言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野:英語教育批評:「小学校の英語教育」について

Posted on 2010年10月21日

(1)「英語教育」(大修館書店、2010年11月号)の特集は、「<施行直前>小学校外国語活動~見えてきた課題を明日に活かす~」である。読者の中には、「すでに実施されているのではないか」とか「何が施行されるのか」といった疑問を持つ人もいるであろう。しかし、特集の最初の記事は、高橋一幸(神奈川大学)の「『英語ノート』をどう活用するか―その長所と問題点を踏まえて―」である。特集では「外国語活動」と言っているのに、「英語教育」にすり替わっているのである。

(2)2つ目の記事は、梅本龍多(関西大学初等部)「電子黒板の機能を効果的に活用する工夫」で、これも「英語を教える指導法と教材」の解説である。「電子黒板」を有効に活用するのは、現在の多くの教員の勤務条件を考慮すると大変なことであることは、前にも私は指摘したことがある。いずれにしても、この記事も「特集記事」にはふさわしくないように思う。

(3)その他の記事も、「評価方法」「ティーム・ティーチング」をテーマにしていて、「外国語活動」とは関係が薄くなっている。だいたい「指導要領」の用語のごまかしに騙されてはいけないのだ。現実的に、英語が大切であり、英語教育を学習年齢の早い時期から始めたい、と望むのであれば、文科省も堂々とそう主張をすればよいではないか。言葉によるごまかしは、一部政治家の発言だけでご免に願いたい。

(4)田縁真弓(立命館小学校英語科アドヴァイザー)「無理なく文字を導入するには」は、どの外国語を教えるにしても考えるべき問題であろう。この記事では、やはり英語の文字だけを例に述べているが、文字表記は言語によって大きな違いが出てくる大問題である。私などは第2次大戦直後のアメリカ占領軍による教育改革への介入を思い出す。

(5)当時(1940年代後半)、アメリカの教育政策では、「日本人は漢字のような複雑な文字を使っているからダメなのだ。これからはローマ字表記にすべきだ」と考えていたらしい。しかし、これには、アメリカ人の中にも、日本政府の中にも、反対する人たちがいて、「ローマ字を小学校4年から教える」という程度でおさまったようだ。ローマ字教育は現在でも続いているが、小学校教員の教えるローマ字は、多くの場合、中途半端で、むしろ害もあると私は思う。ネット上でも様々な見解が提供されている。

(6)1つには、英語教育の責任でもあるのだが、表音文字のアルファベットと表意文字の漢字のそれぞれの特徴が分かっている教員が少ないのである。英米人が単語のスペリングを覚えるのにいかに苦労しているかを知れば、漢字を棒暗記させるような教え方は出来ないはずなのだ。こういう失敗は、小学校の英語教育の実施に有効な反省材料となると私は言いたい。(浅 野 博) 

名詞・不定詞連続の両義性

Posted on 2010年10月19日

(13)The statesman has plans to leave.において、plansという名詞とto leaveという不定詞の連続に、両義性が秘められています。名詞plansは、「計画」なり、「案」なり、よく用いられる意味です。
やや複雑なのが、不定詞to leave中の動詞leaveの意味で、(1)Flying planes can be dangerous.が、A:飛んでいる[自動詞]飛行機は、危険性があると、B:飛行機を飛ばす[他動詞]ことは、危険性があるとが、思い出されるように、leaveも自動詞と他動詞の両方が、よく用いられます。まず、自動詞で代表的なのが、「出発する」転じて「立ち去る」の意味で、例えば、They left Japan for Korea.「彼(女)らは、韓国に向かい、日本を立ち去った」等々です。そして、代表的な他動詞の意味が、「残す」で、やはり例えば、The politician left no plan.「その政治屋は、何ら案件を残さなかった」等々が、考えられるでしょう。
以上から、(13)The statesman has plans to leave.は、次のように、両義的に解釈されます。
A:その政治家は立ち去るつもりである。
B:その政治家には残しておくべき案がある。
お時間がおありでしたら、politician「政治屋」とstatesman「政治家」との相違もお考え下さい。
 次回は、次の(14)で、この両義性は、最も劇的です。
(14)The boss had his bag stolen.

(12)のもう一つの解釈は、B<近未来>と考えられます。
B: Josephは学位論文を書くことになる。<近未来>
  現在分詞が使われる進行形に、A<進行>ばかりでなくB<近未来>の解釈もあることは、すぐにご理解できますでしょうか。現在分詞の進行形に『未完了』という意味が通低していると考えますと、B<近未来>もA<進行>と同類と理解し易いでしょう。では、過去分詞の完了形に通低するのはどんな意味『?』でしょうか、稿を改めなければなりません。
  次回は、次の(13)で、両義性に構文が関連することを、念頭にお考え下さい。
(13)The statesman has plans to leave.

