浅野式現代でたらめ用語辞典(再開その17)(4Kテレビ)
「4Kテレビ」は“写りがきれいだ”と2,3か月前には、「これからのテレビ」と騒がれましたが、今はどうなっているのでしょうか。
知ったかぶり老人:以前は近所の娘さんにお婿さんの候補を紹介するのに、“3K”と言ったもんじゃよ。“高学歴・高収入・好人物”だな。違う?“4K”になったのか。そんなもの知らんよ。
中学生ギャル:うちの母ちゃんに、うちも“4Kテレビ”にしたいと言ったら、“毛穴やしわまでよく写るようなテレビはいやだよ”だってさ。自分が写るわけでもないのに。わけわかんない。
くそ真面目男子大学生:現在のハイビジョンよりも画素数が多くて、鮮明な画像が売りもののテレビです。私の祖父は、「敗戦直後には、ラジオが唯一の娯楽で、ラジオの放送劇に想像力を刺激された」と言っていますが、総務省は“来年度(2014)から実用化する”らしいです。景気さえ良くなるなら、“なんでもあり”なのでしょうか。おまけに3Dテレビなんかが日常的になったら、人間の頭がおかしくなるのではないかと心配です。(この回終り)
「英語教育批評」(その69)(自民党の英語教育)
「自民党の考える英語教育」について
(1)5月1日の朝日新聞は、“オピニオン”という欄で、片面の三分の二ほどを使って英語教育のことを取り上げていました。その内容について考えてみたいと思います。発言者の一人は自民党の遠藤利明衆議院議員で、自民党の教育再生実行本部長です。その主張の要点は次のようなものです。
(2)①中学高校で6年間も英語を学んでも英語が使えない。②米国で広く用いられている TOEFL をセンター入試の英語に代わって大学入試に課すことにしたい。③その結果、英語の授業は変わらざるを得なくなる。④ TOEFL は程度が高過ぎるという声もあるが、それなら現状をどう改善するのか。より良い方法があるならば教えてもらいたい。
(3)一応謙虚な姿勢のように見えます。しかし、「TOEFLを国会議員の立候補の条件にしてはという声もあるが、英語が出来ないと政治家が務まらないのかどうか(問題だ)」と開き直っています。「これからの国際化の中で生きる子どもたちに英語が話せることは必要だと言っているのだ」として、「こうした主張を7月の参院選挙に自民党の公約として打ち出す」とも述べています。
(4)これに対して、もう一人の発言者は和歌山大学の江利川春雄教授で、全面的に遠藤議員の考え方を否定しています。その見解の要点は次のようなものです。①学校教育だけで英語が話せるようになる、というのは幻想だ。②日本語と英語では文法も発音もあまりにも違い過ぎる。しかも、6年間といっても、その合計学習時間は7、8百時間に過ぎない。③ TOEFL は高度な読む力や書く力を求めているテストで、東大の入試問題や英検1級より程度が高く、もちろん、学習指導要領には準拠していない。④学校の英語教育は、「読み書き中心」と思っている人が多いが、20年ほど前から、英語の教科書や授業は、“コミュニケーション重視”になっている。
(5)⑤しかも、その結果、英語嫌いが増えたり、実力が低下したりしている。今は、そういう問題点を検証すべき時だ。⑥学校の英語授業は基本的な文法や音声を教え、将来英語が必要になった時に自力で頑張れば伸びる基礎をつくっておくことだ。学校教育に責任を押し付けることは止めて欲しい。
(6)結論から言いますと、私は江利川教授の主張に全面的に賛成です。英語にも自信がなく、自助努力もしない政治家に英語教育を論じてもらいたくありません。江利川教授も指摘していますが、「英語さえ出来ればグローバル人間になれる」とか、「世界の人々と交流できる」といった英語一辺倒の姿勢にも反対したいと思います。私は、江利川教授の他の場面での発言については批判もしてきましたが、今回の朝日新聞紙上の発言については全面的に賛成です。
(7)ある民放の番組では、幼稚園では英米人の講師が完全に英語だけを使い、家庭では両親とも英語を話さないので、もっぱら日本語だけ、という1つの例を放映していました。そういう幼稚園や家庭もがあることは認めますが、商売の自由競争みたいに、「競争に負けたら、負けたほうがが悪いのだ」というような政策には大きな疑問を感じます。これからは中高の英語教員にもっと発言をしてもらいたいと希望します。学校という組織の中での抵抗は難しいものです。しかし、それこそ、生徒の将来のためにやるべきことではないでしょうか。(この回終り)
「自作教材の可能性と問題点」について
(1)“教材”というのは、文字通り“教えるための材料”のことで、例としては、「教科書・副読本・標本・模型」などが挙げられます(『明鏡国語辞典』による)。しかし、中高の英語教員が、多忙の中でこうしたもの全てを自作するわけにはいきませんから、“何を自作するか”は慎重に考える必要があると思います。主要教材である検定教科書との関係も重視しなければなりません。
(2)「英語教育」誌(大修館書店)の 2013年5月号は、「教材をどう作るか・どう活かすか」という特集号になっています。上記の答を探るのに適した特集です。しかし、読んでみますと、執筆者によって、“自作教材”の考え方にかなりの差があるように思えます。これでは、新人教員には分かりにくいことになりますので、今回はそのことを考えてみることにします。
