言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野式辞典:「ほわいとからー・いぐぜんぷしょん」(ホワイトカラー・イグゼンプション)

Posted on 2006年12月29日

「カラー (color)」は「色」で、「イグゼンプション」は「除外」だ。したがって、「白人を締め出す新たな人種差別」のこと。えっ、違う?「カラー」は「襟 (collar)」のことだって?それじゃ、「白いシャツの襟だけ色を変えるファッション」のことだ。それも違う?そんな面倒なカタカナ語は使うな!

 ★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★

浅野:英語教育批評:英語テストのあり方

Posted on 2006年12月18日

 前回は、「英語のテストの結果が40 点や50 点でよいではないか」と主張したが、これは実践はしにくい。テスト結果が悪いのは先生の教え方が悪いからだと非難され、学校の評価を下げると猛反対を受けることになろう。ではどうしたらよいのか?
 粉飾決算のように結果をごまかしたくないので、まず出題の方法を工夫することを考えたい。テスティングについては、理論的な研究や問題作成技術を教える参考書も少なくない。そういう本で勉強することも必要だが、まずやるべきことは、指導項目の重要性の軽重を判断することだ。中学1,2年生の場合は、毎時間が新しい事項の導入とドリルに追われ、息つくひまもない。ろくに音声ドリルを受けないで、単語の意味やスペリングを覚えさせられるのはつらいことだ。また「3単現の (e)s」、およびその否定文、疑問文などは、1,2時間の扱いで身につくものではないのだから、誤解を恐れずに言えば、「いいかげんにして、先に進む」ほうが生徒も喜ぶ。3年間の長期目標にして、達成率が60%を越えれば上出来であろう。ただし、こういう軽重のある長期指導計画は、一人の判断では偏りも出るから、校内の仲間と、あるいは地域の研究グループ内で相談して、全体計画を作ることが望ましい。
 試験問題の方式としては、「次の空所に下の単語を正しい形にして入れなさい」といった問題は止めることだ。代わりに「次の絵を見て、その内容を説明する英文を3つ以上書きなさい」といったものにする。採点の際には、瑣末的な間違いは重視しないで、英文が大体通じるなら、5点満点なら3点か4点を与えるのである。これは1つのヒントに過ぎないので、まだまだテスト方法には工夫の余地があると思う。そして大事なことは、ドリルの方法とテストの方法をやたらと混同しないことだ。
(浅野 博)

浅野式辞典:「きょうこうさいけつ」(強行採決)

Posted on 2006年12月15日

 実は「強行採血」と書く。自発的な献血では間に合わなくなって、国民すべての成人に献血を義務付ける法律が強行採決でできた。その時活躍したプロレス出身の議員がまず採血されたそうだ。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★

浅野式辞典:「とらんすしぼうさん」(トランス脂肪酸)

Posted on 2006年12月13日

 多くのサラリーマンや OL が勤務時間中に雑談して売る「油」のこと。他人に害を与えると、アメリカ政府は規制に乗り出したが、「井戸端会議」以来、日本ではこういう「油」には寛容だ。もっとも、食用油については、健康に良いことを売りにしているものが増えてきている。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★

浅野:英語教育批評:「試行錯誤」について

Posted on 2006年12月11日

 この四文字熟語は、大学生でも知らない者が増えているようだが、「試行」は「試しにやってみること」で、「錯誤」は「間違えること」だ。もちろん、それだけではなく、「うまくいかなければ、繰り返しやってみる」とか「別の方法を試してみる」といった含みがある。英語のby trial and error も同様だ。
 このことを最も実感できる場合の1つが第2言語(外国語)の学習であろう。いや、母語の習得さえも試行錯誤の結果なのだ。だから、「中間言語」という目標言語から見ると不完全なものが存在意義を持ち、研究対象になるのである。
 これは英語教育界ではとうに常識になっているはずだが、現実はそうではないらしい。「誤り」を許さない英語教師が多いようだ。「間違えること」が前提ならば、中間試験や期末試験が40点や50点でもいいではないか。野球の打率なんか、3割を超えれば立派な打者だ。ところが「複数形や3・単・現のes をつけなかった」「冠詞の使い方を間違った」といったことで点を引かれるのが英語のテストだ。こういう間違いを許したのでは、いつまでも正確な英語にならないという反論もあろうが、日頃の授業で厳しくドリルすればよいのだ。ろくなドリルもしないで、試験で厳しくするなんて詐欺みたいなものだ。(かなりドリルをしたって、完璧は期しがたいのだから。)
 教師ばかりでなく、親も試験の点数には神経質なようだ。テストの成績が悪いことを叱られると、子どもがキレて親を殺すような不幸が生じている。「試行錯誤」を許さなければ、英語の力もつかないし、不幸が広がるばかりだ。これはあまり感心しないが、安倍首相は「再チャレンジ」を謳い、過ちをおかした造反議員の復党を早々に許したではないか。
(浅 野 博)