言語情報ブログ 語学教育を考える

日本語は悪魔の言葉か?(4)の1

Posted on 2014年8月27日

漢字の将来性、日本語の将来性

 

漢字・漢語は東アジア一帯に広がっていき、その南限がベトナム(越南)だ。ベトナムは漢字を用いてきたが、唐の滅亡ののち独立の機運が高まり、チューノム(字喃)という文字体系を作った。これは漢字の焼き直しで、体系性に欠け、国字とするには問題があった。

 

ベトナムは、19世紀半ばにフランスの植民地になり、ローマ字表記化が始まり、第二次大戦後これが定着する。書くのに漢字よりやさしく、識字率が大いに上がり、近代化が進んだ。しかしながら、語彙の7割以上が漢語から来ているのに、漢語をまったく知らない世代が育って、高等教育がほんとうにローマ字でできるのかと筆者は思う。

 

それにローマ字だと、(もとが漢語だったため)造語力が弱く、新しい単語を作っていけるか疑問だ。日本が漢字を使って数千、数万の単語を作って翻訳をし、中国も新しい語を作ってきた。それを韓国やベトナムは借りて使ってきた面があったが、今後は新しい事物や概念に対する語を自分で作って使いこなしていけるのか疑問だ。

 

韓国・北朝鮮も、日本語よりも漢語由来の語彙の割合が多いのに、ハングルだけでやっていけるのかどうか。漢字を知らない世代が育つにつれて、漢語由来の抽象名詞の

多くが意味があいまいになり、忘れ去られるであろう。それ以上に、今まで中国語、日本語から新しい語を借りてきていたが、これが難しくなり、ハングルの造語力で世の中の進展に追いついていけるのか問題だと私は思う。

 

今現在、韓国の子供たちは国際テストにおいて、世界のトップにいるが、高等教育がやりにくい時代が来るのではないかと懸念される。民族の独自性主張のためにハングル化を推し進めたいのは理解できるが。

 

6.中国語と漢字

 

次の魯迅のことばは有名で、多くの人が知っている。「漢字が滅びなければ、中国は必ず滅びる。」毛沢東も言っている。「文字は必ず改革し、世界の文字と共通の表音の方向に歩まねばならない。」周恩来も言っている。「漢字のような表意文字は、いずれ滅びる運命にあります。音標文字の採用は21世紀になりましょう。」

 

前の中華民国においてすでに漢字を廃止して音標文字化する方針は決まっていた。その後の中華人民共和国も、初めから音標化の路線は決めていたが、実施については極めて慎重であった。多くの識者に相談し、会議で議論し、アンケート調査も行った。日本と違って識字率がたいへん低くて、どうしてもこれを高めたいとの意向が強かったこともその方針のもとになっていたであろう。

 

(A)漢字廃止派:漢字をやめて、ローマ字化する。

(B)漢字改革派:漢字は残すが、字形を簡略化する。

 

この2つの流れがからみあって進んできた。なんとしても国民の識字率を高めたいと願ったが、「ローマ字化」に踏み切れず、「漢字改革」にライトが当たった。

 

「簡体字」もすでに世の中で使われているものをできるだけ採用し、一覧表を公開し、識者に問い、60万人に問うたりしたのは偉いと思う。(日本では当用漢字も常用漢字も、識者に広く意見を問うたり、国民にアンケート調査をしたりといったことがほとんどなかったので。)

 

漢字は中国語のために作られ、中国語にもっとも適合した文字だ。日本語と違って同音異義語はほとんどない。中国語の文字がローマ字化されなかったのは幸いであった。これで中国人のコミュニケーション力、中国語の造語力が弱まることはないであろう。

 

(つづく)

日本語は悪魔の言葉か?(3)の2

Posted on 2014年8月11日

3.音読みと訓読み

 

日本語の場合、借りてきた漢字を、そのまま音読みするとともに訓読みもした。例えば、「返事」(ヘンジ)を取り入れても、「返り事」(カエリゴト)もそのまま使い、「返る」「事」も使われた。すなわち、訓読みも漢字を当てて、相変わらず用いたために、もともとの和語がすたれて減っていくということはなかった。

