言語情報ブログ 語学教育を考える

ことばに対する認識を変える(「文化の相違」の問題の深さを認識し,問題追及型学習への地道な努力を傾けたい)

Posted on 2009年12月9日

日本の会社などでも今ではプレゼンが広く行われていますが,人の話に反論し,回答をもらってもさらに反論したりすれば,変な奴だと思われるでしょう。

また,今風の学生たちにしても,1年先輩と話すときには,「はい,はい!出席します。すいません。」などと,先生に対するよりもていねいな言葉遣いをしたりしますね。

これでは,本来の意味での「追求学習」は難しいでしょう。人は対等であって,だれに対するときも言葉の形式はそれほど違わない,ということでないと正しい意味での話し合いはできないでしょう。反論に反論を繰り返すと,まわり中から「KY」の視線を受けて終わりでは,追及型学習は望めないでしょう。
(村田 年)

浅野式辞典:「そうしょくだんし」(草食男子)

Posted on 2009年12月8日

 結婚相手として「やさしい男性」がよいという多くの女性の願望が実って誕生した「やさしい男の子」のこと。「肉食男子」とは大違いで、イケメンではあるが、華奢で、肝心な結婚しようという意欲すらない。少子化対策もオリンピック招致も無意味にする存在。

日本の小学校教育(「文化の相違」の問題の深さを認識し,問題追及型学習への地道な努力を傾けたい)

Posted on 2009年12月4日

日本の小学校教育は全人教育を目指していました。学校の目標は「元気で遊ぶ」「協力し合う」「思いやりのある子」などであり,日直や当番制があり,毎日のように反省会がありました。
ホームルームを大事にし,「男子が掃除しなくて困る」といった問題を子供たちに解決させました。しつけも相当程度まで学校でなされていました。習熟度別クラス編成でなく,相当人数が
多くてもそれこそが社会教育なのだと考えてきました。これはアメリカの研究者の大きな称賛を受けていたそうです。(土居健郎,キャサリン・ルイスほか『甘えと教育と日本文化』PHP, 2005)

それが昨今の「学力国際比較」「全国統一学力テスト」などによって大阪府のような習熟度別クラス編成,テストに向けての強化学習が行われ,小学校教育の良さをダメにしつつあります。
中学・高校のような受験体制に向かうより従来の小学校教育の方が問題追及学習や人間教育に合っていると言えるでしょう。
国内の学力比較がやかましく言われる今の状況は,悪い方向へ向かっているとの見方もできるでしょう。
(村田 年)

浅野:英語教育批評:「英語教育と日本語ブーム」

Posted on 2009年12月2日

(1)今は日本語ブームだと言われる。テレビのクイズ番組などでも日本語がよく取り上げられる。しかし、「日本語ブームは数年に一度到来する」と書いた月刊誌があった。2002年発行の『望星』十月号(東海教育研究所)で、発売は東海大学出版会である。ここは単行本も数多く出版している。
(2)この号の特集は「『日本語ブーム』の功と罪」で、冒頭は、方言詩人の伊奈かっぺい氏のインタービュー記事になっている。その最初の見出しは「『正しい日本語』が方言を圧殺する?」となっていて、伊奈氏は、方言は書き言葉には馴染まないことや、書き言葉に多い「共通語」が方言を駆逐する危険があることを指摘している。一方では、書き言葉としての共通語は「曖昧でないこと」が本来の使命のはずなのに、法律の文章などは拡大解釈が可能な言い方が多いとも述べている。
(3)伊奈氏は「方言は曖昧な表現の宝庫」として、1つの例として、東北弁の「もつけ」を挙げている。これは強いて共通語にすれば「愛すべきバカ」で、大阪の「アホ」に似ていると言う。さらに、「曖昧は日本の文化」だとも。これに対して「正しい英語」を教えようとしている英語教師はどういう反応を示すべきであろうか。「とんでもない」と一蹴してよい問題であろうか。
(4)この雑誌では、名古屋大学教授の坪井秀人氏が、「日本語ブーム」の「罪」を論じている。それは国語や英語における「朗読の勧め」であるとする。朗読のすべてを否定しているわけではないが、主体性がなく、文科省の方針に指導方針の裏に見られる保守的で反動的な空気を読めない教師への警告にもなっている。
(5)英語のような外国語を身につけようとしたら、「音声」は必須条件であろう。ただし、会話の練習をさせた後で、その英語が印刷されたテキストを無目的に音読させている英語教師は多いのではなかろうか。しかも、録音教材やネイティブ・スピーカーの後について読ませたりしている。これは本末転倒であろう。
(6)曖昧さを好む日本人には、議論は馴染まない。現在盛んな政治論議にしても、ノーベル賞受賞者やオリンピックのメダル受賞者などが、予算削減に反対して、抗議や陳情をしても、議論は挑んでいない。だれもが納得できるような説明もしない。そういう部分があっても、マスコミはほとんど取り上げない。こんな「日本語のあり方」をもっと意識して英語教師は毎日の授業に臨むべきであろう。(浅 野 博)

親のやるべきこと(「文化の相違」の問題の深さを認識し,問題追及型学習への地道な努力を傾けたい)

Posted on 2009年12月2日

同じアンケート調査によると,日米における高校生の「徳性」に大きな差があるようです。

例えば,「次の事柄について母親から影響を受けたか」について
1.自分の責任を果たす(日32.3%,米75.7%)
2.自分が損をしても正しいことをする(日24.3%,米68.0%)
この調査を見ると,アメリカの高校生はほぼ全項目にわたって,母親から,また父親から道徳的な影響を強く受けていると答えています。また,
3.親に反抗すること ― 本人の自由でしてよい(日84.7%,16.1%)

このように日本の高校生は多くの項目において「本人の勝手でしょ」といった傾向が強く,親の子に対する躾が読み取れません。アメリカでは,日曜日に教会に行くという習慣が相当崩れてしまった親子であっても宗教的な締め付けはきついようです。子の行いは親の責任と強く意識しているようですね。

日本の場合は,宗教的な歯止めはなく,親の権威は地に落ち,子供を躾けることはできなくなっています。日本の文化が「やさしさ,おもいやり」「他との調和」などを大事にしていて,きつく子供を躾けることができなくなってしまったのでしょう。しかし,道徳でもなんでもすべて学校に任せる,ではだめですね。親が子供のことは責任を持ってやらないといけないでしょう。

(アンケート調査の数字自体にも問題はないわけではありません。日本の高校生は恥ずかしがって,「正直であれ」との躾を父母からよく受けた,などと答えることができないといった面も確かにあります。が,それを差し引いても「躾のなさ」は目立ちます。)
(村田 年)