言語情報ブログ 語学教育を考える

「みまもる」(見守る)

Posted on 2010年9月3日

「みまもる」(見守る)
広辞苑はこの用語に次のような定義を与えている。① 事が起こらないように注意して見る ② じっと見つめる。政治家は、この経済危機にも、「注意深く見守る」などと言って何もしないから、以下のような悪い用例が増えてきた。
悪例1:数学の時間にカンニングしたけど、監督の教師が“見守って”くれたから、無事だったよ。(高2男子)
悪例2:95歳のおふくろが苦しそうにしていたが、“見守って”いたら、息をしなくなったので、すぐに年金の貯金をおろして逃げた。(70歳の長男)

先生の集団逃亡が始まった

Posted on 2010年9月3日

教育にとって最も大切なのは? ― それは先生!
2.先生の集団逃亡が始まった
『先生の集団逃亡が始まった』(石井竜生著,清流出版,2007)というショッキングな本によると,2006年度における東京都教員の退職者は1560名で,そのうち890名が中途退職者で,その中に校長24名が含まれていたという。補充が追いつかないほど中途退職者が多い。やっと校長になっても定年を待たずに辞職する者が24名もいたというのも驚きだ。

教員採用も難しく,東京都では,あちこちの地方で採用試験を行う,合格発表を早くする,昨年度の合格者には筆記試験を免除する,秋田県などと人事交流契約を結ぶなど対策に努めているが,それでも年度途中の欠員などが埋まらず,さらに経験者の流出に苦慮しているようだ。

私立の場合はさらに深刻で,派遣会社と教員派遣契約を結ぶ学校が急増していて,先生争奪戦が展開されていると新聞が報じている。

東京学芸大学も「教職特待生制度」(1名につき500万円)を作って教職を目指す優秀な学生を逃さないことにしたという。

日本ではなぜこのように「先生」の魅力がなくなり,いっぽうフィンランドでは,医師・弁護士と並んで高校生のなりたい職業のトップに(26%)「先生」があるのであろうか。このへんをじっくり検討してみたい。
(村田 年)

eachの解釈が一義的ではありません

Posted on 2010年9月2日

(4)Each of my sisters loves a man from Texas.から、A Man from Texasという歌詞を思い出された方々も少なくないかとも存じますが、my sisitersが二人としても、eachの解釈は一義的ではありません。
 便宜的に、二人のmy sistersを、my sister 1とmy sister 2とすると、(4)Each of my sisters loves a man from Texas.は、My sisiter 1 loves a man from Texas, and my sister 2 loves a man from Texas.と言い換えることができます。ここに二義性が生じます。Aは、my sister 1 が愛するa man from Texasとmy sister 2 が愛するa man from Texasが異なる場合、これに対してBは、my sister 1 が愛するa man from Texasとmy sister 2 が愛するa man from Texasが同じ場合です。
A: 私の姉妹は、それぞれ別のテキサス出身の男性を愛する。
B: 私の姉妹は、一人のテキサス出身の男性を愛する。

 次回は、(5)の両義性を扱います。中学校1年生が既習の教材でもあるのです。
(5)Who is your aunt?

教育にとって最も大切なのは? ― それは先生!

Posted on 2010年8月31日

●1.はじめに

「学力の国際比較」いわゆるPISA(ピーザ)が2000,2003,2006年と行われて,急にフィンランドの教育が世界の注目を浴びた。教育関係者のフィンランド詣でが始まった。手間がかかって仕方がないとフィンランド教育省は視察費を取ることにしたほどだ。

ある解説によると,2005年度の視察は約1,000件で,その半分が日本人の団体だっと言われる。最も一般的な質問の1つは「教育にとって最も大事なものは何ですか」だったという。フィンランド教育省,大学の教育学部,各自治体の関係者は口を揃えて,「オペタヤ!オペタヤ!オペタヤ!」(先生だ!)と答えている。この点で彼らにはまったく迷いがない。

教育にとって大事なものはいろいろあるが,やはり担当の先生は決め手だと思う。先生次第でクラスは見違えるほどよくなったり,生徒が救われたりするであろう。

それでは日本の「先生」を少し眺めてから,フィンランドの「先生」との違いを,比較対照してみたい。
(村田 年)

no …ing自体が両義的

Posted on 2010年8月30日

no …ing自体が両義的
(3)There is no smoking in this building now.は、直訳して、「今、この建物では、禁煙である。」としても、no smokingが「禁煙」に変わっただけで、依然として両義的のままです。
 no smoking「禁煙」は、助動詞を補って言い換えると、A:may notを用いてmay not smoke、B:can’tまたは cannotを用いてcan’t [cannot] smokeと、二様に解釈されます。その昔、may notとcannotの相違を、「今、人前で、逆立ちすることはない (probability, may not)、しかし逆立ちができない (possibility, cannot) 訳ではない」と英語話者が説明していました。これを上に当てはめると、A:may not smokeは、「喫煙する可能性があっても喫煙が許可されていない」という意味であり、これに対しB:cannot smokeは、「危険性なりが理由で、喫煙することが不可能」という意味になります。
A: 今、この建物で、喫煙することは許可されていない。
B: 今、この建物で、喫煙することは不可能である。

 次回は、次の(4)の両義性を扱います。my sistersは二人としてお考え下さい。
(4)Each of my sisters loves a man from Texas.