言語情報ブログ 語学教育を考える

5.「秀才」には授業を受けさせない

Posted on 2010年10月12日

ほんとうの「秀才」は雑草と同じで,踏まれようと,折られようと水をやらず,肥料をやらなくても,強くてどんどん伸びる。雑草を鉢に取り,ていねいに手をかけると,かえってぐにゃぐにゃと伸び過ぎてダメになってしまう。「秀才」も同じだ。今までは「秀才」に手をかけ過ぎてダメにしてきたと思う。

この2割の「秀才」は専門科目の授業は受けてはならない,とする。一般教養科目,外国語,体育,他学部の専門科目などは履修してもよい,とする。(実験系の場合は多少の手当が必要である。この詳細は省く。)

「秀才」はある程度のガイダンスのあと,「自分で勉強しなさい」として,突き放す。一応指導教官の名前を告げ,ほかの先生でもアポを取って話に行くのは自由だ,とする。

「秀才」は義務として年に1本「論文」を出す。レベルは修士論文程度とする。(実際,東大の1年生のある授業のレポートには修士論文級のものがいつもいくつかあると聞いているので,これはできる。)その論文には1―2ページの英語での要旨をつける。これが英語の勉強になる。

大学院へ進みたい者は3年時で「修了試験」を受けて,大学院へ行ってしまってよい。他大学,外国の大学院へ進みたい者には推薦状を書いてやる。

4年で卒業したい者は,「卒業試験」を受ける。卒業試験と4本の論文で卒業判定をする。(このへんの科目認定の詳細は省略する。)

「秀才」には全国的な,あるいは海外の学会・研究会に入ることを勧め,会費の援助もする。研究発表も勧め,いろいろなコメントなどで秀才の「内発的な動機」を刺激したい。このようにして,「秀才」が飛躍的に伸びて,各分野で,あるいは,国際的な場で大いに力を振うことを期待したい。
(村田 年)

進行形も両義的

Posted on 2010年10月12日

  (12)Joseph is writing a dissertation.において、(現在)進行形が両義的です。まず、進行形の名前の通り、現在分詞~ing習得率の高さからも、Aの<進行>は、比較的容易に解釈可能ではないでしょうか。
A: Josephは学位論文を書いている。<進行>
  これに対して、もう一つの解釈も、容易にお分かりでしょうか。もう一つの解釈であるBを考える上で、次のXとYを考えてみましょう。
X: It will rain this afternoon.
Y: It is raining this afternoon.
Xは、未来形で、予定は未定でもないのでしょうけども、今日の午後に、雨でも雨でなくとも差し支えなく、「今日の午後、雨が降るでしょう。」と解釈されますけど、Yは、未来のことにも拘わらず、現在進行形が用いられ、今日の午後に、雨で当然で、雨でないと具合が宜しくなくて、「今日の午後、雨が降ることになります。」と、雨の蓋然性が高いということが含意されます。Xが<未来>なら、Yは<近未来>です。(12)のもう一つの解釈は、B<近未来>と考えられます。
B: Josephは学位論文を書くことになる。<近未来>
  現在分詞が使われる進行形に、A<進行>ばかりでなくB<近未来>の解釈もあることは、すぐにご理解できますでしょうか。現在分詞の進行形に『未完了』という意味が通低していると考えますと、B<近未来>もA<進行>と同類と理解し易いでしょう。では、過去分詞の完了形に通低するのはどんな意味『?』でしょうか、稿を改めなければなりません。
  次回は、次の(13)で、両義性に構文が関連することを、念頭にお考え下さい。
(13)The statesman has plans to leave.

4.2割は秀才

Posted on 2010年10月9日

東大のある先生方はおっしゃる。入ってくる学生の2割はほんとうに「秀才」で,これはどうやっても,放っておいても伸びて行く。あとは普通です。普通の人が3000人,4000人と入ってくるだけですよと。

この「2割は秀才」の考えに立つと,おもしろいことに,千葉大程度の大学にも1-2割は「秀才」と言える学生がいる。どこの大学にも1,2割はできのいい,また前向きでほれぼれするような学生がいるものだ。このどこの大学にもいる「秀才」の扱いを変えたらどうであろうか。それを提案したい。
(村田 年)

3.「秀才」― 好奇心と動機,そして学習

Posted on 2010年10月6日

元来,子供は好奇心のかたまりで,「なぜ?」「どうして?どうして?」と聞くのが当たり前だ。これを「うるさい!」などと言わずに,うまく扱うのが大人の務めだ,などとよく言われる。

しからば,どのような教育形態がいいのだろうか。客観テストなどのクイズ―解答方式は,ほとんどすべての子供ができるようになる効果的な教授形態のように見えるが,実はこれはブロイラー工場のニワトリ飼育方式とよく似ていて,全生徒を一定レベルに手早く仕上げる効果はあるが,一方では好奇心や動機をどんどん殺しているのである。

「外発的動機」がある。これは外部から先生,親,社会などがこれを勉強するようにと生徒に迫るわけである。この項目は重要だから,点数を上げよう,受験がある,就職のために,といった外圧によって勉強するわけである。私たち日本の教育はこの「外発的動機」で勉強させる体制がほかの国々より大きいようで,これで学習国際比較の理科・数学の点数がかつて世界トップであったのだと思って間違いないであろう。

明治時代から戦後の復興期,昭和45(1970)年ぐらいまではこれでよかった。促成栽培で,どんどん優秀な働き手を世に出していけた。しかし,「外発的動機」が過ぎると,それは「内発的動機」を押し殺してしまう。社会が豊かになり,外発的動機はだんだんと威力を失ってきた。かといってすぐに内発的動機が強くなることはなかった。ここに日本の教育の前途への大きな壁があったが,これに気がつかない指導者が多かったし,今でも多い。

「内発的動機」すなわち,生徒個人の内側から湧き出てくる好奇心を大事にし,その好奇心を満たすべく,自主的に,生徒が主体性をもって勉強していく。こういった方向へと欧米の教育は,1960年頃から変わり始めていたが,日本は相変わらず,効率のよいブロイラー方式で,安上がりに教育することでよしとしてきた。

子供の素朴な内発的動機に外発的な動機を加味し,さらに高度な内発的動機にもっていくことが大事で,外圧と内圧とをうまく混ぜ合わせて指導していくのが一番よいのだが,われわれの場合外圧に頼り過ぎているのが現状だ。
(村田 年)

助動詞mustの両義性

Posted on 2010年10月5日

 (11)Simon must be polite.における、助動詞mustの両義性は、(11)に対応する否定文が2つあることに反映されます。
X: Simon mustn’t be polite.
Y: Simon cannot be polite.
  形容詞politeは、「礼儀正しい」という意味に解釈できますから、XとYに対応する(11)の両義性は、それぞれ、次のAとBになります。
A: Simonは、礼儀正しくなければならない。
B: Simonは、礼儀正しいに違いない。
  普通、politeが「礼儀正しい」という肯定的な意味で、(11)はAとBとで両義的ですが、politeが「堅苦しい」という否定的な意味では、Aの方ではなくBの方の解釈に限られます。
  次回は、次の(12)で、英語ではお馴染み…ingが関連しておりますが、一方だけではない、両方の解釈を、試みて下さい。
(12)Joseph is writing a dissertation.