 

ところが、朝鮮語、ベトナム語などは、中国語と同じく訓読みがほとんどない。それゆえに漢語の取り込みにより、もともとの単語がすたれて、なくなっていくことになった。

 

仮に日本語の例で説明すると、「山」を取り入れると、これは「サン」としか読ませない。もともとの「やま」には漢字を当てない。「山」が「富士山」などの語の一部として用いられるばかりでなく、独立に「ヤマ」の意味で「山」(サン)が使われるようになる。するといつの間にか「やま」の方がすたれて使われなくなる。

 

このようにして、朝鮮語でもベトナム語でも、本来の語が少しずつ消えていった。「はたらく」がだんだん使われなくなり、代わりに「労働する」という動詞ができる。このようにして漢語が70%を超えて、朝鮮語にもベトナム語にも危機感が生じた。

 

われわれの日本語においても漢語が70%を超えつつあると思われるが、本来の和語が減ってないので、危機感を抱く人はほとんどいないだろう。

 

4.日本語をローマ字化したら何が起こるか

 

ローマ字化が始まると、間もなく、同音異義語のうちのいくつかが消えていくだろう。

 

上で挙げたが「コウセイ」と発音する単語は日本語には30語もある。読みにおいて大人はこの30語がほぼ読めるし、意味の区別もわかる。が、これをローマ字にした場合、前後関係から何語ぐらい判別できるか。おそらく12,3語は大丈夫であろう。

 

なぜ「kohsei」を見て、コンテキストから12語も区別できるのか。それは「kohsei」を見て、前後関係から、例えば「構成」という漢字が頭をよぎるからだ。書く場合は頭をよぎる漢字はより少なくなる。「構成、校正、攻勢、厚生、更生」など7語ぐらいが頭に浮かび、使えたとしよう。これらはいずれも漢字が頭をよぎるからなのだ。ちゃんと書けなくても、大体の形が頭をよぎるだけでいいのだ。

 

ローマ字教育が進み、漢字を見なくなると、だんだん漢字が瞬時に頭をよぎることがなくなり、この区別ができなくなる。30語もあった豊かな語彙が4語になり、漢字を知らない子が増えるにつれて、3語の区別も難しくなってこよう。このようにして日本語の語彙はどんどん貧弱になってくると推察できる。

 

5.韓国の文字政策 ― 漢字を捨ててよかったか?

 

韓国では長い間、漢字を捨ててハングルだけでいくか、ハングル中心だが漢字も補助に用いていくかの論争が続いた。そしてついに、1970年に小・中・高のすべての教科書から漢字を削除した。

 

するといろいろなことが起こった。小学生の国語力が大きく落ちた。そればかりか他の科目の学力も落ちた。抽象的な表現の多くは漢語で表していたので、抽象的な表現や論理的な表現力が落ちてきたと言われた。

 

政府は1975年に中学で900字、高校で900字の教育用基礎漢字を制定した。しかし、これは選択科目の教科書において、ハングルに( )付けで添えるだけであった。

 

もうハングル化を止めることはできなかった。その結果「韓国」と書けない大学生、「現在、基本、統一」といった基本的な抽象名詞が読めない大学生が増えて、語の意味がぼんやりとしかわからないようだとの批判が聞かれるようになった。子供の将来を恐れて、教育ママは自分の子を「漢字の塾」に通わせたりしているといった情報も得ている。

 

(つづく)

日本語は悪魔の言葉か?(3)の1

Posted on 2014年8月1日

漢字は悪魔の文字か? 日本語は悪魔の言葉か?

