言語情報ブログ 語学教育を考える

3.湯川論文の英語(湯川秀樹の英語力-その1)

Posted on 2010年1月26日

湯川は学術論文はほとんどすべて英語で書いている。著書,叢書の1章,及び挨拶,講演を文章にしたものは日本語のものも多い。調べてみると,外国語で書かれた論文数は56編で,英語が54編,ドイツ語が1遍,スペイン語が1遍である。(のちに弟子たちが英訳したものはすべて除いた。)

54編の英語論文を眺めていて,あることに気がついた。湯川が単独で書いた論文とだれかお弟子さんといっしょの共著の論文では,ときに文体が異なるのではないかと思った。推察するに,単著は湯川自身が書き,共著はお弟子さんが書いたのであろう。

湯川は最初の論文が出ると間もなく有名になり,海外の研究者との文通と講演依頼に追われる。いっぽう,25歳で京大の講師となり,続いて大阪大学へ転じた。この間後輩であり,弟子でもある人たちが彼の周りをがっちり固めた。坂田昌一,小林稔,武谷三男,谷川安孝など錚々たる面々が議論に議論を重ね,論文とした。湯川家の応接間には黒板があり,客があると,その黒板を使って議論していたという。

おそらくは,共著者と湯川は何度も議論を重ね,まとめて書くのは共著者に任せていたと推察される。大雑把に言うと,湯川の英語は率直で,わかりやすく,共著者たちの英語は,ときにはセンテンスがたいへん長かったり,文の続き具合がわかりにくいところが見られたりするようであった。

一例として,湯川の最初の(ノーベル賞を取る)単著論文の出だしを見てみよう。
(単著)At the present stage of the quantum theory little is known about the nature of interaction of elementary particles. Heisenberg considered the interaction of “Platswechsel” between the neutron and the proton to be of importance to the nuclear structure.
まず冒頭で,素粒子の相互作用については,現段階ではほとんど何もわかっていない,と述べ,続いて,ハイゼンベルクはこう考えた・・・と次々と先行論文の問題点を指摘している。たいへん明快である。いっぽう,次の論文,Yukawa/Sakata(1935) はファースト・センテンスだけで1つのパラグラフになっている。第3,第4パラグラフもワン・センテンスである。ちょっと息が長すぎる。

前の論文とはかなり印象が異なる。スペースの関係で,引用をやめたが,大ざっぱに言って,湯川と朝永は読みやすい感じがする。(内容がわからず読んでいるので,私の見解はそのまま信用はできないかも知れないが。)

(ちょっと脱線するが,坂田昌一は極めて優秀で,湯川も全幅の信頼を置き,初期の数年間で13もの論文を湯川と共著で書いている。坂田は英語もできると思うが,ワン・センテンスが長い特徴がある。もしも,湯川が2,3の論文で坂田をファースト・オーサーにしていれば,坂田もいっしょにノーベル賞を取れたのではないかなどと思ったりした。)
(村田 年)

浅野式辞典:「せいじしきん」(政治資金)

Posted on 2010年1月25日

 戦国時代に各地の武将が軍資金を隠し持ったのが起源。近代社会では、権力のある政治家が政治活動のためと称して税金や個人資産を隠匿する。国民の声のいくつかは;
ボケオヤジ:政治家はお金を造り出せるのさ←「錬金術?」
オバカキャラ:政治の歴史はお金ということ←「政治史金?」
ヤンキー:セックスにはお金は必要だよ←「性事資金?」

2.湯川の英語学習,ドイツ語学習,フランス語学習(湯川秀樹の英語力-その1)

Posted on 2010年1月25日

湯川は普通の日本人と同じで,中学と高校で英語を習い,高校でドイツ語を習った。

母親は東洋英和女学校を(結婚が決まって)中退している。英語をよく勉強したので,教科書を初め,いろいろな英語の本が家にあった。二人の姉は母親から英語を習い,英語は好きだったようだ。秀樹が中学生になった頃はもう母親は英語を見てくれるといったことはなかった。

父親は,何にでも好奇心があって,英語やドイツ語の本が家にはたくさんあった。ディケンズやトーマス・ハーディなどの小説も父親は相当読んでいた。

父親は地質,地理の専門家で,30歳で万国地質学会議に日本の代表としてパリに行っている。フランス語もできたが,英語も相当なものであった。その道中汽船から青海原に向かって,バイロンの「チャイルド・ハラルドの巡礼」を朗誦するような人であった。

湯川は高校時代には英語もドイツ語も自分では不自由なく読めたという。丸善で洋書を買ってきては夢中で読んだ。新しい物理学の本など英語でもドイツ語でも一気に読んだらしい。丸善の洋書の書棚にはいつも行っていて,興味の向くまま買ってきては読んだという。ここから推察して,湯川は持ち前の好奇心と集中力で,大量に読書することによって英語読解力,ドイツ語読解力をつけたと思われる。

フランス語は特に勉強したわけではなかったが,物理の論文なら読むことはできた,と書いている。(ときにはイタリア語の論文も読んでしまったという。)

