言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野式辞典:「みずぎわさくせん」(水際作戦)

Posted on 2009年5月16日

 新型インフルエンザを食い止める懸命な防護策だが、高校生の作った短文は:
A:おれの試験準備はいつも「〜」で、後に引けない。(それは「排水の陣」だろう!)
B:夏休みに「〜」のバイトで水着の美女をゲットした。(「監視員」が何をしとるのか!)

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano's Japanese Dictionary of Current Word★★

浅野:英語教育批評:「2−1=1か?」ということ

Posted on 2009年5月15日

 「政府は小さいほうが良い」とだいぶ前から言われて、例えば、厚生省と労働省を1つにして、「厚生労働省」にした。確かに大臣2名が1名になったので、小さくなった感じはする。しかし、2つの省に勤務する公務員を半分解雇するわけにいかないから、ほとんどそのまま残ったわけだ。定年や自発的退職などの場合には後を補充しないということはあるが、公務員の定員削減はとても時間がかかる。つまり、2−1=1ではないわけだ。しかも、不景気になって、新型インフルエンザが発生したりすると、厚生労働大臣は、雇用対策から医療のことまで、てんてこ舞いで対応しなければならない。人間の能力には限界があるから、厚労大臣の答弁が官僚的になるのもやむを得ないのかも知れない。副大臣とか事務次官かいう人は何をやっているのかと疑問にも思う。結局「小さな政府」そのものが「まやかし」だったのだと思わざるを得ない。
 銀行の合併などもそうだ。2つの銀行が1つになると、支店の数を減らすから、以前より混んで待たされる時間が長くなる。自分たちの経営利益のことだけで、利用者のことはあまり考えていない。これは1+1=2ではない例だ。
 教育の問題では次のようなことがある。小学校や中学校では、生徒数の減少もあって、日本人教員2名が1クラスを担当することがある。政府与党はクラスサイズを小さくすることは日教組の要求に屈することになるという面子があるから、2名で協同授業をすることを期待するようだ。そうなると、綿密な相談が必要になるので、1人で担当するよりも時間も労力もかかる。1÷2=1/2とはいかない場合だ。ALTとのティームティーチングを経験した英語教員はこのことがよくわかるはずだ。
 こういうことは教科教育の授業でも教えないし、講義を聴いたくらいで身につくものでもない。そうだとしたら、教員に義務付けている講習会などで、協同授業のあり方を実践させるのがよいであろう。英語教員の能力をTOEFL の成績だけで判断しても意味がない。すでに教員免許更新の結果も公表されたが、文科省や教育委員会は、「英語教員の資質とは何か」について公開の場で議論をして、それから、具体的な方針を決めるべきではないか。行政改革という美名の陰で自分たちに都合のよいところだけを先取りするようなことはしないでもらいたい。
(浅 野 博)

浅野:英語教育批評:「自律学習」のこと

Posted on 2009年5月8日

 「自律」というと私はまず「自律神経」を思い浮かべる。呼吸や消化などを命令する生得的な神経組織だ。自分の意思の通りにはならない。
 英吾教育では「自律(的)学習」が強調されているが、「自律的なもの」を「教える」ことは可能であろうか、と私は疑問に思ってきた。草木を育てるときに、「根はこちらに伸ばせ」とか「花は来週咲かせろ」などと指示はできない。水や肥料をやって望ましい環境を整え、あとは草木の生命力に期待するしかない。
 そんなことを考えていたときに、旧友の土屋澄男氏(元文教大学教授)から、「第二言語習得研究と外国語学習—個人的経験から『自律』を考える—」という抜刷りを頂戴した。文教大学の紀要「英語英文学 36号」からのものだ。一読してすっきりした。その理由の主なものは2つある。(1)理詰めに論じていても、わかりやすいこと:理論的であろうとすると、説明がくどくなって、かえってわかりにくくなるものであるが、同大学大学院の言語文化研究科創立 10周年記念講演の原稿が基になっていることもあって、とてもわかりやすく、説得力がある。
(2)同年代の生活経験に共感することが多いこと:若い人にはわかりにくいであろうが、戦時中から戦後にかけての英語学習の様子には私には同感することが多い。特に占領軍のアメリカ兵に接したときのインパクトは、いろいろな意味で強烈だった。そして、戦時中に抑圧されていた知的好奇心が一気に目覚めて、「なんでも知ってやろう」という意気込みがあった。「知的好奇心」も本能的な能力の1つだと思う。
 土屋氏は「自律 (autonomy)」の語源を説明し、専門家たちの見解を総合した定義として、自律学習とは「自分自身の学習をコントロールする能力」とした上で、それでもクラスの中で誰が「自律的学習者か」という問いに答えるのは難しい、としている。この能力が、顕在的なものというよりも、「行動の下に潜む潜在的な能力だから」というわけだ。
 近年よく言われる「楽しい授業を」「面白いコミュニケーション活動を」というのは、よく反省すべきだ、と改めて思った次第である。その場では生徒は確かに英語を使ってはいるが、後まで残る学力にはなっていないことが多い。この問題解決には高度な専門的知識と技術が要るのだと思う。
(浅 野 博)