 

終戦後すぐにアメリカから派遣された教育使節団の「報告書」には次の文言が見られる。「書かれた形の日本語は、学習上の恐るべき障害である。日本語はおおむね漢字で書かれるが、その漢字を覚えることが生徒にとって過重な負担となっていることは、ほとんどすべての識者が認めるところである。初等教育の期間を通じて、生徒たちは、文字を覚えたり書いたりすることだけに、勉強時間の大部分を割くことを要求される。」

 

「一般に、現代の問題や思想を扱った書物を理解することはできない。とりわけ、彼らは、読書を学校卒業後の自己啓発のための手軽な道具とできる程度に国語を習得することには、一般に成功していないのである。」

 

漢字の難しさが社会の民主的な発展を妨げていると主張しているわけだが、これに対して、日本側の「日本教育家の委員会」は反論するより、積極的に賛成したようである。委員は29名で、大学学長、高校長、官僚、新聞社・出版社・企業のトップの中に天野貞祐、小宮豊隆、高木八尺、南原繁、柳宗悦等の名が見える。

 

「漢字を廃止するとき、われわれの脳中に存する封建意識の掃討が促進され、あのてきぱきとしたアメリカ式能率に初めて追随しうるのである。」といった調子の「讀賣新聞」(当時は「讀賣報知」)の「社説」の文言は、当時の日本全体の雰囲気をよく反映していると思われる。

 

熱しやすく冷めやすい、優柔不断な国民性・文化のためか漢字を捨てることなく、問題を棚上げにしたまま、今日にいたっている。(「当用漢字」というのは、当分の間の用のための漢字、どのみちやがて全廃するので、といった含みがあったようだ。)

 

私は、漢字こそ日本が近代化を促進し、工業国にのし上がり、先進国の仲間入りができたもとであると思っている。漢字の優れた点、日本語との相性の良さを見ていきたい。(もちろん漢字使用の短所はわかっているつもり。)

 

1.漢字の造語力

 

漢字2つを組み合わせて単語を作ると、改訂常用漢字2136字の組合せで、2136×2136=4,562,496、すなわち、456万語の単語が作れる。意味をなすものが20%としても90万語以上の単語を作れる可能性がある。漢字の場合、自由に単語が作れる豊かな造語力を持っているのだ。

 

英語の場合は、大辞典には55万語ぐらいの見出し語があるが、1語の単語で見出し語になっているのは10数万語にすぎない。すでに1語の単語を作る造語力は豊かではない。2語以上の単語、前置詞つきの単語もたいへんに多い。

 

英語では、ひとつのことばが長くなるので、その頭文字を取って作るアクロニム(頭字語)が大いに流行っている。例えば、OECD、これは Organization for Economic Cooperation and Development(経済協力開発機構)の頭文字を取ったものである。これはまったく意味とつながりがないので、1つずつ覚えなければならず、漢字よりもはるかに覚えるのがたいへんだ。

 

アクロニム25万語辞典といった辞書も出ている。大学生の間でも大はやりで、「WACN」(=Wait at Cafeteria North, 北食堂で待つ)などといった掲示があったりする。

 

日本語の場合は短い単語を作る余地は無限にある。これがいっぽうでは意味を難しくし、同じ発音の語をさらに増やすことにもつながっているのであるが。

 

2.明治以降の翻訳語

 

江戸時代においても漢語は使われていた。中国から伝わってきた事物は、そのまま漢字を当てていたが、その数はそれほど多くなく、また取り入れのスピードはゆっくりしていた。

 

ところが、明治になると、西洋の事物の流入と、翻訳により、漢語は飛躍的に増加した。最初は和語に対して2:1、やがて漢語は半分になり、今やIT化や新しい事物の大量の流入により、さらに急激に増え続けている。

 

意味さえある程度合っていれば、読みはどうでもよかった。その結果読みにくい単語や、同じ発音の単語が多くなっていった。例えば、日本語で「コウ」と読む漢字は「高、好、考」など300以上もある。

 

漢字2字の単語でも例えば「コウセイ」は30もの異なる単語がある。そのうちの、構成、厚生、校正、攻勢などかなり多くの単語をだれでも簡単に使い分けでき、聞いてわかる、読んでわかるだけならさらに多くの単語に対応できる。それゆえわれわれは、同音異義語に違和感を持たなかった。

