言語情報ブログ 語学教育を考える

6.代表の交代(2007年)

Posted on 2010年5月6日

私は,2003年に千葉大を定年になり,2008年に和洋女子大を定年になる予定で,店じまいをする時を迎えていた。2007年3月末をもって赤須薫氏に研究会代表をお願いした。

最後の2007年3月25日のワークショップは第1回と同じ京都外国語大学で開かせていただいた。赤野氏の友情に感謝したい。前日から出かけて,京都の街を考えに耽りながら,ゆっくり歩きまわった。

●ゆっくり思い起こすと,私の研究人生は消極的だった。中国の広東外大より誘われたのにシンポジウムに出なかった。イスラエルのカーナマン社の会長から,国際的なジャーナルを,資金は援助するから,刊行するようにと何度も勧められたがやらなかった。香港の,そして台湾の研究者から語彙指導と語彙表の研究をと誘われたのに,これにも乗らなかった。。。

★年を取るのも,ボケるのも,本人の意識より2割先に進んでいる。急がなければ。。。,今やらなければ。。。★
(村田 年)

5.辞書学セミナーと論文集の刊行(2001-6年)

Posted on 2010年5月3日

2001年3月のワークショップに連動させて「国際辞書学セミナー」を,英国から3名の講師を招聘して開いた。大杉正明氏を運営委員長に,満杯の40名の参加者と3日間びっしりの講演と辞書編集の実技を楽しんだ。

再び要望があって,2006年11月に英国よりハワード・ジャクソン,マイケル・ランデルの両氏を招聘し,45名の参加者を得て,辞書の製作者,使用者,コーパス,意味の記述等の講演と実技のセミナーを開いた。両セミナーともに定員を超える希望者があり,活発な議論がなされた。

★長い間には自己流にはまってしまうので,セミナーを受ける効果を大きい★

この研究会発足時に論文集の刊行を将来の目標の1つに据えていたが,資金の関係で延ばし延ばしになっていた。最初のワークショップの残金8万円から,例会・ワークショップの全ての残金を積み立てて,やっと100万円近くになった。

研究会創立10年を超えて,やっとその機会が巡ってきた。南出氏が出版社の内諾を取ってくれ,石川慎一郎氏,投野氏が編集に加わってくれた。2005年6月に原稿募集をし,38名の論文審査委員を依頼し,36編の応募論文から23編を採用し,2編の依頼原稿を加えた。私などの予想を超えた厳しい論文審査であった。

●JACET英語辞書研究会編,English Lexicography in Japan. (日本の英語辞書学).大修館書店.2006.

実は,全文英文の論文集は11月のセミナーのときには出来上がっており,講師のふたりの先生に読んでいただき,ヨーロッパの辞書学の水準から講評をお願いした。両講師はいくつもの点でたいへん高く評価してくださった。その後,辞書学で知られた大学,出版社,研究者等,世界中に送り,話題にしていただいた。アメリカの学者がイスラエルで書評を出してくれたりした。

★英語で出版してよかった。反応の広さも奥行きも違う★
(村田 年)

4.アジア辞書学会との交流(1997年-現在)

Posted on 2010年4月30日

北米に,ヨーロッパに,アフリカに,オーストラリアにと辞書学会が創られ,1997年になると,アジア辞書学会が創設され,香港を中心に活動を始めていた。そこで,ワークショップや講演会のプログラムをすべて英訳し,その都度アジア辞書学会の本部に送ってきた。向こうからもニューズレターを初め細かな連絡事項を知らせてもらった。

国際応用言語学会大会(1999年)には,アジア辞書学会を通じて,香港からAmy CHI氏,韓国からYoung-Gyum HAN氏を,日本からは宮井捷二氏をお誘いしてシンポジウムを開き,西村公正氏を責任者としてポスター発表(Problems of Dictionary Users and Teachers’Role)を行った。いずれも好評であった。

アジア辞書学会は,その後第1回総会を対岸の中国本土広東省の広東外語外貿大学で開き,次いで韓国のヨンセイ大学のサンスップ・リー教授に引き継がれた。

私は小まめに連絡を取っていたこともあって,韓国の第2回大会で講演の招待を受けた。これは危ないな,と思い,事務局の投野由紀夫氏,山田茂氏と相談し,求められたら,第3回大会を東京で受ける決心をして出かけた。

ヨンセイ大学は,韓国の慶応大学との裏評判通り,位置も敷地の広さも建物の立派さも驚くほどで,大会では,大学や企業が相当の資金を出したらしく,至れり尽くせりの歓待を受けた。ソウルの街一周の観光旅行なども組まれていた。研究発表,講演,シンポジウムも予想通り充実し,運営もまずまずであった。

予想通り,次は東京でとの提案があり,引き受けた。やる以上韓国に負けないだけの運営をと,十分な準備をして,出版社からの寄付もほぼ予想通り集まり,2003年の夏を迎えた。

