私に当たるんだ。「おもてなし」なんて、普段から準備しておくもんだよね。

 

まじめ女子大生:「おもてなし」というのは、「心から歓迎する」という気持ちを形に表すことだと思います。私が昨年アメリカに留学して各地を旅行した時は、それぞれの地域に“ホスピタリティ・クラブ”(Hospitality Club)というものがあって、心のこもった歓迎をしてくれました。オリンピックの時だけ歓迎しても本当の“おもてなし”にはならないでしょう。(この回終り)

「『英語教育』誌(大修館書店)批評」(その1)

Posted on 2013年9月20日

(1)最初にお断りしますが、これまで私の「英語教育批評」を読んでいてくださった方は、タイトルが変わっていることに気づかれたことと思います。これまでは、「英語教育批評」ということで、“「英語教育」誌の批評”と“日英ことばのエッセー”のようなものが混在していました。今回からはこのブログは、「英語教育」誌(大修館書店)の批評となることをご了解ください。なお「浅野式現代でたらめ用語辞典」はこれまでのように続けます。

 

(2)「英語教育」誌(大修館書店)2013年10月号の特集は、「<正確さ>と<流暢さ>をどう培うか―インプット・アウトプットの両面から」となっています。この特集のタイトルを見て、私は40年以上前の英語教育関係の学会で行われたシンポジウムを思い出しました。テーマは、”Accuracy or Fluency?” (正確さか、それとも流暢さか?)でした。その時私は、”listening fluency” (聞くことの流暢さ)という用語があることを学びました。“流暢さ”という日本語はもっぱら“話すこと”に使われるのが普通だと思います。

 

(3)ところで、この特集の最初の記事は、和泉 伸一(上智大)「英語学習における<正確さ>と<流暢さ>の関係とは」で、“Bialystock の2次元モデル”というものを説明しながら、学習者のタイプやタスク負担の重要性などに言及しています。新しい理論の紹介としては、丁寧で分かりやすく書いてある論文だと思いますが、こういうものが最初にあると、後の特集記事を読むことを諦めてしまう読者も多いのではないかと私は心配になりました。

 

(4)次の記事は、金森 強(関東学院大)「<正確さ>と<流暢さ>を育む、段階に応じた音声指導」です。これなら、興味を感じて読んでみようとする読者は多いのではないでしょうか。続く記事も興味の感じられるテーマが多いので、編集者は記事の順番にも十分な配慮をしてもらいたいと思います。乳幼児の段階を過ぎてしまった日本人の英語学習者にとっては、英語の発音を英語話者のように身に付けることは大変に困難ですが、訓練の方法によっては可能な場合があります。その方法とは専門的な知識と指導力を持つ英語話者による集中訓練です。その好例は、先日の「2020年東京オリンピック招致」のための最終プレゼンテーションです。

 

(5)あれをテレビなどで見た多くの人は、「日本人の英語もかなりなものだ」と思ったようです。しかし、ほとんどのプレゼンターは質疑応答になると、日本語に切り替えてしまいました。私はこのあたりが日本人の英語力の限界だと思いました。しかし、内容のある英語の文章を英語話者にわかるように暗唱出来るということは英語学習の上では大切なステップの1つです。特に、どこを見ながらどのような身振りで語りかけるかは、日本人が身に付けるべき大切な要素だと思います。

 

(6)今回の特集の場合には、東京オリンピック招致のプレゼンテーションは間に合わなかったと思いますが、読者はあれを頭に描きながら特集の記事を読まれると、得られることが多いと考えます。ただし、安倍首相のように、福島原発の問題を尋ねられるのを予想して、あらかじめ用意した答弁をするのは、自然な問答とはとても言えません。コミュニケーションの基本は、“誠意のある対応をすること”だと思います。(この回終り)

浅野式現代でたらめ用語辞典(再開その22)

Posted on 2013年9月12日

「新アイフォン発売」

新アイフォン(iPhone 5c)がアップル社から発売されて、日本では“ドコモ”も発売に参入ということで、一部の人たちはいつ乗り換えるかと大騒ぎです。

 

知ったっかぶり老人:俺だって“フォン”が電話だっていうことくらい知っているぞ。“愛フォン”は、“恋人たちが愛をささやく電話”だよ。

 

中学生ギャル:母ちゃんに、私も新しいアイフォンが欲しいといったら、「スマートになりたいのは私だよ」だってさ。“スマホ”と間違えているんだ。遅れてるー!

 

まじめ大学生男子:今回のは色が豊富なので、女性は「何色がいいかしら」なんて騒いでいます。性能とは関係ありませんが、比較的安いのは僕みたいな貧乏学生には有難いです。記号のCは“安い (cheap)”のCではないかという議論もあるようです。私は、通話料をもっと安くして欲しいです。指紋登録も出来るようですが、この機能は前からあるのですが、面倒がって使わない人が多いようです。便利さばかり求めて人間はますます怠惰になっていくようです。(この回終り)

「英語教育批評」(その77)(気になる“発音”のこと)

Posted on 2013年8月28日

「ドラマの題名とアクセント」のこと

 

(1)「英語教育」の10月号が出るまでに少し時間がありますから、最近テレビで耳にする“発音”のことを書くことにします。発音について文字で論じるのは分かりにくいことになるとは思いますが、限界を意識しながらあえて書いてみます。

 

(2)現在のNHK の朝のテレビ小説「あまちゃん」が始まった頃、「この題名はどこにアクセントを置いて言えばいいのかしら?」と、「あまちゃん」に続く番組“あさイチ”のキャスターたちが話していました。英語と日本語ではアクセントの定義が少し違いますが、常識的な程度は広辞苑の説明でもわかりますから、関心のある方はそれをご覧になってください。

