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浅野式辞典:「パワハラ」(パワハラ)

Posted on 2010年6月10日

 勤務先の上司などが権限を利用する“いじめ、”つまりパワーハラスメントの略語。セクハラほど知られていないが被害は深刻だ。例によっていくつかの声を集めてみると;
A:(巨人ファン)原監督のことだろう?パワーがあっていいね。応援しているよ。
B:(高校生ギャル)腹に力の入ったメタボのことね。私もやばいけど。
C:(高齢者)腹芸のこと?違う?ああ、首相の腹案だな。最近の新語にはついていけないね。

「青 春」の解釈 ― ウルマンの真の意図は? 1.はじめに

Posted on 2010年6月8日

 ウルマン記念館設立への日本人の対応は,漱石記念館の場合よりもすばやく,大袈裟なものだった。

 ロンドンの中心街から地下鉄ノーザン・ラインに乗り,テムズ川を超えて南下すると,間もなくクラッパム・コモン駅に着く。ここに漱石記念館がある。記念館から道路を隔てた向かい側の家に漱石は1901年7月から1年半ほど下宿した。5番目の下宿で,やっとここで落ち着いた。漱石は,この3階の5畳半ぐらいの天井が斜めになっている屋根裏部屋に籠って勉強し,あまり外へは出なかった。作家として立つ基盤がここで醸成されたといってよいであろう。

 1984年に恒松郁生氏がこの建物を買って漱石記念館にするというアイディアを持ったときに日本の財界も学会も何の支援もしなかった。日本の偉い文人が下宿したとのことで値がつり上がり,結局恒松氏は購入できず,向かい側の建物を買って,記念館とした。

 2003年3月に再度機会が訪れた。漱石が下宿した建物が売りに出たのだ。しかし,日本ではこれを買い取ろうという動きはまったくなかった。

 「青春」のウルマンの場合はまったく違っていた。引退して70代になってから詩を書き,その中のただ1つの詩「青春」が日本人に受けた無名の素人詩人に過ぎない。「青春」の作者がだれだかわからず,やっと探し当てて,そのかつての住まい,孫などが判明すると,日本の財界は,遺族を呼んで祝賀会を開き,青春の詩碑を建て,元の住まいを買い取って
記念館とし,青春の会を設立し,ウルマン賞を制定し,アラバマ大学に奨学基金を作り,青春の掛け軸,色紙,訳詩を刷り込んだテレホンカードを作るなど,など。松下幸之助,盛田昭夫など200名以上の財界人に中曽根康弘氏など政界人も加わって,資金は相当余ってしまったという。

このようなフィーバーぶりは,日本人における「青春」の少々ずれた解釈に基づいているのではないかと小生には思われてならない。
(村田 年)

3.青春の「なぞ」

Posted on 2010年6月5日

作山宗久氏によれば,現在書かれたものとして残っている原本の異本は9種だそうだ。しかし,いろいろな人が,挨拶文の中で,スピーチで,あらゆる機会に引用するので,無数のバリエーションがあると,アン・ランダーズもコラムの中で言っている。

マッカーサー元帥も,スピーチの中で,挨拶で,「青春」を引用しているが,強調の副詞を加えてみたり,1節の中ほどを省略したり,最後に自作の1行を加えたりしている。完全に暗誦している人が多く,朗読ではなかったので,よけいに形を変える率が高かったと言えよう。

1)ほんとうに岡田氏が訳したのか
日本で最も良く用いられているのは岡田義夫訳である。これは作者名も訳者名もなしで配られていたため,同じものが松永安左ェ門訳として出回ってもいる。電力王と言われた松永安左ェ門自身もたいへんに力を入れて,「青春」の普及に努めていた。

一説によれば,岡田氏が壁に貼っていたのは彼自身の訳ではなくて,写し取ったもので,森平三郎氏の勘違いで岡田訳になってしまった,松永氏は日常の手紙の文章が漢文調で,「青春」の訳文の中に松永氏の常套句がいくつかあると言っている人もいる。しかし,このへんはわからない。松永氏は「青春」を色紙の形で印刷し,1万部も送ったり,額に入れて飾ったりしている。最初は自作の訳であったが,やがて名訳である岡田訳を採用したとも受け取れる。現行の私たちが見るものはやはり岡田訳であろう。

2)John Lewis とはだれか
マッカーサーに改作版を送ったのは友人のJohn Lewis氏(コーネル大学教授)だと言われているが,作山氏の問い合わせに対して,リーダーズ・ダイジェスト社は再度調べたが,John Lewis という人物については何もわからないと答えているという。大学教授でもマッカーサーの同級生でもなく,単なるマッカーサーフアンなのかも知れない。

このJohn Lewis の改作版はいくつかの点で原本を誤解していて,それほどの人物によってなされたものとは思えない。ひとの口から口へと伝えられるうちに変えられた版のひとつかも知れない。

3)wireless(無線通信)が wires(有線通信)になった謎
これが最大の謎である。もとの詩には「無線」ということばが3回,代名詞 it によるものも入れれば4回も使われている。 a wireless station(無線通信局),it(無線通信局),the aerials(アンテナ), your aerials(あなたのアンテナ)

これは何を意味するのだろうか。実は「無線通信技術」はその当時最新の注目すべき革新的な技術で,人々の関心の的であったのである。「無線通信」は1895年にマルコーニによって発明され,1912年のタイタニック号の海難事件において,目覚ましい活動をし,700名あまりの命を救い,たちまち人々の注目を受けるにいたったのである。

