言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野:英語教育批評:テレビ娯楽番組の教え(?)

Posted on 2007年2月5日

 正月のテレビでは、芸能人の「かくし芸」を見せる。“タレント”に芸があるのは当然だが、中には、必死に練習を重ねて、新しい立派な芸を見せるものがあった。中高生がこういう番組を見て、「英語もあのように必死に練習すればうまくなるのだ」と悟ってくれれば上出来だが、こんなまともな教訓さえ読み取れない若者が多いのが今の日本であろう。
 ついでに悪影響があると思う番組を指摘しておきたい。“タレント”たちが「いじめ」の見本を示しているものが結構多い。何かやったあとの「罰ゲーム」などは、「いじめ」そのものだ。「どっきりカメラ」もタレントを(時に素人を)だましたり、驚かせたりする。生徒は、そのまま真似をしなくても、他人を「からかう」とか、「だます」のを当然と考えてしまう。「海外ではもっとどぎついものがある」という言い訳を聞いたことがあるが、日本の視聴者を考えるべきで、外国のことは基準にはならない。最初に述べたように、特に日本の若者はまともな受け取り方ができないのだから。ましてや、「いじめられ役」でじっと耐えてきたタレントの「反面教師」的な意味など理解されないだろう。
 深夜には、女性タレントたちが、ふつうならとても公開できないような恥をかいた話をして、だれが一番かを競うものがあった。これでは「日本女性の品格」などあったものではない。『国家の品格』などいくら売れてもダメだ。それと、景気がよくなったせいか、海外にまで遠征して恥をさらす番組も出てきた。現地では禁止されているような危険な行為を日本のタレントが面白おかしくやって見せるものだ。バブルの頃も似たような番組があったが、もっとましだったように思う。
 視聴率ばかり気にする番組の製作者には、視聴者の顔がよく見えていないのだ。試験の結果ばかり気にする教師には生徒の顔が見えていない。いじめをする生徒の処罰方法だけを考える「教育再生会議」のメンバーにも、生徒の本当の顔が見えていないのではないか。
(浅 野 博)

浅野式辞典:「きゅうしょくひ」(給食費)

Posted on 2007年1月30日

 小中学校で「給食費」の未納が大問題になっている。「父親が休職中なもので」などと駄洒落で断る母親もいるそうだ。「給食費」と言うからいけない。「給」は「目上から目下の者へ与えること」だから、「もらって当然」と考えてしまう。「食費」なら払うのは当然で、店ならば「食い逃げ」という犯罪だ。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★

浅野:英語教育批評:大学入試センターの問題について

Posted on 2007年1月29日

 1月20日、21日の大学センター入試のうちの、英語と国語の問題をやってみた。英語は単語のレベルもだいたい4, 5千語レベル以内で、文章は概して平易だ。昭和40年代(1965−1975) 頃までは、公立中学でも英語は「週5時間」が多かったので、この程度の英文は、中学3年生が教科書で読んでいたように思う。30年後には、高校修了時のレベルになってしまった。
 本文が易しいので、設問や答の選択肢でひっかけるような意地悪なものが少なくない。これでは、本当の英語力を測っているとは言いがたい。高校や予備校の英語教員からどのような意見が出るかを待ちたい。
 国語の場合は、高校生向きの結構歯ごたえのある文章なのだが、設問と選択肢は英語よりひどいと私には思えた。例えば、小説の部分をかなり長く(5千字以上)読ませて、5題の設問に答えるものがあるが、そのうち4題は、各5つの選択肢だけで、350〜450字になる。設問の1つは、「『絹代さんにはなぜかそれがとても嬉しかった』とあるが、この部分を含む子どもたちとのやりとりを通してうかがえる『絹代さん』の心情とはどのようなものか」というものだ。私は、作者が「なぜかとても嬉しかった」と書いているのだから、「絹代さんはどういうわけかわからないが嬉しかった」のだと思うのだが、そこを執拗に分析して「嬉しかった理由」を見つけなければ、小説を読めることにはならないのだろうかと憂鬱になった。これでは、国語を好きになる生徒が少ないのも無理はない。客観テストでは、選択肢を作るのが非常に難しいのもわかるが、“微妙な”違いのある、似たような長い文章をいくつも読まされるのはつらいものだ。
 それとは別に1つ注文したいのは、長文の素材で、漢字の読みや短い語句の意味を問うのは止めてもらいたいことだ。傍線や記号がやたらと多くなるし、設問から戻って、その箇所を探すのも楽ではない。読ませたいなら、なるべく読みやすい形で提示すべきではないか。
(浅 野 博)

浅野:英語教育批評:英語教育とコンピュータ(2)

Posted on 2007年1月23日

 コンピュータの機能が、テープレコーダーやこれまでのテレビと違うのは、人間の反応[応答]にある程度対応できることである。そうなると、教師の役目はどうなるかという問題が生じる。そして、コンピュータ(以下 PC)による学習は、一斉授業ではなく、自学自習向きではないかと考えたくなる。現に、幼児から成人向きのコンピュータ自習教材はたくさん売り出されている。
 私は、1990年頃からこうした疑問を抱きながら、PC による英語教育の実践もしてみた。単純なソフト(教材)では、「書き取り」がある。再生の繰り返しはTR より便利だし、学生は懸命に書き取ろうとする。ノートに書き取るのではなく、キーボードから打ち込めば、スペリングの間違いも指摘してもらえる。一方、簡単な操作で「正答」を見ることもできるから、怠ける学生はそれを写してしまう。学習者の画面を教師側から制御できるようにすることも可能だが、そうすると学生によって学習速度が違うので、積極的に先へ進もうとする者の意欲を削ぐことになりがちである。つまり、PC学習は、学習意欲のある者には効果的だが、意欲のない学生はやはり力がつかないという“格差”を生む。いや、PC には動機付けの効果があるから、教材さえよければ、意欲のない学習者が減るはずという見方もある。このように指導面だけでも複雑な問題があるのに、前回述べたように、PC教室は管理という大きな問題がある。しかも、どの教科も使えるから1教室くらいではとても足りない。
 PC学習(CALL)を主要な研究テーマとしている外国語教育メディア学会(LET)では、非常に進んだ研究実践をしていて、論文集 Language Education and Technology No.43 (2006) には、「動機づけ」「ディクテーションとシャドーイング」などに関する研究発表が見られる。しかし、こうした資料を参考にできる中・高の教師はとても数が限られるのではないか。地道な啓蒙活動にもさらに力を入れて欲しいと思う。
(浅 野 博)

浅野式辞典:「じむしょひ」(事務所費)

Posted on 2007年1月22日

 多くの政治家は「事務諸費」と書く。つまり「事務にかかる諸費用」なのだから何に使ってもよいと考えている。でも本当は「(the) ムショ費」のことで、いずれ「刑務所」に入れられた場合の差仕入れ費用や保釈金を貯めているらしいのだ。

★★浅野式「でたらめ現代用語辞典」Asano’s Japanese Dictionary of Current Words and Phrases Flippantly Defined in Disorderly Order★★