言語情報ブログ 語学教育を考える

自律的学習のすすめ(湯川秀樹の日本語力)

Posted on 2010年1月22日

 他律的な理由づけで勉強するのももっともで,仕方がない。親にうるさく言われて,試験があるから,就職のために,などといった理由で勉強するのもよいが,「いろいろな物事への疑問」「いろんなことを知りたい」という自律的な意識で勉強してほしいと,湯川は若い人たちに特に望んでいる。これが「集中力」「持続力」を生むという。何度も何度も考え続ければ,おもしろい発見につながったり,自らの内的世界の形成に役立つと考えている。

これはすぐに理解できることであるが,湯川は「創造性」を特に尊重し,「創造性の発現(発揮)」ということばをたいへんよく使っている。もっと長生きをされて,中学生や高校生にこの創造性について親しく話したかったことであろうと推察する。

●今回はいろいろな資料を読んだが,特に,山崎國紀『思索する湯川秀樹』世界思想社.2009.を参考にさせていただいた。記して感謝したい。
(村田 年)

浅野:英語教育批評:「英語教員養成」を考える―「英語教育」2月号の特集をめぐって―(その1)

Posted on 2010年1月21日

(1)「英語教育」(大修館書店)2010年2月号の「優れた英語教員を育てる」という特集記事に言及しながら、英語教員養成の問題を考えてみたい。最初の久村研「いま求められている英語教員像とは?」は総論的なものだが、このタイトルは編集部のつけたものであろうが、少し意地悪だと思う。受身形で主語がはっきりしないからだ。久村氏は、先ず「『英語が使える日本人』のための行動計画」(2003) が示した英検、TOEIC などの得点基準を参照しながら論じているが、途中では次のようにも述べている。
(2)「『いま求められている英語教員像』を記述しようとしても、以上のように文脈が整理できない状態である。(以下略)」(p. 10)
「英語力」に限定すると数値的な基準は示せても、「教える力」を考慮すると明確な基準は示しにくいことは確かだ。ネイティブ・スピーカーであれば、誰でも自分の言語を教えることができる、とは考えてはならないであろう。多額の予算をかけて招いているALT に必ずしも教える能力や技術がないという批判は以前からなされてきた。
(3)久村氏は海外の言語教育事情に詳しいので、終わりのほうでは、EPOSTL(欧州評議会による言語教育実践ツールの1つ)を応用した日本版の作成と実践を提案しているが、紙数が十分ではなかったようだ。しかも、別に中山・大崎・神保「長期的視野に立つキャリア形成:英米の教員研修制度に学ぶ」があって、しかも視点が違うので両者の関連はほとんどないのは読者には親切な編集とは言えないように感じる。
(4)柳瀬陽介「大学英語教育の見識」は、最初に大正3年(1914)の夏目漱石の講演「私の個人主義」を引用しながら、そこに現代的な問題点への示唆を探求していて、同感できるところが多い。しかし、大学が「時代のニーズ」に合わせられて、「英語学・英文学系の大学人が確立したはずの教育の見識がそのままの形では受け入れられないことが多くの大学・学部で判明した」と述べているが、現在の大学では、英文科出身ではない多様な分野の経験者が英語を教えている場合が多い。彼らの英語教育の見方は、英文科出身者とはかなり違うので、軽視することはできないと思う。好むと好まざるとに関係なく、大学の英語教育は変わらざるを得ないのだ。
(4)松沢伸二「教員養成課程・どこが問題なのか?」は、理論的なものから、受講学生の生の声の引用という実践的な面までを分かりやすく論じている。教員志望者が『受講すべき科目も具体的に紹介しているが、それは、「教職入門、教育学概論、教育心理学、発達心理学、教育の制度と経営、教育方法・技術A ・・・」など38科目にもなり、その他に教育実習関係の科目もある。教壇に立ったことのない大学生が、こういう授業を受けて、どのくらい身につくものであろうか疑問に思う。だとすれば、教職に就きながら研鑽を続ける制度を確立することが望ましいと考える(この項続く)。(浅 野 博)
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湯川の授業・講演(湯川秀樹の日本語力)

Posted on 2010年1月21日

 湯川の授業も講演もたいへんに評判が悪かった。坂田昌一を初め心酔していたお弟子さんも「黒板の方を向いて,小さな声で,書いてきたメモを読み上げるだけで,どこを強調するわけでもなく,眠くなった。学生の顔はまったく見なかった。」と書いている。(しかし,当時「量子論」といった新しい分野の授業はどこにもなかったので,学生はみんな出席してそれなりの刺激と満足を得ていたようだ。)