 

この漢語、加えてカタカナ語のおかげで、工業技術の進歩、服飾、食事・食品などの急激な変化にも、簡単に該当する単語を作ることによって、難なく対応してきた。

 

(つづく)

日本語は悪魔の言葉か?(2)

Posted on 2014年7月3日

漢字を捨てる、いや、日本語そのものを捨てる

 

日本人が日本語を捨てて再出発しよう、世界に出ようと主張した跡を少し見てみたい。また、日本語を捨てることはかなわないが、せめて漢字を捨てよう、できればカナも捨ててローマ字にしようとした政策の跡も少したどってみたい。

 

1.日本語を捨てよう

 

幕末から明治20年ごろまでにかけて、日本の指導層には焦りがあった。西洋は何もかもが進んでいる。日本ははるかに遅れている。政治、経済、産業はもとより学問も教育も遅れている。

 

それを学び取るべき言語が西洋とはまったく違う。言語が難解でわかりにくく、大いに遅れている。日本の言語を西洋の言語のようにしなければならないと当然のごとく考えた。

 

そして、日本語を全面的に捨て去り、英語を日本の国語にしようとの主張は多くの人によってなされた。中でもわれわれも知っているのは文部大臣であった森有礼だ。森は英文の著書において「わが国の最も教育ある人々および最も深く思索する人々は、音標文字 phonetic alphabet に対するあこがれを持ち、ヨーロッパ語のどれかを将来の日本語として採用するのでなければ世界の先進国と足並みをそろえて進んでゆくことは不可能だと考えている」と書いている。高田早苗(早稲田大学総長、文部大臣)も英語を日本の国語に

することをとなえた。

 

2.漢字を捨ててローマ字に

 

すでに明治維新より前に、幕臣前島密は将軍に漢字廃止を建言しているという。日本語を捨てようとの主張の一方で、日本語は捨てないが、漢字を捨てようとの主張は長く続いた。

 

明治16年には「カナモジカイ」が結成され、翌年には「ローマ字会」が結成され、どちらも隆盛であった。当時の教養ある人たちは、自身の過去を恥じていたので、ローマ字化すれば、以前の書物はやがて読めなくなることを気にも留めなかった。

 

日本政府は明治30年代いたって、音標文字化を国の方針とした。それを前提に33年に国語調査委員が任命され、35年に文部省国語調査委員会が組織された。われわれが存じている委員としては、上田万年、大槻文彦、芳賀矢一、新村出、山田孝雄などが順次委員に加わった。

 

この委員会は漢字を捨てて音標文字化することを大前提にしていた。すなわち、委員会の根本方針の第1条に、「文字ハ音韻文字(「フォノグラム」)ヲ採用スルコトトシ、假名羅馬字等ノ得失ヲ調査スルコト」とある。

 

この委員会は大正3年にいったん廃止され、臨時国語調査会と名を替えて再建され、昭和9年に「国語審議会」と名を変えた。そして、何度も内閣に国語改革案を建議したが、それが実施されたことはなかった。

 

この国語審議会がそのまま戦後も続いていて、国語改革を実行したのである。

 

3.戦後の国語改革 ― 漢字制限

 

敗戦後の日本の精神状況は、明治維新とよく似ていた。これまでの日本は邪悪で、無価値であるとした。国語改革にとってもチャンスであった。読売新聞は「漢字を廃止せよ」との社説を掲げ、ほかの新聞・雑誌も同じような論調であった。漢字廃止は日本人一般の思いであった感がある。

 

周知のように、志賀直哉は、21年4月『改造』に「國語問題」を発表して、フランス語を国語にしてはどうかと提唱した。これも突飛なことではなくて、当時の日本の一般的な気分を代表していたと思っていいであろう。

 

20年11月、文部大臣は国語審議会に対して「標準漢字表」の再検討に関し諮問し、「漢字主査委員会」が設置された。「再検討」といったのは、すでに昭和17年に国語審議会は「標準漢字表」を内閣に答申し、そのなかで「常用漢字1,134字」「準常用漢字1,320字」を答申していたのだ。