浅野式辞典:「こんかつ」(婚活)

Posted on 2009年5月6日

 料理の「トンカツ」から思いついた専門用語。空腹を覚え、何を食べようかと考えて、準備をするのが「トンカツ」。色気が衰え始めた男女が、結婚でもするか、と準備活動をするのが「こんかつ」。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano's Japanese Dictionary of Current Word★★

浅野:英語教育批評:「理想の学校」を訪問

Posted on 2009年4月30日

 旧友が私立学校の校長になって5年経ってから、やっとその学校を訪問する機会を得た。小中高一貫校で人気がある。早速校長が教室を案内してくれた。
 最初は小学校5年生のクラスで、どれも20人以下。そのクラスで先生が教えていたのはエスペラントだった。
校長:何か新しいことばを教えるには、全員が知らないものがよいのでエスペラントにした。創始者ザメンホフの意図を教える機会にもなるし。英語だと学習経験の有無が学力差になって、遅れる子は英語が嫌いになる。もっとも、本校にわが子を入れたいという親が、「エスペラントを教える塾はありますか」と電話をしてくることがよくあるけれどね。
 次は、中学2年の理科のクラスで、4,5人のグループに分かれて、大きなガラスケースの中を観察していた。そこには、都会ではほとんど見られないクモの巣があって、虫を入れ、それが網にかかるとクモが出てきてすばやく捕らえていた。しかし、その授業の目的は、インターネットを教えることにあった。
校長:廻りくどいかも知れないが、いきなり「ウェブ」とか「ネットワーク」とかですませるのではなく、そういうことばの元の意味から考えさせることをねらっている。でも今の日本語はカタカナ語が多すぎるね。
 最後は高校1年の国語の授業だった。「財政危機」はどういう意味か、ということで、生徒は辞典でそれぞれの文字の意味を調べていた。そして、「危」は「あぶない」という意味で、「機」にはいくつもの意味があることを発見していた。
校長:指導要領では、「訓読み」は教えても、「音読み」はまだ教えないといった矛盾がある。四文字熟語など棒暗記するよりも、個々の文字の意味や読み方を知ったほうがわかりやすいはずだ。書かせるときは、書きやすい基本的な筆順は教えるけれど、あまりこだわらない。英語の単語でも文字と音の仕組みをきちんと教えるべきだ。そうすれば、英文をもっと楽に読めるようになる。コミュニケーションの力はまず母語でつけるようにしている。

 出版されたばかりの行方昭夫編訳『たいした問題じゃないが—イギリス・コラム傑作選—』(岩波文庫)の一編に、E.V. ルーカスの「思いやり学校」(“The School for Sympathy”) というのがあって、
上記のものはそれを模した「偽エッセー」である。本物には、生徒が眼帯をつけたり、杖をついたりして、身体障害者の世界を体験する1日があることが記されている。およそ百年も前の文章から学ぶべきものが多い。多数の人に読んでもらい、考えてもらいたい1冊である。
(浅 野 博)