1918年にウルマンが「青春」を書いた当時は,まだその印象は強く,アンテナを高く張り,希望の電波をとらえる限り,人は最後まで青春を謳歌し,生を全うすることができるとウルマンは詠ったのであろう。

それが1945年のリーダーズ・ダイジェストのJohn Lewis による改作版では「無線」(wireless)ではなくて,「(有線の)通信」(wires)が1回使われているだけである。When the wires are all down((電話などの有線の)通信網が閉ざされたときに)

これでは何のことかがわからず,岡田氏は「これらの霊感が絶え」と意訳している。理解に苦しんだことであろう。もとはと言えば,John Lewis なる人物が,その当時「無線」が輝かしい未来を約束する新技術であったことに気づかなかったからだと推察される。たちまちにして「無線」は当たり前の技術となり,ほんの30年前の姿がわからなくなってしまったのだ。(手島佑郎氏のHPを参考にした。)

リーダーズ・ダイジェストには次のような注がある。
Given to MacArthur some years ago by John W. Lewis. It is based on a poem written by the late Samuel Ullman of Birmingham, Ala.

また “How to Stay Young”という題名がつけられている。「若さを保つ保ち方」といった題名の付け方はやはり「青春」を誤解していると言わざるを得ないであろう。ウルマンは歳を取ってもいつまでも若々しく保つには,と年配者に向かって言っているのではなく,若い人に向かって,うかうかしていると,と注意を促しているわけであろう。

次回は,このへんを「「青春」における“誤解”」として解き明かしてみたいと思っている。(村田 年)

2.オリジナルの邦訳

Posted on 2010年6月2日

オリジナルの邦訳で,最もよく知られている版を示す。

        青  春 
                    Samuel Ulmann  作
                    作山 宗久 訳
                    湯淺 良之助 改訳

 青春とは人生のある期間をいうのではなく、
 心の持ち方をいうのだ。
 バラ色の頬,紅(くれない)の唇,しなやかな肢体のことではなく,
 たくましい意志,豊かな想像力,燃えるような情熱をいう。
 青春とは人生の深い泉の清新さをいうのだ。

 青春とは怯懦(きょうだ)を退ける勇気,安易を振り捨てる冒険心を意味する。
 ときには,二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。
 年を重ねただけで人は老いない。
 理想を失うときはじめて人は老いる。

 歳月は皮膚に皺を増すが,情熱を失えば精神はしぼむ。
 苦悩・恐怖・失望により気力は衰え,生気ある精神は,芥(あくた)になる。

 六十歳であろうと十六歳であろうと,人の胸には,
 驚異に惹かれる心,子供のようなあくなき探求心,
 人生への興味の歓喜がある。
 君にも吾にも,心の中枢には,無線の通信局があるのだ。
 人から神から,美・希望・喜悦・勇気・パワーの
 霊感を受ける限り君は若い。

 アンテナが低く垂れ,精神が皮肉の雪におおわれ,厭世の氷に閉ざされるとき,
 二十歳であろうと人は老いる。
 アンテナを高く張り,希望の電波をとらえる限り,
 人は百歳であろうと,最後まで青春を謳歌して,生を全うすることが出来るのだ。

このオリジナル版は,具体名詞を多くして,具体的に,わかりやすく書かれている。改作版はかなり抽象的になり,その翻訳である岡田版はさらに抽象的になっている。抽象的な漢文調は年配者には訴えると思われるが,若い人はオリジナルの具体性を好むかも知れない。

いずれにしても原本がはっきりした以上,原則として原本を用いなければならない。作家に無断で字句を改変してはならない。今後はこの原則にできる限り早く合わせなければならないであろう。
(村田 年)

1.「青春」のオリジナル

Posted on 2010年5月30日

「青春」はアメリカにおいても日本においても作者名なしでよく引用された。マッカーサーも最初は作者不明と言っていたという。やがて作者名はサムエル・ウルマンとわかったが,その経歴や正しい原作は知られなかった。

作山宗久氏が1983年10月にアラバマ州バーミングハムの公立図書館で原本を発見し,日本の人々に伝える。ウルマンの80歳を記念して家族友人37名が,ウルマンが老年に書きためた詩を自費出版した。『80年の歳月の頂から』(From the Summit of Years, Four Score)がその原本で,「青春」はその詩集の巻頭を飾っている。ウルマンは1920年に80歳になったが,この本は1922年に刊行されたと推定される。それから2年後の1924年にウルマンは没している。おそらくは,この本は家族・友人以外には少数のユダヤ系の人々に知らされたにすぎなかったであろう。現在二か所のみ原本の存在が知られている。作山氏が訪問したときにはすでにアラバマでもウルマンは少数の人々の間以外には忘れられてしまっていて,訪問が不思議がられたようだ。

以下にオリジナルを示そう。

 YOUTH
                   by Samuel Ullman
Youth is not a time of life; it is a state of mind;
it is not a matter of rosy cheeks, red lips and supple knees;
it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions;
it is the freshness of the deep springs of life.

Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetite,
for adventure over the love of ease.
This often exists in a man of sixty more than a body of twenty.
Nobody grows old merely by a number of years.
We grow old by deserting our ideals.

Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul.
Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.

Whether sixty or sixteen,
there is in every human being's heart the lure of wonder,
the unfailing child-like appetite of what's next,
and the joy of the game of living.
In the center of your heart and my heart there is a wireless station;
so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power from men
and from the Infinite, so long are you young.

When the aerials are down, and your spirit is covered with snows of cynicism
and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty,
but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism,
there is hope you may die young at eighty.
(村田 年)