言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野式辞典:「かいさんけん」(解散権)

Posted on 2009年7月21日

何ごとにも無関心な高校生たちからこんな声が;
A:総理大臣のたった1つの権利だよね。そんな総理にはなりたくないよ。
B:学校なんて解散してもらいたい。権利のあるのは誰なの?
C:おれもほしいよ。借りた金を返さなくてもいい権利だろう?

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano's Japanese Dictionary of Current Word★★

浅野:英語教育批評:「電子黒板」のこと

Posted on 2009年7月15日

(1)政府の緊急補正予算で、小中学校に1台ずつ配られることになったのが、「電子黒板」とのこと。予算としては 200億円を超えるが、「学校の設備が良くなるなら結構」と喜んでいるわけにはいかない。私は長年教育機器の導入とその活用に従事してきた経験があるので、問題点を考えてみたい。
(2)私が、語学ラボラトリー (LL) を使用し始めたのは、昭和38年 (1963) からだが、その頃にはすでに「語学ラボラトリー学会(LLA)」では、教材、利用方法などの議論や実践報告が行われていた。英語教員が中心だが、当時6万人以上とも言われた英語関係教員全体から見れば微々たる数だった。
(3)文科系が多い英語教員は、「機械はどうも苦手」と尻込みしがちだ。たとえ関心を持っていても、使い方から教材まで準備や予習が大変なのである。それだけの余裕を与える学校は皆無と言ってよかった。「いや、それでも熱心に実践している教員はいるではないか」という反論もあった。そういう教員は夜遅くまで学校に残ったり、自宅で自分の機器でテープの編集をしたりしていたのである。自己犠牲を強いるような学校はもはや「制度」ではない。
(4)私は「電子黒板」は現物をまだ見ていない。報じられているところでは、コンピュータを内臓していて、DVDなどと繋いで様々な情報の入力や提示が可能で、手書きもできるようである。あるテレビ番組で、「電子黒板」を紹介していた司会者は、「私は今この画面を使って、次々と説明の文字を出していますが、これを作るには何十人ものスタッフが要るし、リハーサルまでやっているわけです」と述べていた。
(5)視聴者には当たり前のように感じられる画面でも裏ではそういう苦労があるのだ。それでも、文字の変換ミスや写真の入れ間違いがあったりして、後から司会者などが謝る場面が毎日のようにある。教材の場合も同じ心配がある。
(6)1校に1台だけ配っても、あまり使われない状態になるのではないかと私は心配する。使おうと使うまいと、機器メーカーの景気回復になればよいといった政治姿勢は問題だ。数百万円もかけた LL が、ほとんど使われずに廃棄された例を知っているだけに気が気ではない。
(浅 野 博)

浅野式辞典:「ちほうぶんけん」(地方分権)

Posted on 2009年7月13日

 かなりボケたある専門家たちの言うには;
学者:貴重な文献は地方にあるものじゃよ。
医者:痴呆症はね、県によって分けないと、片寄るからね。
政治家:中央集権の反対語だろ?でも政治は分権じゃダメだ。第一、金が集まらん。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano's Japanese Dictionary of Current Word★★

浅野:英語教育批評:「なぜ指導要領批判か?」(その2)

Posted on 2009年7月8日

 (1)前回、「文科省の大臣は政権与党の意向を反映する」という趣旨のことを書いたが、伊吹文明文科大臣のことが気にはなっていた。彼は小学校で英語を教えることに関して、「もっと他にやることがあるのではないか」と言った。これで、英語活動の導入は凍結され、「英語ノート」のために確保したはずの予算も大幅に減らされてしまった。しかし、文科省の官僚は、どうせ大臣はすぐに替わるからと、台風一過を待つようにじっとしていた。案の定、次の大臣で、「英語活動」も「英語ノート」も復活した。
(2)せいぜい1年程度の任期の大臣が替わるたびに、教育方針が大きく変わるというのは大問題ではないか。そうは考えない政治家の神経がわからない。伊吹大臣は「何をどういうふうに教えることが大事だから、それを英語より先にやるべきだ」といった説明を、私の知る限り、何もしていない。政治家の説明責任なんて、そんな程度のものだ。
(3)非論理的な点では、指導要領も同じだ。中学の英語では、「概要」は2年で、「要点」は3年で教える、ということがあった。解説書を読んでも、なぜ学年で分けるかがわからなかった。しかも、「英語の時間が足りないのだから、概要や要点がわかればいいいのだ」とさえ言う教科調査官がいたのだ。概要にしても要点にしても、内容がよく理解できてこそ捉えられるもので、適当に読めばよい、といったものではないはずだ。
(4)当時は、時間が足りないから、教科書の分量は1行でも少なくというのが、多くの英語教員からの要望だった。教科書の内容自体が「概要」みたいになっていて、「概要を捉える」もないものだ。だから、朗読や暗唱に値する文章が激減したのである。
(5)指導要領の醜態の1つは、時間数がよく変わることだ。中学英語の「週3時間」などは、多くの市町村議会が、反対や改善要望の決議をしたほどで、高校生、大学生の英語力低下の声も強くなった。しかも、私立中学の場合は、6時間も教えることがあって、ますます学力差が大きくなった。あらゆる場面で、格差が問題になっている現在では、指導要領は、A Course of Study の英名にふさわしいように、法的拘束力などない「指針を示すだけのもの」にすべきだというのが私の主張である。
(浅 野 博)

浅野式辞典:「エコ・ポイント」(エコ・ポイント)

Posted on 2009年7月6日

 まずこの「エコ」がよくわからん。おれはテレビ(まだブラウン管だが)を日に1時間も見ない。電気代も高い月で2千円以下だ。クーラーもないし、液晶テレビを1日中見ているやつよりよほど節電している。なぜこういう人間にはポイントをくれんのか?

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano's Japanese Dictionary of Current Word★★