問題のノーベル賞につながる研究発表にしても,小さな声で黒板の方を見ながら読んでいくだけで,ほとんど聞こえなかった,質問もなかった,と伏見康治ほかの多くの人が書いている。欧米でも「もっと大きな声で!」といつも聴衆から声がかかったと本人が言っている。

中年以降の湯川の授業・講演は,メモ程度で原稿なしで話すことが多く,評判はたいへんよい。声もかなり大きくなり,ユーモアもあり,挿話が多くておもしろかったと言われる。

それではと,インターネット上で見つけて湯川の講演を聞いてみた。確かに声は大きくないが,やや高い,よく通る声で,マイクさえあれば大丈夫だ。文尾で声を落として流すので,マイクなしでは文尾が聞き取れないだろう。

集中講義の講義録が本の形で出ている。これを読んでみると実におもしろい。有名人なので物理以外の学生も聞きにくる。そういった人たちにも何らかの刺激を与える講義だ。まずは,物理学をできあがった学として,体系的にすらすらと説明するのではなく,できあがる過程のぎくしゃくなども入れて話し,ターニング・ポイントにおいての学説のせめぎ合い,そのときご自分はどう考えたか,なども織り交ぜて,聞き手を引きこむ。単なる学説だけでなく,研究者の「哲学」をもちらっと見せてくれる。ときどき脱線したと本人は言うが,全体の話にぎくしゃくはない。多弁ではないが,話上手で,得るところ極めて大である。
(村田 年)

湯川の文章(湯川秀樹の日本語力)

Posted on 2010年1月20日

 湯川のノーベル賞論文執筆までの自叙伝である『旅人―ある物理学者の回想』を初めて読んだときに,実にすばらしい文章だと思った。直線的で回りくどくなく,具体的で,イメージがわく書き方で,やさしい,語りかけるような文章で,私の受けた第1印象は,このようなエッセーが書けたらどんなにいいだろう,と思ったことであった。

これは1958(昭和33)年3月18日から7月8日まで「朝日新聞」の夕刊に連載されたもので,平成9年6月に日本図書センターから1冊本として出版された。現在手に入るものは,角川文庫版である。

これを書いた頃,すなわち昭和33年には湯川の伝記はすでに5,6種以上出版されていた。本人もいろいろなところに自分の生い立ちの一部を書き,近親者や同級生,同僚,お弟子さんたちもいろいろと聞かれたことであろう。ふつうの人と違って,小さい頃のことが繰り返し掘り起こされ,書かれて,明確な形を帯びて,書きやすくなっていたせいもあって,たいへん具体的な記述になったのかも知れない。

ある参考書によると,これは「口述筆記」であったという。角川文庫版にもほかのどの参考資料にもその記述はないが,おそらく(口述筆記)であったのであろう。言われてみると口述らしい箇所がなくはない。しかし,1冊本にするときもほとんどどこも直してないという。たとえ口述筆記であっても,湯川らしい几帳面な校正があったのであろう。

ほかの湯川のエッセーのどれも最初の1行目から引き込まれる。無駄がない。いきなりテーマが示され,直線的に説き進められる。透明感がある。飛躍もあり,含蓄がある。行間は読み手の自由に,といった面もある。くどくどと説明はしない。はっきりとものを言い,どちらでもいいが,といった書き方はしない。読んでいて清少納言の 『枕草子』 を私は思い浮かべた。
(村田 年)

湯川と『源氏物語』(湯川秀樹の日本語力)

Posted on 2010年1月19日

 湯川は,日本人の生活における「美」を考えるといつも『源氏物語』を思うという。自宅から小学校までの道筋に紫式部が住んでいたと言われる所があり,特に親しみがあったであろう。小学生時代に『源氏』を読み,まったく歯が立たなかった。

その後昭和16年から18年にかけて(34歳のころ)戦争の真っただ中に読んでいる。湯川は戦争の現実からの逃避として『源氏』に没頭したのであろう。さらに昭和35年ごろ(53歳ごろ)から本格的に読んでいる。中の何気ない挿話にチェーホフの短篇に通じるものがあると述べている。科学者の独特の感覚で,『源氏』を深く読んでいる。

湯川はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に強い関心を持っていた。恐ろしい,汚らわしい世界を描いているにもかかわらず,読んでいくうちに魂が清められていくような気持ちになったと言っている。
(村田 年)