 

超スピードで、11月5日に審議会は「当用漢字表1,850字」を答申し、政府は同月16日に内閣告示で実施している。これは電光石火の早業であった。ついで23年2月に「教育漢字881字」が公示された。この漢字制限には、近い将来さらにそれを減らし、いずれは全廃にもっていく前提があった。GHQ(連合国総司令部)に押し付けられたというより、日本の民意の反映であったと言ってよいであろう。

 

しかしながら、昭和30年代になると、国語改革の熱は冷め、知識人たちも漢字制限の影響の大きさ、過去の遺産との乖離に気づき、反対の声を挙げた。この政策をもうやめることはできなかったが、さらに漢字制限を強めることはできなくなって、なんとはなしの棚上げ状態になった。

 

4.日本人の識字率、国語力

 

GHQは、アメリカ教育使節団の国語改革の勧告を補強し、ローマ字化を推し進めるために、国語テストを行って、漢字・カナ文字の複雑さがいかに日本人の国語力を阻み、コミュニケーション力を弱めているかを証明したいと考えた。しかしながら、テスト結果は、日本人の識字率は驚異的で、世界一であり、国語力も欧米のどの国と比べてもはるかに高いことが判明し、漢字廃止への矛先が鈍ったと言われている。

 

以上、日本が辿った日本語廃止、その前段階としての漢字制限、ローマ字化の歴史を追ってみた。筆者はこのへんの知識に乏しく、『漢字と日本人』(高島俊男著、(株)文藝春秋、2001)その他を参考にさせていただいた。

 

★次回は、漢字は本当に悪魔の文字で効率が悪いのか、漢字の将来の可能性はどうか、漢字を制限することのマイナス面、日本語は理論的に漢字を捨てられるのかといった問題を検討したいと思っている。

 

(つづく)

日本語は悪魔の言葉か?(1)

Posted on 2014年6月20日

日本は戦争に負けて、新憲法を初め、あらゆる改革を戦勝国、特にアメリカに押しつけられた。日本人を好戦的な、軍国主義の民族にしないために教育改革こそ大事だとされ、教育使節団がアメリカから派遣された。

 

その報告書は、敗戦の翌年、1946年4月7日にマッカーサーの声明を付して公表された。それを読むと、勧告は指示とか命令とかいった形ではなくて、日本人が自ら考え、討議し、判断し、新しい日本を創り上げていってほしいとの立場を取っているふうであった。

 

中でも日本語をどうするかは相当議論があり、裏では、難しい文字を使い、学習効率が悪く、世界とのコミュニケーションがうまくできず、軍国主義につながった元凶として、日本語を「悪魔のことば」と呼んだ委員もいたと言われる。

 

日本の国語の改革には極めて積極的で、何らかのローマ字表記は当然で、漢字制限 → 漢字撤廃 → ローマ字表記へのコースをどう進めるか、これを日本政府の実行力に期待するとしている。

 

われわれ日本人の中にも、日本語は極めて特殊な、変わった言語で、できうれば国語を変えてしまった方がいいなどといった意見も歴史上何度となく出ているのはご承知の通り。

 

ほんとうに日本語は特殊な言語で、効率が悪いのか。特に文字、漢字は日本人の学習を大いに妨げているのか。少しばかりこれらの点を考えてみたい。

 

1.言語学的にみると、日本語はごく普通の言語だ。

 

世界には5,000とも7,000とも言われる言語が存在する。その中の1,500ほどの言語を調べた研究者によると、英語の S+V+O のように動詞が前にくる言語32%に比べて、日本語のように動詞が文尾にくる言語は47%で多い。

 

英語のように語順によって意味が決まる言語も多いが、日本語のように、助詞などの接辞をつけることによって文中の要素を決め、語順は決め手としてはゆるい言語もたいへんに多い。このように独立の語に文法的な要素をつけていく「膠着語」は言語の大きな分類のひとつで、めずらしくはない。以上のように文法的に検討していくと、日本語はなんら特殊な言語ではないとの結論に達する。

