言語情報ブログ 語学教育を考える

4.やりがいのある仕事に人は集まる

Posted on 2010年9月27日

必ずしも給料を上げる必要はない。やりがいのある仕事ならば必然的に人は集まる。

勤務時間は自由で,朝や夕方の時間がうまく割ける。夏休み,冬休み,春休み,土日と,休みはたいへんに多いとなれば,先生は人気の職種となる。在職のまま,芥川賞,直木賞を狙うこともできるし,自身の研究に専念することもでき,町のコーラスを,オーケストラを指導することもでき,あるいは,会社の顧問,市の各種委員として活躍することもできよう。

会議を減らし,担任に権限を与えることで,一国一城の主として先生は精神的にたいへんに安定する。思いきってやれる。

現状では,教育学部を出ても教員にならない人が半数をはるかに超えているが,多くの学生が教員を目指すようになるだろう。やがで,多くの生徒が教育学部を志願し,教育学部は10倍を超える難関の学部となろう。
(村田 年)

3.次善の策として― 先生に自由と時間を与える

Posted on 2010年9月24日

根本的には,日本人全体の意識改革がなされない限り,教育の改善は見込めないし,よい先生は集まってこないと思う。しかし日本の文化が変わるのを待ってはいられない。次善の策を示したい。

1.小中の先生を研究職とする。
 1)勤務場所を問わない。自宅,図書館,大学などどこにいてもよい。
 2)勤務時間を問わない。いつ出校しても,いつ退校してもよい。
 3)研究費を与え,購入図書,学会費,交通費等に使えるようにする。
2.担任に補助教員(院生・学生)をつける。クラスの生徒が35名を超える場合は2名つける。補助教員はHRの監督,テストの採点, 文書の整理,文書の作成,生徒の個別指導等に,担任の指導を得て,当たる。
3.クラブ顧問は教員の仕事ではない,とする。
 これで生徒が休みの日は先生は学校へ来る必要がなくなる。生徒が休みの日には原則として職員会議,各委員会は開かない。

勤務場所を問わない,とすると,仕事はいつどこでやってもよいことになり,相当楽になる。毎日のHRや反省会,掃除当番などは補助教員の担当としてもよい。(毎日の教員打合せ,ショート・ホームルームなどは管理の行き過ぎであろう。減らす方向で検討する。)

補助教員を大いに活用する。HRや掃除の監督などはある程度任せることもできよう。小テストの採点,基礎的な学習の個別の指導など,また,文書整理や校長・委員会へ提出する文書なども相当程度まで補助教員に手伝ってもらう。

こうすることによって,先生には相当の時間的な余裕が生まれる。ある先生は朝の出勤を遅くすることができ,または帰りを早くすることもできる。思いっきり授業の準備に時間をかけることもできる。先生の仕事の1つに社会貢献をうたうべきである。市や公民館活動の指導に先生が力を発揮したりして,市民に親しまれ,尊敬されるようになるであろう。

クラブ顧問は外し,先生は休みはすべて校務を離れることができる,夏休みは1カ月以上が保証されるようにする。特にある技能のためにクラブ顧問を引き受けたい場合は,校長と別契約をして,手当をもらうことができるし,社会活動として評価もされる。

以上述べたことの1つでも2つでも実行できれば,状況は相当変ってくると思う。
(村田 年)

2.根本的な解決策 ― 日本の文化を変える

Posted on 2010年9月21日

よい先生獲得の「根本的な解決」はたいへんに難しいと思う。
1.全国一律の「中央集権的」教育行政をやめる。
2.効率よく,集団で,知識を教え込む「訓練的学力観」を捨てる。
3.学習指導要領と教科書検定を廃止して,標準モデルの提示と教科書編集に対する指導・助言とする。
4.地方自治体,校長,担任に大きな権限を与え,雑務をでき得る限りなくす。以上が実施されないと難しいと私は考える。

根本的には,私たちの日本文化を変える。中央志向,標準志向をやめ,それぞれの地方,学校,クラスの独自性を出す。住民,父兄との十分な意思の疎通があり,学習は生徒個人と父兄の自覚と責任を第一とし,教員はその支援者であるとの観点に立たなければならない。

すなわち,私たち日本人が,教育は個人個人が自分に対して行うべきものと考えるいっぽうで,集団の論理に帰属するのではなく,自分で考え,判断し,それぞれが他の意見を尊重するように,文化そのものを変える覚悟がなくては,よい先生は集まらないと思う。
(村田 年)

