言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野式辞典:「おじぎびと」(おじぎ人)

Posted on 2007年4月18日

 高校生に尋ねたら、「テレビカメラの前で、会社の悪かったことを謝る社長や重役のこと」と答えた。「工事現場の看板で謝っているおじさん」よりは正解に近いとも思うが、悪人にこんな優雅な呼び名はふさわしくないという気もする。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★

浅野:英語教育批評:教師たちのコンセンサス

Posted on 2007年4月17日

 政党に属する議員は、党議拘束に縛られることが多い。郵政民営化の場合には造反議員はひどい仕打ちにあった。しかし、与党がある政策や方針を実行に移す場合は、一致団結したほうが効果的なのは確かだ。そのためには、個々の違いは無視されるし、個人もそれは我慢しなければならない。一方では、「少数意見も尊重されなければならない」というのも民主主義の原則だと言うけれど、実際には守られない。「多数決」が絶対優勢だ。
 英語教師の場合は、「学習者に英語の力をつける」という共通意識はあっても、考え方は様々であるのがふつうだ。中・高では検定教科書を使用することが義務付けられているが、共通教材を使っていても、進度、教え方、宿題、テスト、評価などについて足並みを揃えようとすれば、相談しなければならないことが山ほどある。複数の教師がどこまで協調できるかで効果も大きく違ってくるのは確かだが、この協同作業は容易ではないようだ。
 ELEC(英語教育協議会)が、「英語展望」No. 114を創立50周年記念号として発行した。特集のタイトルは、「英語教育のナショナル・ストラテジー」だ。
「国家戦略」などは戦争を連想させるので私は好まないが、最近はなんでも誇張した表現が好まれるようだ。しかし、小学校の英語教育さえコンセンサスが得られないのに、国家政策として「英語の第2公用語化」など実現できるのかと思うが、「そんなことを言っているからダメなんだ。中国や韓国を見習え」といった声も聞こえてくる。現にこの号では、アジア諸国の言語政策に関する国家戦略が紹介されていて、日本が遅れをとっているのがわかる。
 「国家戦略のためには小異を捨てよ」となると、どうも馴染めないのは私が戦中派だからだろうか。でも、まとまりにくいのはむしろ若い世代ではないかとも思う。説得する側はわかりやすく、辛抱強く努力するよりないであろう。
(浅 野 博)

浅野式辞典:「しゅくしゅくと」(粛々と)

Posted on 2007年4月11日

 この漢字は読めないし、意味も知らない者が多い。「粛」は「静かに/ 厳しく」ということだ。でも大臣や議員が「しゅくしゅくと(議事を進める)」と言うときは「問題があるのはわかっているが、知らん顔をして」という意味だ。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★

浅野:英語教育批評:英語教育と「語用論」(その2)

Posted on 2007年4月9日

 「語用論」という名称は好きではない。「語用」は「誤用」に聞こえるし、内容もわかりにくい。初期に提案された「言語運用論」とか「言語実用論」のほうがまだましだ。それはともかく、大修館書店から注目すべき本が出ている。滝浦真人『日本の敬語論—ポライトネス理論からの再検討—』(2005) と井出祥子『わきまえの語用論』(2006) だ。両者とも著者長年の真摯な取り組みが感じられる。少し前には加藤重広『日本語語用論のしくみ』(研究社、2004)も出ていて、特に海外での研究の応用方法を具体的に示している。しかし、井出氏のものは、この二者の枠を越えようとする意図が見られ、日本語独自の視点からの解明に力を注いでいるように思える。
 くわしくはこれらの著書にあたってもらいたいが、教育現場の問題はもっと生々しい。ある学校では、教育実習生に「男生徒だけに『君』をつけるのは止めなさい。両方とも『さん』で呼びなさい」とか、女性の実習生には、「生徒の前では『女性ことば』は使わないようにしなさい」といった指導をすることがある。英語の場合は、「英語は民主的なことばだから、だれに対してもIや you だけを使うことをもっと強調しなさい」と言われる。これでは「日本語は民主的でない」ということを印象づけてしまわないか。実習生は疑問に思いながらも、単位を認定してもらえないと困るから、指導には従わざるを得ない。
 コトバというものは人間が長年にわたって創りあげてきたものなのに、人為的に変えよとするとうまくいかないのは確かだ。その政策上の問題点は、野村敏夫『国語政策の戦後史』(大修館書店、2006)に詳しいが、それでは、あるがままにほっておいてよいかというと、そうもいかない。4月4日の「天声人語」は、井上ひさしの日本語を犯人にしたてた劇に言及し、日本人は日本語の主語のないあいまいさを悪用して、戦争責任を逃れてきたという見解を紹介している。問題は単純ではない。
(浅 野 博)

浅野式辞典:「かけすて」(掛け捨て)

Posted on 2007年4月4日

 保険の宣伝で使われるが、意味がわからない人が多い。「マラソン選手がボトルを道端に捨てること」などと言う。確かに「駆け捨て」とも書ける。マラソンも「ボトル返還テーブル」を設けて、ポイ捨ては禁止したほうがよさそうだ。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★