言語情報ブログ 語学教育を考える

日本人の学習形態を変えたらどうでしょう?5

Posted on 2009年11月21日

「学習」改善の方向 ― 問題追及学習と生活学習
以上述べたように,生徒の,あるいは生徒を取り巻く環境の急激な変化に対して,まずは私たちの価値観・教育観・学習観そのものを少し変える必要があると思います。

1) 上から与える教育 → 自分で見つける学習
2) 材料の精選,質の均一化 → 量を与えて,そこから法則を 見つけさせる
3) 義務感による学習 → 好奇心,動機,誘引による学習
4) 量・質を決めての完全習得 → 不特定の量・質の材料から 「なぜ?」の答えを求める
以上のような方向へ意識的に転換させる必要があろうかと思います。

また「成績のいい子」とはどんな子でしょうか?成績の評価法も昔とは違ってきていますが,なおいっそう「結果重視」から「過程重視」への転換が必要でしょう。勉強の意欲,持続力,好奇心,態度・姿勢などに今以上に評価の目が向けられる必要があるでしょう。どれだけ覚えたか(正解が決まっているQuestion に答える。決まった答への到達度)ではなくて,学習の過程・態度(正解がはっきりしないProblem に答える。自分なりの解答を見つける)を重んじたいと思います。 (村田 年)

日本人の学習形態を変えたらどうでしょう?4

Posted on 2009年11月18日

欧米の文化における school, education と日本の文化における「学校・教育」と「学ぶ」
欧米では学習をどう考えているか。まずは語源を見てみましょう。school の語源は「暇(ひま)」ですね。余暇・自由時間があるから,いろんなものに疑問を持ち,みんなと討論する,然るべき人に教えを請う。それが学校になった。educate(教育する) は「能力を導き出す」ということから来ています。

この語源の意味は今でも生きていて,英米では生徒の能力を引きだすことに重点がおかれているようです。生徒に疑問を持つことを奨励し,疑問にはていねいに答え,それぞれの生徒の異なった興味・関心を大事にする伝統があります。講演ですら,途中でクイズを出して,隣の人と議論をさせたりします。

一方,日本語の「学校」は文字通り「学ぶところ」であり,「教育」は「教え育む(はぐくむ)」ことです。「学ぶ」は「まねぶ」(まねをする)から来ています。ここから,「学ぶところにおいて,お手本のまねをさせることによって,生徒を教え育てる」という日本の教育の特徴が見えてきます。疑問を持つ,自分で追及するといった方法はまったく示唆されていません。

どうも成り立ちからして,英米の「学習」と日本の「学習」は相当に違ったスタンスに立っているようです。英米の学習法にもいろいろと欠点はあるでしょう。大学生になっても「掛け算九九」ができなかったり,単語のつづりをめったやたら間違えたりする学生が多かったりして。

そこで,英米と日本の中間あたりがいいかと思いますが,いかがでしょうか。われわれの場合,今よりある程度「問題追及学習」の方へ軌道修正するわけです。

もうひとつ,学校での学習を日常生活に,将来の人生につながるものとすることです。私たちは「ホームルーム」「総合的学習」といった,生活や人生につながる学習が不得手なようで,「総合的学習」の1時間を英語の学習に当てたりしますが,これは本来の趣旨に合っていないでしょう。 (村田 年)

浅野式辞典:「ぎょうむしわけ」(業務仕分け)

Posted on 2009年11月16日

 その昔、農家が収穫物を仕分けたのが始まりで、企業、学校などでは行われてきたが、政治の世界では平成21年になって初めて。
 しかし、学校の場合を覗いてみると:
A:「この研究は授業と関係があるのか?」「いや、そういう直接的な効果は求めていない」「ではこの研究費は“廃止”!」
B:「平均点がこの授業だけ低いのはなぜか?」「問題が難し過ぎたのだ」「この授業は“見直し”!」
C:「この英語の授業で生徒は英語を話せるようになるのか?」「2、3割程度はいます」「この授業は“限りなく廃止に近い見送り”!」

日本人の学習形態を変えたらどうでしょう?3

Posted on 2009年11月15日

35歳段階の再テストの結果こそ問題では?
それより何より一番の問題は,この35歳段階における再試験の成績です。1970年の国際テストの数学・理科で20ヵ国中1位であった日本人が,20年後の35歳テストでは下から2番目だったという。これほど違うと文化の問題などと言っていられないでしょう。

日本人は習ったことが一番身についていないのです。勉強は勉強であって,たいへん有り難い神聖なものだが,それは人生・生活とは関係ないと,どこの国民よりも思っているんですね。なにしろ,前の教育課程審議会会長の三浦朱門氏の奥さんである,曽野綾子氏が「2次方程式が解けなくとも、日常生活に不便はなかった」などと言っているわけですから。もうひとつ大きな問題点は,今回高校1年生に同時に行われたアンケート調査によれば,理科への興味・関心が日本は最下位だった点です。 (村田 年)

日本人の学習形態を変えたらどうでしょう?2

Posted on 2009年11月12日

学力低下と言うが,問題そのものが日本人に不利では?
国際学力テストにおいて,今までトップクラスだった日本の高校1年生の学力が落ちたと騒いでいましたが,ここで気をつけなければならないことが1つあります。それは問題はまず英語やドイツ語で作られます。ここに文化・習慣・論理の順の違いが反映されます。さらに翻訳された日本語の文章が日本人にはしっくりこないところがあるようです。これだけのハンデがあるのですから,41ヵ国中4位から8位に入っていれば上々との観点もあるでしょう。

「読解力」だけは,8位から14位に落ち,新聞などでいろいろな批判がなされ,これが「ゆとり教育」の見直しをさらに早めた感があります。しかし,考えてみれば,この問題「読解力」は文章題で出され,解答も文章で書くわけですね。ですから,先ほどのハンデがさらに大きく作用するわけです。

情報を出す順番が異なり,攻める論理が異なり,抽象的な記述とその具体化の方法が異なります。また陳述の断定方法が異なります。ですから,翻訳のニュアンスはおそらく原文とは相当異なるものになる可能性があります。

さらに,解答方法が文化によって違います。結論から先に行く欧米と周りから攻める日本人,Yes, No が必ずしも明確でない日本人と,要素の違いがいろいろとあります。Yes ひとつを取っても日本人と欧米人では違います。「その通りだと思いますが,しかし...」と続ける日本人の解答は減点対象になりやすいでしょう。

解答を見た先生方の感想として,日本人はわからないところは書いてないが,ヨーロッパでは,わかってもわからなくても全部書いてあるので,部分点になりやすかったとのコメントもありました。

それから,エコが出題の最大の話題になっているようですが,温暖化などの論法は,欧米の常識的な線で行われ,自然科学としては間違っている,専門家がひとりも出題に加わっていないとの批判が日本の専門家の間にあるようですね。

★ひとことでまとめると,学力の国際比較は,出題の文化的背景,問題の正しさ,解答の文化的相違,言語の語用論的な相違など多くの問題点を含んでおり,そのまま信用してあたふたしないで,参考程度と受け取った方がいいということです。★ (村田 年)