言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野式辞典:「げーむのう」(ゲーム脳)

Posted on 2007年3月7日

 「ゲームばかりやっていて、バカになった頭」のことで、こうなると特に道徳的常識に欠けるそうだ。これには科学的根拠がないと反論もある。しかし、ゲームに関係あろうとなかろうと、すでに道徳的常識など持たないのが今の日本人だ。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★

浅野:英語教育批評:「格差」で考えたこと

Posted on 2007年3月5日

 「格差」は「所得格差」「賃金の格差」のように使われる用語だが、今は社会の様々な「差」を指すことが多い。教育の場では、「個人差」「能力差」のように「差」が使われる。かなり以前に当時の文部省は「学力別」や「能力別」を避けて、テスト結果などによるクラス分けを「習熟度別」と呼んだ。言い方を変えても「学力差」の存在は認めざるを得ないのだ。
 安倍首相は「格差の有無を論じることは意味がない」と言う。「まじめに努力する人と怠けて努力しない人とで差が生じるのは当然だ」と考えているからだ。これは競争が原理の自由主義経済を政策とする以上は自然なことだ。19世紀には、こういう政策を否定するマルクス主義やアナキズムが生まれた。完全な自由や平等を前提とする思想だ。日本も第二次大戦に負けてから、アメリカの「自由平等」に憧れてきた。
 しかし、「自由平等」は矛盾した概念だ。自由であれば平等ではないし、平等であれば自由はない。これは社会主義国が実証してくれた。アメリカの歴史自体もこの矛盾との戦いの歴史だ。第3代大統領のトマス・ジェファソン(1743−1826)は若くして独立宣言の起草に貢献したが、彼の思想の前提は “All men are created equal.”(すべての人間は平等に創られている)だった。この文の主語を “men and women” と言い換えたのは女性運動家のエリザベス・スタントン (1815−1902) だが、女性参政権は、1920年の憲法改定でやっと認められたのである。その他にも、先住民との軋轢や黒人差別の問題があって、建国の理想とは程遠い時代が20世紀後半まで続いたのである。そして現在は「帝国主義化」と批判されている。
 アメリカ史の題材は、キング牧師の演説以外には英語の検定教科書には見つけにくい。「英米一辺倒を廃し、国際性のある教材を」という声が強いからだ。これからも中・高生は、英語力もつかず、英米に関する知識も持たない状態が続くのであろうか。
(浅野 博)

浅野式辞典:「どんかんりょく」(鈍感力)

Posted on 2007年2月27日

 首相は「鈍感力」を持て、と忠告した人がいる。作家ならともかく、政治家が「鈍感力」などと言うべきではないが、「どんかん」は「トンチンカン」と同じで、鍛冶屋の槌音が合わないことに起因する。だとすれば、現内閣にはふさわしい用語だ。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★

浅野:英語教育批評:「そんなことは一言も言っていません」

Posted on 2007年2月26日

 これは安倍首相が、野党の質問に立腹してよく言うせりふだ。「ことば」の教師ならば、これは無理な言い訳だと気づくはずだ。「ことば」というものは、明示的に表現された以外のことは意味していないと考えるのは間違いだ。緒方孝文監訳『フロムキンの言語学 第7版』(トムソンラーニング、2006)には、「意味するのかしないのか」という一節があって、このあたりのことが勉強できる。
 比喩や隠喩ではなくても言い方で問題になることはよくある。「大企業への減税は続けます」と大臣が言えば、野党は「町工場の経営者は死ねと言うのか」とさえ言う。これに対して、「そんなことは一言も言っていません」と答えるわけだが、これは空しいやり取りだ。答弁する側には「説明責任」さえもよくわかっていない。
 前回紹介した『サミング・アップ』の中には次のような記述がある。

 イギリス人は政治好きな国民であるから、政治が最大の関心事であるようなパーティーに私もしばしば招待された。そこで出会った著名な政治家に際だった才能を見出すことは出来なかった。(p.10)

 そしてさらに、「弁舌の才というものが思考力を伴わないというのは、誰もが知るところである」とも述べている。日本では、「巧言令色鮮(すくな)し仁」(論語)ということが昔はよく言われたものだ。今は、一方的に言いさえすれば、それがコミュニケーションだと考える誤解が蔓延している。
 小川芳男先生が『話せるだけが英語じゃない』(サイマル出版会、1981)という本を出された時に、私はおこがましくも先生に、「この本は 10年早いですよ。英語が話せる生徒、学生はまだ少ないのですから」と申し上げたことがあった。先生は、「話せるようになったら、私の言うことなど聞かなくなるよ。むしろ、話せない生徒を指導している先生方に読んでもらいたいのだ」と言われた。このことでは、私は今でも自分の不明を恥じている。
(浅 野 博)

浅野式辞典:「いえでん」(家電)

Posted on 2007年2月22日

A:バカだなあ!「家電」は「かでん」と読むんだよ。テレビや洗濯機のことだ。
B:古いなあ!「かでん」と「いえでん」は違うよ。「ケータイ」ではない、「家にある電話」が「いえでん」だよ。
A:そんなに勝手に略すな。「家庭用電話」と言え!

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★