言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野式辞典:「ツイッター」(twitter)

Posted on 2010年1月18日

 その昔、やんごとなき育ちの女性が人と話すのが恥ずかしくて、すだれ越しに話したのが起源。現代の“すだれ”は携帯電話のこの機能で、顔を合わせずに人々はおしゃべりを楽しむ。40年ほど前のピーター・ドラッカーの『断絶の時代』の変形と呼ぶ人もいる。

湯川と啄木(湯川秀樹の日本語力)

Posted on 2010年1月18日

 湯川は歌をよく詠んだ。石川啄木の和歌を好み,「啄木調」という表現をほめことばとしてよく使った。551首ある『一握の砂』の歌全部が好きだと言っている。「無技巧的」に見えるが,他に真似のできない言葉づかいがいいと言う。

湯川の一番好きなのは,8番目の歌で,
    いのちなき砂のかなしさよ
      さらさらと
    握れば指のあひだより落つ
この歌は湯川の研究生活の実感ともよく合っているという。

湯川は母の臨終に際し,いくつかの歌を詠んでいる。
    東山つばらに見ゆる窓とざし
    絶えなむとする脈をさがすも
これは歌人も称賛する歌だというが,まさに啄木調である。(父を送る歌は1つも残していない。)
(村田 年)

漱石から老子・荘子へ,芭蕉へ(湯川秀樹の日本語力)

Posted on 2010年1月17日

 中学へ入ると,鷗外,漱石から世界の文学へ,また老子,荘子を読み,特に荘子に強く惹かれた。幼児の頃より素読によって祖父から習った孔子や孟子は,その儒教的な教えがきついと思い,荘子の「無為自然」(人為を捨てて自然のままに生きる),「万物斉同」(自然のままの世界には一切の対立の差別がなく,すべてが同一である),「知足安分」(自分に与えられた「分」に安んじて足ることを知る),「無用の用」など,自然主義的な思想に惹かれた。また,そこに見られる徹底した合理的なものの考え方に傾倒し,生涯の基盤とした。湯川は「徹底」ということが好きであった。

当時流行ったベルグソン哲学にも新カント派にも惹かれたが,湯川は西田哲学にもっとも惹かれた。講義を拝聴しただけでなく,のちに何度も自宅に伺って話を聞いている。

大学へ入り,研究者として立ち,32,3歳にして,広く
世の中に名が知られるようになって,自らの生きざまを
芭蕉の一筋の道,寂寥(せきりょう)の世界,自然への
凝視などに投影して見ている。心の中で自分と同一視する
ぐらい,芭蕉に打ち込んでいたようである。ただし,
芭蕉にならって句をつくるということはなかった。
特に習ったわけではないが,もっぱら啄木調の短歌を
大学へ入り,研究者として立ち,32,3歳にして,広く世の中に名が知られるようになって,自らの生きざまを芭蕉の一筋の道,寂寥(せきりょう)の世界,自然への凝視などに投影して見ている。心の中で自分と同一視するぐらい,芭蕉に打ち込んでいたようである。ただし,芭蕉にならって句をつくるということはなかった。特に習ったわけではないが,もっぱら啄木調の短歌を詠んだ。しかし,啄木から生き方を学ぼうとしたわけではなかった。
(村田 年)

小学生で『源氏物語』に挑戦(湯川秀樹の日本語力)

Posted on 2010年1月16日

 小学校へ入ると「有朋堂文庫」で『山家集』,『伊勢物語』,『平家物語』,伽草子,近松の浄瑠璃などを好んで読んだ。『源氏物語』にも挑戦したが,さすがに小学生では歯が立たなかったという。同時に「立川文庫」で『真田十勇士』,『猿飛佐助』などの冒険の世界にも遊んだ。
(村田 年)

湯川の幼児からの漢文の素読(湯川秀樹の日本語力)

Posted on 2010年1月15日

 5歳から始まった四書五経の素読の効果は大きかったであろう。おかげで,漢字は難しいとか,世の中には難しい本があるといった警戒心はなかったようだ。兄たちが読んでいた少年雑誌ばかりでなく,『太閣記』全10巻を読み始めた。父親がめったやたら本を集めていたので,家が図書館のようで,さらに,母親と姉が文学好きで,あらゆる文学書があったという。
(村田 年)