言語情報ブログ 語学教育を考える

生徒の「際立つ勉強離れ」は止められるか  1.勉強離れが際立つ日本

Posted on 2009年10月23日

 少し古い記事ですが,2006年3月2日の『読売新聞』朝刊の「高校生意識調査」は衝撃的でした。「どんなタイプの生徒になりたいか」の質問に日本の高校生は「クラスのみんなに好かれる生徒」が断然トップで,「リーダーシップの強い生徒」「正義感の強い生徒」が一位の米国,中国,韓国の生徒と大きく異なっていました。

「現在大事にしていること」に対しても,米,中国,韓国は「成績がよくなること」「希望の大学に入ること」が上位だが,日本は30%程度でした。「いい大学に入れるよう頑張りたいか」に対しても「まったくそう思う」は25%で,中国,韓国とは大きく異なっていました。

全体に日本の高校1年生は最も冷めていて,ここから見えてくるのは,その日,その日を楽に,楽しく暮らす,といった,志が非常に低い若者の姿です。社会が変わり,子供の意識が急激に変わりつつある現状に,おとな,親,先生の意識が追いつかない。建前としても学校,勉強を有難がる風潮はなくなりつつあり,その変化は諸外国に比べて大きく,しかも急激であるということです。
(村田 年)

浅野:英語教育批評:「音読指導」について

Posted on 2009年10月20日

(1)「英語教育」(大修館書店)2009年11月号は「音読でどんな力を伸ばすか」を特集している。12名の筆者が、考え方、指導技術、実践報告に腕を競っている。ただし、私としてはいつものように注文をつけたい点がある。
(2)まず一読して感じるのは専門用語の多さである。筆者の何人かは研究紀要のつもりで書いているのではないかと疑いたくなるくらい専門的である。前にも述べたように、雑誌の主な使命は啓蒙記事にある。経験の短い教員や教員志望の大学生などにもかなり読めるものであってほしい。
(3)例えば、次のような用語を知っていなければ、雑誌の記事が読めないというのでは問題ではなかろうか。
 「スキーマ」「談話」「シャドウイング」「イチゴ読み」「バズリーディング」「クローズ音読」 ”Read and Look Up” などおよそ30以上。
参考文献にも簡単に参考できないと思われるものが少なくない。紀要論文に言及してはいけないと言うつもりはないが、それならば、連載記事の「海外新刊紹介」や「英語教育研究と実践」のような親切な解説がほしいと思う。
(4)高校生が知らない単語が1ページに30以上もあると、読むのをあきらめてしまうように、あまり知らない専門用語の多い記事は読まれないであろう。テーマによっては専門用語が多くなる場合もあろう。そういう場合は、「キーワード解説」のようなページを設けるのも1つの方法だ。または、『英語教授法辞典』や『英語教育用語辞典』のような書物を紹介して、勉強を促すのも必要であろうが、こういう書物にも印刷物としての限界があるのである。
(5)音声重視の特集をしても、Question Box は、相変わらず細かい語法の問題を論じている。もちろん語法研究も大切だが、このところ発音に関する質問が扱われた記憶がない。「若い教員は発音記号も読めないから発音など関心がないですよ」という声を聞いたことがある。事実としたらとんでもないことだ。
(6)特集の記事の中には、カタカナ表記に言及しているものもあるし、高校生用の英和辞典でも「カナ表記」を併用しているものが増えているが、問題点はたくさんある。現在の英語教育は、何か歯車がくいちがったままで、回転しているように思えてならない。(浅 野 博)

浅野:英語教育批評:「ことばの品格」ということ

Posted on 2009年10月15日

(1)『国家の品格』とか『女性の品格』という本がよく売れて話題になってから4年ほど経つが、国家も女性も「品が良くなった」とはとても思えない。前にも言ったことがあるが、「本が売れることと、読まれることは別のこと」であり、「読まれることと、その内容の実践は別のこと」なのである。
(2)誰かが「ことばの品格」という本を書いて、よく売れたとしても結果は同じであろう。しかし、「品格のある言葉」(以下「言葉」と表記)とは何かを考えておくことは必要だと思う。まず考えられるのは、「文法的に正確な言葉」であろう。しかし、「どういう文法か」という問題が生じる。言葉と同じように文法も時代に応じて変化をするから、答えるのは簡単ではない。
(3)NHKが深夜から早朝まで放送している番組に「ラジオ深夜便」がある。ときどき、キャスターとファンとの集いがあって、その様子が放送される。60代、70代の人の発言を聞くと、敬語や謙譲語を正確に使っていて、話し言葉でも正しく使えるのだと安心感を覚えた。こういうのを「品格のある言葉」と呼んでいいと思う。
(4)日本語は、漢字を導入するまでは、話し言葉だけだったわけである。中国から漢字を借用して、やがて、日本人の知恵で「カタカナ」や「ひらがな」が創られて、見事な言語文化が誕生したわけだ。しかし、『日本語の歴史』(岩波新書、2006)の著者、山口仲美氏は次のように述べている。