 

2.語彙、文字、発音を見ると、極めて特殊な言語だ。

 

ところが、実際に使われている単語とその綴り、その発音を具体的に見てみると、まったくほかに例がない特殊な傾向に驚く。

 

日本語には同音異義語、すなわち、同じ発音で意味が違う語が極めて多い。世界の言語にその類例はまったくない。例えば、「しょう」を国語辞典で引くと、40個あるいはそれ以上の語が出ている。40もの違う漢字、あるいは書き方があるのだ。それもこのような同音異義語の組が、数千、数万と存在するのだ。

 

例えば、英語の世界ではほんの数組の同音異義語が存在したが、それぞれの組の一方が死滅する過程を辿るのが英語学の授業の一コマだったりする。

 

同音異義語が異常に多くても、日本人はほとんど気にしないし、間違いが起こることも少ない。まったく支障がないのだ。これは欧米の言語学では想像すらできないことだ。

 

ではどうして、5千もの言語の中で類例のない唯一の変わった言語だと言われるのか、日本語は?

 

3.音読みと訓読み

 

日本語には文字はなかった。おそらく奈良時代の少し前、中国から漢字を借りてきて、使い始める。

 

最初は「万葉仮名」と呼ばれる使い方で、音声1個に漢字1個を当てた。日本語の語の音にもっとも近い漢語の漢字1字を。例えば、「ヤマ」 → 夜麻、 「カワ」 → 可波、 「ハナ」 → 波奈、「ヤクモタツ」 → 夜久毛多都 (漢字の発音を借りただけで、漢語の意味はいっさい考えなかった。)

 

ひとつの音に1つの漢字をあてる。その漢字にはなんの意味ももたせないで、ただ音、発音だけを表した。これはどんなにか便利であったろう。書きつけておけば、いつまでも残ったから。忘れてしまったり、わからなくなったり、遠くの人に伝えられないといったことがなくなった。

 

ついで日本人は「音読み」「訓読み」を行った。漢字の中国語音(字音)をそのまま使う<音読み>と、さらに、その漢字の意味に対応する日本語にその漢字をあてた<訓読み>だ。例えば、山(サン)を見て、ああ、これは「ヤマ」のことじゃないか、と言って、「ヤマ」に「山」を当てた。だから、<訓読み>は中国語にはなかったものだ。

 

山 → (音)サン、(訓)ヤマ; 川 → (音)セン、(訓)カワ

花 → (音)カ、(訓)ハナ; 白 → (音)ハク、(訓)シロ

 

韓国語、ベトナム語、中国語の方言などでも一部訓読みを行ったが、日本語の場合は、大幅に、徹底的にこれを活用した。

 

4.漢語に大いに依存する。

 

中国の古典、書籍からどんどん単語を借りて、漢語に近い発音で読むと同時に訓読みの語も作っていった。

 

特に明治になって、西洋の書物を翻訳する際に、漢字を組み合わせて、際限なく、単語を作った。漢字とその意味が大事で、発音に気を向けることはなかった。同音異義語がほかにあって、迷うかも知れないなどと考える余裕はなかった。

 

そのことの功罪について言えば、罪も大きく、また、利点も大きかった。「功」については、まったく新しい技術、研究、処置などを表す単語をすぐに作ることができ、表面的にはその単語が理解しやすく、覚えやすかったこと。かなりの誤解はあったにしても、そのすそ野の広さゆえに医学も、工業技術もどんどん西欧に追いついていくことができた。

 

「罪」については、中国語にそのような漢字の組合せがあろうがなかろうが、お構いなしに、どんどん単語(字音語:主に漢字2字で、音読みをする単語)を作って、他の言語に比べて異常なまでに同音異義語の多い体系にしてしまったこと。この漢語(字音語)を読み書きする教育もたいへんである。ほかにもあるが、次の機会に譲りたい。

 

 (つづく)