では,どうしたらよい先生が集まり,定着するか

Posted on 2010年9月18日

1.はじめに
前回も書いたが,先生は病んでいる。ある調査では,健康不調を訴える先生は45.6%で,全職業平均15.7%の中で飛びぬけている。窮した東京都では「こころに風を入れる七つのポイント」という文書を教員に配っている。そのうちの4項目を示すと,

  1,まず深呼吸,好きな風景・写真を見つめ一分間
  2.何事も,結論急がず「いい加減」
  6.自信なければ相談窓口へ連絡を
  7.早めに受診,上手に処方薬
こんなことで済むはずはないと思いますが。

昨年,今年と教員志望者は増えている。これは教員の職としての魅力が回復したわけではない。不景気でどうしても会社に入れないのだ。しょうがない,教員試験でも受けてみるか,といった「でもしか」先生だ。半年以内にやめる教員は,今後さらに増えることであろう。

新聞報道によれば,ひきこもりは70万人,予備軍は155万人だとのこと。小中学校の不登校も,必ずしも病気で引きこもっているわけではなくて,にこにこと出歩いて,サッカーや野球もする。図書館に行って本を借りてくる。教科書の勉強はちゃんとやっている。そんな子も多い。学校だけは行きたくない。学校,クラス,先生に魅力を感じないのだ。日本の教育制度そのものに反発しているとも考えられる。

前回,東京都で中途退職の教師の多いことを述べたが,朝日新聞によれば,全国では中途退職の教師は年平均12,000人を超えるという。これは現場の教師たちが精神的にのっぴきならない所に追い込まれている実態を反映する数字だと説明している。

いろいろな仕事が多過ぎて,授業に割ける時間が20数%では何のために教師をしているかわからないと言って,ベテランの40代,50代の教員が,特に女性教員が次々と辞めている。
(村田 年)

浅野:英語教育批評:生徒の「提出物」について考える

Posted on 2010年9月18日

(1)「英語教育」(大修館書店)の2010年10月号は「『提出物』で生徒とつながる~そのフィードバックと評価~」という特集をしている。生徒に何かを提出させたら、コメントをつけて返却してやる(フィードバックする)というのは、教室指導の基本であろう。そこでこの特集での寄稿者 13 氏は、それぞれの方法論を、実践例を含めて詳細に紹介している。ただし、「私はこうやっています」というだけではなく、英語科として、他の教員との連携はどうなっているか、という観点からの記述もほしいと思う。私の見落としでなければ、そういう記事が見当たらない。

(2)問題の生徒が多くて授業ができないといった場合には、(もちろん、そういう問題は軽視してよいということではないが)ここでは言及しないで、論を進めることにしたい。宿題とか課題を出す場合は、教師はまず「自分の能力」を考慮すべきであろう。様々な勤務上の条件を考えて、「この程度の提出物ならば、今週中に返却できる」といった予定を立てるのである。そのことは、「生徒が決められた期間内に提出できる分量」とも関連することになる。

(3)以前にも書いたように、最近の教員は小学校から大学まで、「雑務が増えた」「管理が厳しくなった」という声が強い。そういう状況の中で、生徒に返却できる分量を考えるのはとても大事なことだ。佐藤留美(都立西高校)「信頼関係を築く授業評価アンケート」には、生徒が職員室に来て、自分でやった問題の解答を見てほしい、と申し出た際の教員の取るべき態度について述べてある。教師がすぐに見てやれないなら、一応答案を見て、「(先生から返すのは)○○までならいいかな?」と問いかけるべきだと提案している。こういう細かい配慮は大切だと思う。

(4))小金丸倫隆(神奈川県立大和西高校)「提出物のポートフォリオ化による効果」は、まず「ポートフォリオ」の定義を与えて、その活用手順を説いている。英語教員を目指す大学生などの読者を視野に入れたら、やたらと“新語”を振り回すのではなく、このように、まず定義をしてから始める姿勢は評価できる。また、久保田章(筑波大)「提出物による学習意欲の活性化――大学英語での試み――」と、犬塚章夫(東京都港区立赤坂中学)「インターネットでプリントの共有――『わくわくワークシート・ホームページ』――」は、コンピュータ教室での指導を前提にしているので、そういう経験のない読者には理解しにくいであろう。それは、ある程度やむを得ないが、どちらも2ページというのは少なすぎる。こういう記事には4ページはほしい。

(6)そういう要望もあるが、大学の例を挙げたり、北原延晃(東京都港区立赤坂中学)「提出物を出さない生徒への対処」のように、教師が実際に困る場合に言及があったりして、この特集そのものがかなり細かい配慮をしている点は特筆しておきたい。(浅 野 博)

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