フランス語は三高時代に夜間の学校へ行ったことがあったが,眠くてものにならなかった。もっときちんと勉強したいと思っていたので,あるとき副手をしていて暇があったので,日仏会館に通うことにした。若く美しい女性たちに混じって,感情の細やかそうな,やさしいフランス人の女の先生に習った。パリやフランス映画のイメージがダブる別世界で朝から晩まで理論物理の論文と悪戦苦闘していた湯川にとっては心が洗われるような気分転換にもなったという。

作文の宿題として毎週提出していたエッセーのひとつの説明があったが,それは詳しく,細かな自らの心の動きを記したすばらしいエッセーで,フランス語の初歩の宿題なのに,湯川の語学のレベルの高さを示していると思った。

まとめると,湯川は普通の学校教育程度の指導しか受けなかったが,洋書がたくさんある家庭環境,ものごとに対する集中力,好奇心による多読等によって,自分では不自由のない英語読解力を身につけたと思われる。
(村田 年)

1.物理学研究者の一般的な英語力(湯川秀樹の英語力-その1)

Posted on 2010年1月24日

あるとき湯川秀樹の欧文論文集を作ろうとの企画が持ちあがった。そのときお弟子さんたちは湯川の日本語の論文,それはほとんど本格的な論文ではなくて,挨拶を兼ねた講演を文章にしたものだったが,彼らはそれをいとも簡単に英訳して掲載した。この経緯を見て,危ないなーと私は思ったのでした。

この度ノーベル賞を受賞した「小林・益川理論」の益川敏英さんは,受賞講演で,”I am sorry. I can’t speak English.”と言って,あとはすべて日本語で話した。益川さんだってほかの物理学者に比べてそれほど英語ができないわけではないだろう。論文はほとんどすべて英語で読んでいるわけだから。

益川さんのように「できない意識」が過敏なのも困るが,一般の物理学者のように,「英語などできるつもり」でいるのも危ないと思う。(この点はあとで湯川との比較で明らかにしたい。)

理科学研究所の「仁科研究室」では(のちにノーベル賞を取った)朝永振一郎などの研究員が日本語でまとめた論文はすべて,仁科に提出し,(7年半の留学経験のある)仁科が英語で書き,発表するという形式を取っていた。のちに朝永は,自分たちの英語では心配でとても外へは出せなかったろう,教員になってみて,この学生たちの英語ではとても外には出せない,みなさん,わかりやすく,ほんとの英語で書いて下さいな,と呼びかけている,と述べている。

物理の英語論文は,日本数学物理学会の欧文紀要に発表され,欧米にも送られていた。それは各大学や研究室の雑誌用書棚に並べられることなく,部屋の隅に積んでおかれたり,書庫に入れられてしまったりで,ほとんど何の反響も戻ってこないのが通例であった。

ところが,1935年2月の湯川の「中間子論」の中間子らしきものが,同年11月になって宇宙線の中に発見されて,急に湯川論文が注目されだした。1937年にはその発見が『フィジカル・レビュー』に発表され,日本の理論物理学の評価が高まり,論文が読まれ始め,紀要が図書室の書棚に並べられるようになった。ちょうどそのころ朝永振一郎は交換留学生として,ドイツに行っていた。研究者が日本人の論文を持ってきては,ここはどういう意味かとよく尋ねられたと言っている。やはり一般には日本の物理学者の英語論文は読みにくかったようだ。

1946年に湯川は Progress of Theoretical Physics という欧文のジャーナルを創刊し,理論物理の多くの論文を掲載し,日本の理論物理学を世界に広く紹介した。

湯川の考える通りで,英文の論文の引用件数は極めて高い。例えば,例の「小林・益川論文」は1999年の調査では物理学全体の2位で,3117回引用されていた。日本語の論文とは桁違いである。(そのときすでに1位も3位も4位もノーベル賞を取っていた。)
(村田 年)

湯川秀樹の英語力(その1)

Posted on 2010年1月23日

はじめに
私は30歳代の10年間は工業高専に勤め,40歳からしばらくは千葉大の工学部に研究室があった。そのような関係で,工学系の人たちの紀要論文の英語の手直しをときどき頼まれた。個人差は大きいが,一般の大学生と比べても劣るのではと思われる「英語アブストラクト」もなくはなかった。

他動詞の目的語がなかったり,主語とbe動詞の数が合わなかったり,関係代名詞の節の構文が違っていたり,初歩的な不具合も多かった。私もたいした英文は書けないが,「主語+動詞+目的語」のところだけはしっかり押さえて,英語として筋の通ったものにしなければと思って努めた。

一般にみなさんは,英語の先生なのだから,簡単に直してくれるだろうと思っていて,気軽に持ってくる。あるときは数十ページの化学の論文を持ち込まれた。最初のセンテンスを見て,これは主語を変えないとどうしても英語にならないと思った。1文,1文がこれではかなわないと思い,研究費があるなら,翻訳の玄人に頼みましょうよ,と申したら,研究費ならたくさんあるとおっしゃるので,知り合いの医学・工学翻訳者を紹介したこともあった。

英語のできがよくない人ほど,手直しは簡単だろうと思っているようだった。
(村田 年)