招待講演7件,シンポジウム6件,研究発表58件,ポスター発表12件で,共同発表が多く,発表者は累計144名,参加者は17カ国・地域から233名であった。活発な議論と交流があり,懇親会も盛り上がった。そのプロシーディングズは大判で499ページ,今でも辞書学の基本図書として参照されている。次回は2005年に,アン・パキア教授を会長に,シンガポールで開催することになった。

★まずはアジアで,それから世界へ★
(村田 年)

浅野:英語教育批評:「茅ヶ崎方式英語会」で話したこと

Posted on 2010年4月28日

(1)去る4月5日(水)に東京駅から1時間半ほどの茅ヶ崎市文化会館で講演をする機会を得た。「茅ヶ崎方式英語会」については、ここで説明する余裕はないので、この名称をネットで検索し、由来、目的などを記したホームページをご覧頂きたい。私の話のセクションは、最初数十人くらいの参加者と言われていたのだが、当日は200名を超えていて驚いた。主催者によると、時事英語をやり直して、英語のニュースが聞ける、新聞が読めるようになりたいというビジネス関係者や退職者などが多かったとのこと。
(2)この茅ヶ崎方式英語会の行事は、同会の「創設30周年記念大会」で、私の講演などは全体プログラムのほんの一部で、全体のテーマは「英語の楽しみ方」だった。私も楽しく学びながら、英語力がつくのであれば、大賛成である。しかし、私が自分でつけた演題は、「英語教育ではなぜ同じことが繰り返されるのか」というもので、他のスピーカーのものとは、かなり異質なものだったと思う。その理由を述べておきたい。
(3)日本の学校の英語教育は問題が山積していて、山田雄一郎『英語教育はなぜ間違うのか』(ちくま新書、2006)が指摘するような問題点が少しでも解決されなければ、効果を上げることはできないであろうと考えたのである。もちろん、これは一般論で、「うまくいっている」例を否定するつもりはない。しかし、学校制度というものは、1つのシステムであり、システムはいくつかの構成要素が全体として共通の目的を果たすものだ。
(4)現在のように学校によって、また地域によって大きな違いがあるような状況では、教育効果は上げにくい。だからと言って、全国どこでも同じように画一的な教育がなされてよいとも思えないので、大変に難しい問題である。しかし、現状のままでは、「ゆとり教育」の愚を繰り返すことになると思う。
(5)私は自分の演題を選んだ3つの理由を次のように示した。
① 学校の英語教育と学習環境が悪化していること
② 英語教員が寡黙で、議論を好まないこと
③ 体制内改革がうまくいかないこと
 このうち、② については、現職の英語教員から反論されるであろうと思う。しかしながら、教員に限らず、日本人は概して議論が下手なのだ。それは、国会の問答を見てもわかる。私が会員になっているML でも、議論らしい議論が続いたためしがない。書評などは、「7割ほめて、3割だけけなせ」と先輩に言われたことがある。酷評すると、感情的なやり取りになってしまうからである。
(5)③ の「体制内改革」とは、英語教育に携わりながら、その改善を意図するものである。津田幸男『英語下手のすすめ』(KKベストセラーズ、2000)は1つの例である。私は著者の意図は理解できるが、学習者にしてみれば、「英語なんか下手でいいんだよ」と言うような先生に英語を習おうとは思わないであろう。こういう諸問題を解決しようとしなければ、「楽しく英語を学び、力をつけること」は不可能だと私は今でも考えている。(浅 野 博)

【私の記事に対するコメントは原則非公開扱いとさせていただきます】

3.ワークショップの発案とその定着(1997-2000年)

Posted on 2010年4月27日

1996年のシンポジウムの直後,ML上でしばらく議論が続いた。多くの書き込みを読むうち,みんなが発表の場をほしがっているのだとわかった。

そこで,参加者のすべてが発表,司会,質問のいずれかで参加するワークショップ型の「研究発表会」を持つことを提案した。そのころはすでに運営委員会という組織を作って重要事項は相談することになっていた。事務局は4名ほどいたが,普段は私ひとりで全部の仕事をさせてもらっていた。何人かで担当するよりもひとりの方が楽だったので。

★取りまとめは一人の方が楽だ。が,その場合どんな小さな意見にも耳を傾け,検討する態度が必要だ★

研究発表会を「ワークショップ」と名付けて,第1回を最も活発な関西で開きたいと思った。京都外大の赤野一郎氏が快く会場を引きうけてくれて有難かった。

第1回ワークショップは1997年12月13日に,発表者40名,参加者160名を得て盛大に行われた。このときもその後しばらくの間ML上で議論が続いた。これ以後ワークショップは慣例となりほぼ毎年多くの参加者を得て開かれて現在に至っている。

多くの若い研究者が生まれて初めての研究発表を経験し,中年以降の方でも初めて発表し,ただ聞いていたときに比べて,研究会の景色が異なってきた,との報告を何度も受けて,やってきてよかったと思った。

★発表者は延べで300名以上。生まれて初めての人も相当多かった★
(村田 年)