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マッカーサーの愛誦詩「青春」『リーダーズ・ダイジェスト』版の「青春」

Posted on 2010年5月15日

『リーダーズ・ダイジェスト』版の「青春」
この岡田訳のもとになっているリーダーズ・ダイジェスト版は
ウルマンの原文をある程度読みやすく,わかりやすく手直しした
もので,この方がアメリカでも広く知られているようである。

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  Youth    Samuel Ullman
      ― Revised by John Lewis in The Reader's Digest

Youth is not a time of life; it is a state of mind. It is a temper of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love of ease.

Nobody grows old by merely living a number of years;people grow old only by deserting their ideals.Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt, self-distrust, fear and despair--these are the long, long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undaunted challenge of events, the unfailing childlike appetite for what's next, and the joy and the game of life.

You are as young as your faith, as old as your doubt;
as young as your self-confidence, as old as your fear,
as young as your hope, as old as your despair.

So long as your heart receives message of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from men and from the Infinite so long as you are young.

When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.
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John Lewis氏はコーネル大学教授でマッカーサー元帥の友人と紹介される。
(村田 年)

浅野:英語教育批評:「英語教育と国際理解教育」再考

Posted on 2010年5月14日

(1)このテーマは、3月28日付けのブログで取り上げた。その際に、「英語教員はどうしてこう何でも引き受けようとするのであろうか」と書いたことについて、「そんなことはない。なぜそんなことを言うのか」という趣旨の批判を受けた。したがって、私の真意をさらに述べたいと思う。
(2)私は、一般的な傾向を述べる場合にすべての例外を否定しているわけではないし、上記のブログも勝手な推測で書いたものでもない。15年ほど前にある政令指定都市の英語の指導主事に会ったら、「当市では小中高の共通テーマとして国際理解教育を取り上げて、その実践を推進している」とのことだった。しかも、「やはり英語教員が一番協力的です」とも。
(3)現在では、指導主事や学校長の権限をいっそう強めようとする動きがあって、教員は上からの押し付けに反対することが難しくなっている。典型的な例は、『学校から言論の自由がなくなる―ある都立高校長の「反乱」―』(岩波ブックレット、2009)に紹介されている。著者は土肥信雄・藤田英典・尾木直樹・西原博史・石坂啓の諸氏で、最初の土肥氏が「反乱」を起こした校長先生だ。都教育委員会の「職員会議では採決などしないで、校長の意向が通るように進めるべき」という方針に歯向かったことが「反乱」に当たるわけだ。
(4)この問題は改めて考えてみたいが、ここでは本題に戻ることにする。文科省は、「国際理解教育」という用語は「指導要領」では用いていないと私は理解している。「国際理解」ということは以前から言ってきたが、「国際理解教育」とすると、新しい科目として位置付けなければならない。そこで、小学校の英語教育を「英語活動」と呼ぶように、官僚的な用語による逃げ道を用意していると考えられる。
(5)それはともかく、言語学者で、英語教育にも発言の多い鈴木孝夫氏は、『英語はいらない!?』(PHP新書、2001)で、「国際化」の意味を追求し(特に第4章)、さらに、『日本人はなぜ英語ができないか』(岩波書店、1999)では、「『国際理解』は止めよう」という一節を設けている(V章の1)。それは、簡単に言えば、「英語の授業では教えることが多いのだから、『国際理解教育』などは、綬業から追い出して、もっと基本的で必要なことを教えるべきだ」という主張である。
(6)こういう見解に対して、英語教員から、賛否いずれにしろ、意見が述べられたことを私は寡聞にして知らない。2000年当時、私は新設の大学で教えていたが、入試の口頭試問では、受験生の多くが、「なぜ英語を専攻したいのですか」という問いに、「英語が話せれば、世界の人々と交流ができるし、国際的に活躍できるからです」と答えていた記憶がある。高校生くらいになったら、「英語を母語とする人たちと対等に話し合ったり、交渉したりすることがいかに難しいか」ということくらい認識させておきたい。私は、「国際理解教育」よりも、「異文化相互理解」と呼ぶべきものについて、何が必要で、いつから、どう教えたらよいのかを研究し、実践することが肝要だと考えている。(浅 野 博)

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マッカーサーの愛誦詩「青春」岡田義夫の名訳

Posted on 2010年5月12日

2.岡田義夫の名訳
それでは広く行き渡っている岡田義夫訳で「青春」の全体を見てみよう。
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   青  春           原作 サムエル・ウルマン
                 邦訳 岡田 義夫

青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相(ようそう)を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑(こぎ)や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰(あたか)も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、
希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。 これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷(あつごおり)がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。
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この訳はリーダーズ・ダイジェスト版に依っている。1945年に目にして惚れ込んだ岡田氏は翌年日本語に訳し,紙に書いて壁にはっておいた。それを見た友人の森氏は書き取って持ち帰り,のちに新聞に発表する。敗戦に打ちひしがれた財界トップから若い社員にいたるまで,この詩からどんなにか勇気と情熱を得たことであろう。
(村田 年)

マッカーサーの愛誦詩「青春」

Posted on 2010年5月9日

1.「青春」の登場
知っておられる方も多いだろう。ウルマンの「青春」という詩がある。連合国軍総司令官だったダグラス・マッカーサー元帥が額に入れて執務室にかけて,自身の座右の銘とし,訪れる人にも勧めたと言われる。

「青春」(”Youth”)は1945(昭和20)年の “Reader’s Digest” 12月号に,「マッカーサー元帥に捧げる」として,掲載されて広く知られるようになった。また,1955(昭和30)年にマッカーサーがロスアンジェルスでの講演の中でこの詩を引用し,日本人の間にさらに知られるようになった。1958(昭和33)年に森平三郎氏(元山形大学学長)が群馬の「東毛毎夕新聞」に訳詩と解説を載せた。訳は彼の東京高等工業学校時代の同級生で,財界人である岡田義夫氏のものであった。この訳詩が松下幸之助氏の目にとまり,インタビューで紹介され,さらに有名になった。

岡田訳は格調高い名訳として多くの会社の朝礼で,研修会で朗唱・音読された。トッパン会長の宮澤次郎氏を会長に「青春の会」が組織され,米澤工業会を中心に「青春の詩碑」が立てられ,ウルマンの遺族も呼んで祝賀会を催し,ウルマン賞を制定し,故郷であるアラバマ州バーミングハムにウルマン記念館を開館した。松下幸之助氏,盛田昭夫氏を初め財界のトップ200名ほどがこのような企画の後押しをしたというから,当時の熱気が推察できよう。

経済界の熱愛にもかかわらず,英語教育の世界ではそれほどもてはやされず,高校・大学の教科書にもあまり採用されず,案外この詩を知らない英語教師も多かったのではないだろうか。
(村田 年)

浅野式辞典:(とりてつ)「撮り鉄」

Posted on 2010年5月7日

(とりてつ)「撮り鉄」
 鉄道マニアは様々だが、特に写真を撮ることに凝っているのが「撮り鉄」だ。最近は「ママ鉄」なんていう母親がいて、幼い子どもと高層ホテルやレストランの窓から列車を眺める贅沢な親子もいるらしい。庶民の声を聞いてみると;
A:(あわて者)「とりたて?ああ、あれは怖いね。もう借金はこりごりだよ。」
B:(高校生ギャル)「鉄板焼きで仕切る人だよ。私は“なべ奉行”だけどね。
C:(子連れママ)「自分がはまっちゃったけど、息子には公務員になってもらいたいのよ」