 日本語の表記が世界でも稀なほど複雑なのは、一つの漢字に複数の読み方をするような受け入れ方をしたところから生じてしまったのです。日本最古の歴史書『古事記』は、漢字を辿ると意味は分かるけれど、声に出して読もうとすると、読めない(p. 21)。

(5)表音文字のアルファベットを使う英語では、「読めても意味が分かりにくい」ということになる。どちらも学習者には難しいのだ。この困難を克服するには、教え方の工夫が大切だと思う。そして、異言語話者の使う異言語は、多少ぎこちなさがあっても、「ていねいな言葉」がよい。それが、その異言語の非母語話者としての「品格のある言葉」であるというのが私の持論である。(浅 野 博)

浅野式辞典:「だんじょべっせい」(男女別姓)

Posted on 2009年10月13日

おバカさんキャラが言うには:
「男と女の性が違うなんて当たり前じゃん」
「ホモの人が元の性に戻ることだよ」
「男女同性なんていうのもありかな?だったら競技で性別が問題にならなくていいのに」

浅野:英語教育批評:湯川秀樹博士から学ぶ英語教育のこと

Posted on 2009年10月8日

(1友人の村田年さん(むらた・みのる、千葉大名誉教授)が、湯川博士の日記を丹念に読まれて、そのコメントをメールで配信されたものを読む機会を得た。こういう古いものから現代的な問題を考えること、すなわち温故知新は、私も必要だと思うので、言及、引用させて頂くことにした。
(2)このノーベル賞受賞者の逸話の中でも、私は次の2つのことに特に興味を覚えた。
① 博士は自宅にも小さな黒板を用意していて、教え子や友人たちと、そこへ数式を書きながら、よく話し合いをしたということ。
② 博士は、研究室の扉はいつも開け放していて、誰でも気軽に入れるようにしたり、お互いに「先生」と呼ぶのは止めようと提案したりしたということ。
(3)湯川博士は、決して明るい社交的な性格ではなく、授業の講義はぼそぼそと自分に語りかけるような話し方で、分かりやすいものではなかったようだ。むしろ教え子や友人に恵まれたと言うべきなのであろう。しかし、真面目で研究熱心なので、欧米の大学にも招かれて英語で講演や講義をしているが、英語力にも自信を持っていたようである。
(4)村田さんは、博士のリスニング力、スピーキング力について、次のように書いている。

湯川の出身中学は、名門京都一中なので、もしかしたらネイティブ・スピーカーの教員がいて、最初から本物のイギリス英語を聞いたかも知れない。名門三高においてはおそらくネイティブに習ったのではないだろうか。そのような記述はどこにも見つからなかったが。
 大学に入り、ドイツ人教師が英語で物理の授業をするのを聞いて、思っていたよりよくわかった、やさしかったと湯川も朝永(振一郎)も言っている。

(5)旧制高校の外国語の教え方は「文法訳読式」が主流だった。それでも、社会に出てから役に立つのは、そういう学習が基本的な力として機能していたし、本人の自律的な努力もあったからと考えられる。外国語学習は「急がば廻れ」ではなかろうか。今は教育全体が結果を急ぎすぎるようだ。「英語でコミュニケーションを」と言いながら、教員同士の「話し合い」も十分ではないと思われる。
(6)村田さんからの情報と関係ないが、インターネットで検索すると、「湯川秀樹 国賊」という項目もある。戦時中に軍部の圧力で、理化学研究所は原子爆弾の開発をさせられたが、その資料を研究補助員だった湯川がアメリカに売り渡したというのである。その見返りにユダヤ系白人が支配しているノーベル賞を戦後東洋人の湯川に与えたのだとも。週刊誌のある種の記事のように、「まゆつば」で読む必要があると思う。(浅 野 博)