 

(3)“海女”(あま)は「ア」が強いですが、番組の題名(あまちゃん)の場合は、「マ」を強く言っているようです。アナウンサーとしては悩むのは当然かも知れません。しかもヒロインは、実際に“海女”になったり、アイドルになろうと努力したりしていますから、話の筋からは判断しにくいのです。「アマチャン」の「マ」を強く言うと、「甘ったれた人間、特に子供」を意味したりしますから厄介です。

 

(4)「少年H」という映画が8月10日に封切られて、大勢の観客を集めているようです。原作者は妹尾 河童(せのお・かっぱ)氏で、第2次大戦中から戦後の神戸を舞台に語られる庶民の生活を描写しています。私は映画をまだ見ていませんが、原作はかなり前に読んだことがあります。こういう映画の題名などは、「少年エッチ」ではなくて、「少年エイチ」と発音してもらいたいものです。アナウンサーの中にも、「エッチ」と読む人がいました。「エッチ」は「へんたい(変態)」のローマ字表記からから来た和製英語ですから、この映画の題名には相応しくありません。

 

「正確な日本語を話すこと」について

 

(1)以前に「極めて正確な日本語を話す人」の例として、TBSラジオに出演(月~金の22時から約3時間)している荻上チキ氏のことを書きました。相変わらずきちんとした日本語を話していますが、ある読者から、「女性ではそういう日本語を話す人はいないのでしょうか?」という質問を受けました。私の知る限られた範囲でのことですが、NHK の小野 文恵アナウンサーを挙げたいと思います。人気番組である「家族に乾杯!」や、「ためしてガッテン!」などの司会役をやっているアナウンサーです。派手さはありませんが、控え目で、しかも要点を的確に掴んだ発言をしていると思います。

 

(2)最近の民放は(この点ではNHKも似たような面がありますが)、相も変わらず「食べ歩き」の番組が多いですが、若い女性タレントやおばさんタレントたちが、鼻声で、「おいしい~」とか、「外はカリカリ、中はジューシー」などとうなっています。彼女たちの限られた語彙と表現力を耳にすると、日本語の将来も希望がないな~」と嘆きたくなります。テレビ番組の創造性の無さが、日本語の将来をダメにしていると思わざるを得ないのです。(この回終り)

「英語教育批評」(その76)(“リーディング”の再考)

Posted on 2013年8月15日

(1)「英語教育」(大修館書店)の2013年9月号の特集は、「『質・量充実』時代のリーディング指導をどうする?」となっています。私はまず、「『質・量充実』時代」とは何だろう」と疑問に思い、どこかのスーパーマーケットかファミレスの宣伝文句ではないかと、皮肉の1つも言いたくなりました。それとも、「質・量充実の時代であること」は英語教育では常識なのでしょうか?

 

(2)最初の記事は、卯城 祐司(筑波大)「英語リーディングの質と量―生徒は本当に英語を読んでいるのか?」で、センター試験や教科書の英文の量について、指導の仕方が予習などの勉強方法に影響することが大きいことを指摘しています。つまり「次の授業では20行しか進まないと分かれば、ほとんどの生徒がそこだけしか読んでこない」ということで、これなら私にも身に覚えがあることで、よく理解できます。その他の指摘も適切なものだと思います。

 

(3)2番目の記事は、大里 信子(東京学芸大附属小金井中)「教科書の理解を助ける効果的な補充教材」で、中学校での実践例を、文字の認識からパラグラフの理解、物語や説明文の読みへと段階を踏んで、丁寧に解説しています。分かりやすい実践例だと思います。そうした実践を阻む問題点にも言及してもらいたかった感じがします。

 

(4)本号の「特集」の文言をそのまま使った記事は、藤田 賢「三重県立神戸高校」「『質・量充実』時代のリーディング・テストで大切にしたいこと」ですが、最初に次のようなことを述べています。

「英語の書き物を受動的に摂取することが中心であった時代と違い、テキストの「量」が増大し、「質」が多様化しており、読んで理解したら終りではなく、読んだことに基づいて発信する必要がある」(p. 32)

 

(5)これを読んで私はやっとこの特集の意味が分かってきたような気がしました。しかし、「テキストの量が増大し…」というのは事実でしょうか。高校の英語の科目はしばしば改訂されますが、学習指導要領の姿勢が本質的に変わらない限り、教科書の分量が著しく増えることはまず考えられません。高校授業料の軽減措置もまだ不確定な要素が多い状態ですし、奨学金が多少増えても、教科書の分量とは関係ないことだと思います。

 

(6)「日本の中高生の多くは、高校、大学の受験勉強はよくするけれども、長い英文のテキストを読破するようなことは極めて少ない」とは、かなり以前から言われてきたことです。アメリカの高校生がレポートを書くのに何百ページもの資料を読むのに比べて、日本の教科書の貧弱さは過去も現在も大きな問題なのです。

 

(7)本号の「編集後記」を読みますと、上述のような英語教育に関する時代的な変遷を少し語っていますが、視点は“リーディング”にあることが分かります。それならば、「特集」のタイトルも、「グローバル化時代の英語教育で、リーディング教材の質を高め、量を増やすためにはどうすれば良いか?」くらいの言い方をしてもらったら、分かりやすかったのにと思います。「英語教育」誌の読者は、経験の浅い教員もいれば、全く経験のない英語教員希望者もいることを忘れないでもらいたいと思います。(この回終り)