7.後発の「秀才」の扱い

Posted on 2010年10月18日

パーキンソンの法則ではないが,上位20%が取り除かれると,いつの間にか,また上位20%ができるものである。自分より上位の者が授業に出てこないので,自由勝手に発言できたり,先生に褒められたりで,どんどん芽を出してくる,後発の「秀才」がいる。これは本人の志願と教員の推薦で,審査して「秀才」に加える制度を作りたい。

このようにして,雑草のようなエネルギーもあり,独創的で,国際的な勝負に耐える人材を生み出していきたいと思うがいかがでしょうか。
今回は大雑把な問題提起で終わりにしたい。
(村田 年)

6.「落後者」をどうするか

Posted on 2010年10月15日

トップの20%と言ってもいろいろな学生がいる。「内発的動機」が大きくて,よい成績を取った者,田舎で,受験勉強も自己流でやってきたような者で,上位20%に入っている者はまず心配ない。

「外発的動機」がたいへんに大きかった者,一流の受験校で,あるいは有名予備校で鍛えられた者の中には危ない学生がいる。「走り高跳び」で「背面跳び」を習得し,いつもバーすれすれに飛び越してきて,本人はちゃんと合格していると思っている場合などは特に危険だ。受験に出ないことはすべて軽んじてきた者も危ない。

外圧が外されて自由になったが,何をしたらいいかわからないといった学生は落後者になる危険度が高い。指導教員との相談で,2年生以降に通常の学生になれる道を用意したい。1年生のうちに「秀才」をやめることは認めない。
(村田 年)

浅野:英語教育批評:「放送で聞く日英語の問題」について

Posted on 2010年10月13日

「放送で聞く日英語の問題」について
(1)今の若い人たちは、変な英語まじりの歌を聞いたり、歌ったりするせいか、「ことば」への感覚がマヒしているのではないか。よくわからなくても“フィーリング”で処理をしてしまうようだ。これでは、外国語を学習しても身につくはずがない。こういう言語環境では母語でさえもおかしくなってしまうのではないだろうか。自省を込めて、いくつかの表現をいくつか考えてみたい。

(2)NHK のラジオでは、「24 時間いつでもどこでも安心をお届けする NHK 」というようなことを言うが、「安心を届ける」とは、どういうことであろうか。ある地域に大雨洪水警報が出ていることを伝えれば、その地域の人たちは避難して自分の身の安全を守ろうとするであろう。それなら、「皆様の安全を守るための情報を伝える」と言うべきだ。昔、「おいしい生活」というコピーで話題になったコマーシャルがあったが、報道では奇抜な表現は避けたい。

(3)地震に関する報道では、「この地震による津波の心配はありません」と言うが、ちょっと抵抗感がある。「津波はありません」と断言できないのなら、「津波は起こらないでしょう」でよいのではないか。英語の放送では、There is no possibility of tsunami to be caused by this earthquake.というのを聞いた記憶がある。広辞苑にある「(明日は)雨が心配」は確かに日常耳にするが、余り拡大して使わないほうがよいと思う。

(4)夏の頃は天気予報で、「本州付近は大きな夏の高気圧に覆われるでしょう」とよく言っていた。「本州付近」ではなく、「本州およびその周辺」と言うべきではなかろうか。英語では、例えば、”in London and in its vicinity”(ロンドンおよびその周辺において)といった正確な言い方をする。電車内や駅の放送では、「入口付近は混み合いますから車内におつめ願います」と言うから、「入口付近」は、「入口およびその近く」といった印象を与えることも確かだが、こういう“あいまいさ”は議論や学術的な記述には向かない言い方だ。

(5)政治関係の報道では、「(財務大臣は、円高は望ましくない)との認識を示した」というのがある。これは、財務大臣自身が言うのではなくて、政治記者などが後から記事にする時に使うようだ。英語であれば、The President recognized that he had misunderstood the situation.(大統領はその状況を誤解していたと認めた)のように直接的な言い方をする。

(5)対談などでは、「それは[なに] ですよね」とか、「そこまで言うと[あれ]ですから」と言ったりする。前後関係や状況でいろいろなものが、「なに」とか「あれ」に当たる状況依存の表現で、政治家が多用する。英語にも、”I’ll tell you what.” のような言い方があるが、(いい考えがあるよ)とか(そのわけはこうなんですよ)と具体的な話を始めるきっかけに過ぎない。日本語の場合は、「そこまで言ってしまうと、マスコミが騒ぎだすだろうから」といった含みがあったりして、真意は明確ではない。そうかと言って、「なんでも選挙」「なんでも多数決」「なんでも公開」といった単純な思考で政治をやられては、困るのは国民だと思う。(浅 野 博)

【私の記事に対するコメントは原則非公開扱いとさせていただきます】