「英語教育批評」(その65)(センター入試制度のこと)
(1)今回は「大学入試センター試験」の制度の問題を考えてみます。約60万人もの受験生がいる「センター試験」というのは、どうして出来た制度でしょうか。その由来については、インターネットで「大学入試センター」を検索すると、詳しく書いてある項目が見つかりますから、ここでは制度の説明はそちらに譲って、いくつかの問題点の指摘をしてみます。
(2)「入試センター試験の目的」については、次のような文言があります。
「大学入試センター試験は、大学(短期大学を含む。以下同じ。)に入学を志願する者の高等学校段階における基礎的な学習の達成の程度を判定することを主たる目的とするものであり、国公私立の大学が、それぞれの判断と創意工夫に基づき適切に利用することにより、大学教育を受けるにふさわしい能力・適性等を多面的に判定することに資するために実施するものです」
(3)上の引用部分は、いかにも官僚の作文らしい抜け目のないものです。確かに、科目数が多く、選択できる外国語も英語だけではありませんが、2日間の試験(しかも、選択肢から答を選ぶ「客観テスト」だけ)で、「大学教育を受けるにふさわしい能力・適正等を多面的に判定する」ことができるのかと疑問に思います。各大学が独自に行う「二次試験」と合わせて合否を判定することを前提にしているのでしょうが、それなら最初から各大学に任せた方が、受験生にはすっきりするはずです。
(4)昭和49年(1974)に、「センター試験」の前身の「共通1次試験」が始まったのは、それぞれの大学に出題を任せておくと「難問、奇問が多くなり、受験生に不要な負担をかける」という苦情が高校から文部省に多数寄せられたので、それに応えるためだったのです。「共通1次」にしても、現在の「入試センター試験」にしても、英語の語彙数などは、「4千語レベル」(何を基準にするかにもよりますが)を守っていることは確かです。前回で取り上げた例のように、”to call the shots”(指揮をとる)の意味を問う問題がありますが、文脈で推測できるようにしてあります。しかし、客観テストの形式ですと、誤答を消去法で排除することがある程度できますから、本当の“英語力”を多面的に判定することにはならないと思います。
(5)それぞれの大学には、特に私学には、入学した学生をどういう人間に育てるのかという目標があるわけですから、大学が独自の試験を実施することが望ましいわけです。センター入試の制度は、「大学は信用できない」という不信感から始まったものですから、多くの矛盾が生じてくるのだと思います。一方、大学の教育改革がなぜ困難なのかについては、私は、2011年の10月、11月のブログで、2回論じています。要するに「大学」は、外部からは伺い知ることの困難な“閉鎖社会”なのです。
(6)入学希望者を集めるのに苦労している大学が、「センター入試」を必修にするのは全く時間と労力の無駄でしょう。運転免許取得のための学科試験のように、高校卒業生や卒業見込みの生徒は、現住所の近くで「センター試験」をいつでも受けられるようにするのも1つの方法かも知れません。「どこで、誰が管理して」という大きな問題が残りますが。
(7)監督者(主に大学教員)については、「共通1次」の頃から、全く信用されていませんでした。必要な問題の冊子を配り忘れたり、答案を集めそこなったりと、いつも問題が生じています。「人間不信」から始まれば、「人間不信」に終わるものです。不注意だけではなく、倫理観や道徳意識の低下が障害になっているとしたら、私には良い解決策が浮かびません。どうしたらよいでしょうか。(この回終り)
浅野式現代でたらめ用語辞典(再開その12)
「フェイスブック」
実名で登録するソーシャルインターネット通信の1種で、特定の会社の製品名。昔の同級生の存在が分かって久しぶりで再会出来たといった利点もありますが、悪用されることもあります。
知ったかぶり老人:フェイスブックね。これはな、犯人などの手配写真のことじゃよ。わしは交番の前を通る時はよくポスターを見て、逮捕に協力したいと思っておる。
中学生ギャル:私のお姉ちゃんは、フェイスブックで知り合った男と付き合っているよ。どんどん仲間が増えるみたい。私も入りたいけど、お母ちゃんがケータイも買ってくれないんだ。
くそ真面目男子大学生:インターネットを利用する機器は、長所もあれば弱点もあるものです。要するに、利用する側の心構え1つです。機器のせいにしてはいけないと思います。(この回終り)
「英語教育批評」(その64)(センター入試の問題)
(1)センター試験の問題を論じるには、少なくても、① 出題される問題の適否 ② 制度としての諸問題という2つの視点が必要だと思います。今回は、 ① について考えることにします。対象とする問題は追試などではなく、最初に実施されたものとします。
(2)第1問 A は、下線を引いた1文字が、同じ音を表すか否かを判断するものです。① generate ② genius ③ medium ④ meter では、もちろん① を選べば正解になるわけですが、私は、中高の英語の授業で、こうした観点からどういう指導がされているのかが気になりました。
(3)日本の敗戦の直前(1943)でしたが、私は旧制中学に入学する前に「アルファベット」を覚えて得意になっていました。しかし、「S(エス)」と覚えた文字が、”say” にしろ、”speak” にしろ、「エス」とは言わないことを不思議に思ったのでした。英語の先生は、「文字の呼び方と、単語の中での読み方は違うのだよ」と答えてくれましたが、納得は出来ませんでした。国語の先生が、「私は…と言う時の“は”は、“わ”という音になる」と言われた時には、文字と実際の発音は違うということは分かりましたが、もやもやした気持ちが残ったのは同じでした。
(4)「“字母”は前後関係で発音が変わる」わけですが、問2の、① basic ② insurance ③ serious ④ symbol のうち、② を選ばせるものなどは、あまり意味がないと私は考えます。高校での授業の際に、”insurance” という単語が出てきたら、まず正しい発音を真似させて、意味を確認することが主眼であってよいと思います。”s” という文字がどう発音されるかを考えさせるのは、生徒の学習負担を増すだけの些細な問題だからです。
(5)「アクセントの問題」では、入試センターは、「音節」という用語を避けて、「第一アクセント(第一強勢)の位置が他と異なるものを選べ」としていますが、教室の指導では、「音節」という用語を使用している場合が多いと思います。しかし、英語の場合の「音節」という概念は、日本人には結構分かりにくいものです。センター入試では、「話すこと(speaking)」の試験ができないので、“発音に関するペーパーテスト”を出題するのでしょうが、私は止めるべきだと思います。
(6)作文力を試す問題では、第2問の問4は次のような会話文です。
Eric’s friends, Minoru and Sachiko, will be here at seven this evening. He (空所)doing his homework by then.
① has been finished ② has finished ③ will have finished ④ would finish
これなどは、「未来完了形」を無理に使わせる問題で、受験生に無駄な負担を課すための悪問だと思います。私の考えでは、“未来完了形”は、読む教材の中で出てきたら、意味が分かればよい程度の文法事項です。英文法の参考書は複雑な使用条件を示していますが、その1つには、「未来形で代用出来る場合がある」とあります。
(7)第3問は、会話の中で使われている “to call the shots” の意味を問うものですが、その選択肢は、① ask questions ② avoid trouble ③ have control ④ make friends です。私が受験生ならば、”to call the shots”(指揮をとる) の意味を知らなくても選択肢から消去法で正解を選べたであろうと思います。入試センターは、何故こういう出題の素材を「会話」にするのでしょうか。文科省の「コミュニケーション重視の話せる英語教育」の方針に迎合するためとしか思えません。「実用的な即効性」を求めるだけでは日本の英語教育は効果ないと思います。(この回終り)
浅野式現代でたらめ用語辞典(再開その11)
安倍内閣の景気対策は、“安倍ノミックス”などと言われています。こんな用語がマスコミで平気で使われるのもおかしいですが、庶民にはよく分かるのでしょうか。
知ったかぶり男性老人:わしだって、経済学を「エコノミックス」と言うことくらい知っとるよ。しかし、“安倍ノミックス”なんて、面白くもなんともない。ただの駄洒落だな。マスコミもどうかしとるよ。
中学生ギャル:今日の授業で、英語の先生に、「economics という単語を知っているか」と言われた。そんなの知っているはずないよ。この先生は話題にした単語は必ず試験に出すんだ。マスコミもいい加減にしてもらいたいよ。
くそ真面目男子大学生:英語で言えば格好いい、と思っている人たちが世の中には多過ぎます。なぜちゃんとした日本語や漢字を使わないのでしょうか。私は、economics は主語に使っても単数扱いであることまで調べました。英語は英語として勉強すべきだと思います。(この回終り)
「英語教育批評」(その63)(語彙指導の問題)
(1)「英語教育」誌(大修館書店)の2013年2月号の特集は、「プラスαの語彙指導」です。「語彙指導はあらゆる機会を捉えて実践すべきこと」というのが私の長い経験から得た原則です。ですから、「プラスα」というのはどういう意味なのかは、私にはちょっと分からなかったのです。この特集の表紙には、「新学習指導要領下で履修する単語数が増え、またコミュニカティブな授業を進める上で、知っているだけではなく使える語彙も増やすことが求められている」(後半省略)とあります。
(2)私は、学習指導要領(英語)の語彙指導に関する記述は、無責任なもので、ほとんど意識する必要がないと日頃から考えています。どういう点が無責任かと言えば、「数だけを指定して、その意味や用法に関しては触れていない」からです。それならば、「中学校3年間でおよそ1,500語」くらいの指定でよいのではないでしょうか。単語だけを丸暗記させるわけではないのですから、教材(主として検定教科書)の文脈に応じて、必要な意味や用法を指導すればよいと思います。
(3)特集の冒頭の記事は、相沢 一美(東京電機大)「新指導要領下の語彙指導をどう進めるか」ですが、中学校用の検定教科書、全6種類の使用語彙数を平成23年度用までと24年度用と比較した表を示してあります。それによりますと、増加率は最大74.65%から、最低25.68%まであって、平均すると45%くらいになるようです。これはかなりの増加と考えていいでしょう。だとしたら、教科書そのものをもっとページ数の多い内容の豊かなものにすべきだと思います。器の大きさだけ制限しておいて、語彙だけ詰め込んでも活用出来る語彙力が身に付くとはとても思えません。
(4)相沢氏の記事は、細かい配慮のある指導方法を説いてはいますが、語彙力は主として「読む教材」つまり教科書の内容に大きく左右されますから、一般論的な留意点は、現場の指導にはあまり役に立たないように感じます。このことは、他の記事、笠原 究(北海道教育大)「『英語で行う授業』における+αの語彙指導」、田畑 光義(千葉県香取市立小見川中)「ライティングで使える語彙を増やす」、及び星野 眞博(新潟県立長岡大手高校)「単語小テストでリスニングの『筋トレ』を」などにも言えることで、いずれも指導方法の工夫としては私には異論はありません。ただし、こういう記事内容であれば、特集記事のタイトルとしては、「中高生の英語語彙を増やすための指導法のいろいろ」などのほうが分かりやすかったのではないかと思いました。
(5)教科書と直接関係の無い場合としては、英語での挨拶の後で、教師が、”There was a big earthquake last night. Did you notice it?” などと切り出せば、多くの生徒が関心を示すでしょう。「earthquake」 という単語が未習であれば、板書をして、”earth” や “quake” の意味を確かめるとよいでしょう。さらに、生徒は、「“余震”は何て言うのですか」などと質問するかも知れません。教師はそういう質問を予想して、”aftershock(s) のような単語を調べておくべきでしょう。こういうことは指導要領とは関係の無いことです。
(6)もう1度繰り返しますが、語彙指導に関しては、中高の学習指導要領(英語)のことを前提にしないほうが良いと私は思います。指導要領を視野に入れて論じたいのであれば、その問題点を批判するような姿勢を私は期待したいと思います。(この回終り)