(3)最初の記事は、田尻悟郎(関西大)「自作教材を作って、使って、積み重ねていくには」です。田尻氏と言えば、かつて中学校での名人授業を実演されて多くの英語教員に感銘を与えた人で、私も直接に拝見したことがあります。大学の教員としても、英吾教員志望者を指導しているようで、大いに期待出来ます。
(3)しかしながら、田尻氏の記事は少し欲張り過ぎていて、かえって分かりにくいところがあります。例えば、“重要表現”の扱いでは、「既習表現と対比することはOK だが、混乱を招く可能性があるのならやめる」と説いています。[例] Where does she live? → Do you know where she lives? (提示方法は原文と異なります)。「こういう場合に、Do you know where does she live? が多数出現する」という指摘があって、「それならば、この表現の指導はやめる」と言っているように取れるのです。田尻氏の本心はそうではないはずですから、そういう誤解をされないように書いてもらいたいと思います。
(4)笹達一郎(群馬県立公立中学)「文法指導で使う教材をオリジナルで作る」は、ます“オリジナルで作る”という言い方に私は違和感を覚えます(他に“オリジナル”を使ったタイトルが3点ありますが、“独創的な/ に”がいいと思います)。笹氏の記事の内容は、日頃の指導方法がよく推測できる親切なものです。ドリルの問題を生徒にやらせて、出来た生徒は先生にそれを示すように指示しています。ただし、先生は出来ていたら、「クリア」と言い、出来ていなければ「ノットクリア」と言う、としています。テレビのクイズ番組では、「クリア」や「ノットクリア」はよく見かけますが、英語の教室では、”Cleared.” とか、”Not cleared.” と言ってもらいたいと思います。
(5)大鐘 雅勝(千葉市立稲毛中学)「教科書の教材を補完する工夫―本物の魅力を伝えよう」というタイトルも、「教科書の理解や応用を助ける教材」がいいと思います。“補完”は、「完全に補うこと」ですから、ここでは意味が強過ぎます。“本物”は、”authentic materials” のことだと思いますが、これは1980年代によく問題にされた用語です。例えばアメリカの風物を学ぶには、写真や録画教材も役に立ちますが、アメリカの家庭にホームステイして、アメリカ人の日常生活を経験する方が、印象や理解がずっと強くなります。
(6)大鐘氏は、録画教材や映画の利用までを論じていますが、私が気になるのは、版権の問題です。例え教育目的であっても、音楽などは版権がとても厳しいですから、用心するに越したことはありません。教え方や説明の仕方に独創性を発揮することは結構ですが、版権の問題にも言及して欲しかったと思います。(この回終り)
浅野式現代でたらめ用語辞典(再開その16)
「フライングゲット」
アイドルのコンサートなどの情報やチケットをいち早く手に入れることを陸上競技の“フライング”(飛び出しスタート)と組み合わせた和製英語。
知ったかぶり老人:わしは、釣りを趣味にしとるから、“フライングフィッシュ”は得意じゃよ。釣竿とのバランスが大事じゃ。
中学生ギャル:友達がAKB のチケットをもう手に入れたと言っていた。私も欲しいけど、私の母ちゃんは、「そんなものはテレビで見ればいい」と言って買ってくれそうもないよ。
くそ真面目男子大学生:どうしてこの頃の日本人は、カタカナ用語を使うのがとても好きなのでしょうか。国会議員まで、「その情報はどこからゲットしたのか」なんて言っています。“カタカナ用語使用禁止”の法律でも作れば、国会はとても静かになると思います。(この回終り)
「英語教育批評」(その67)(「導入」のコツ)
(1)「英語教育」誌(大修館書店)の2013年4月号の特集は、「生徒を引き込む『導入』のコツ」です。「何を導入するのか」については、生徒の学習段階や学校の環境によって様々であると思いますから、こういう特集記事によって教えてもらえるならば有難いと思う英語教員は少なくないでしょう。
(2)最初の梅本龍太(関西大学初等部)「文字をどのように導入するか」では、まず文科省の示す例を挙げていますが、「Alphabet Chant を言う」とか、「Key Alphabet ゲームをする」と言われても、新人教員にはよく分からないのではないでしょうか。これは、“英語を教える小学校教員”の養成について具体策を全く示さない文科省の責任です。そういう問題にも触れて欲しかったと思います。
(3)小菅敦子(東京学芸大附属世田谷中)「小中連携を意識しての文法指導」は、このタイトルに疑問を感じました。「外国語活動」からいきなり「文法指導」なのか、と思ったからです。「文法指導を意識したこれからの小中の連携」ならば分かります。小菅氏がここで説く指導過程は、経験の豊富さが見える適切なものですから、もう少し言い方に留意して欲しいのです。
(4)前田昌寛(石川県立金沢桜丘高校)「『英語で授業』の事始め」は、いわゆる“教室英語”の使い方を説いているもので、そのステップには異論はありません。しかし、例として示されている英語表現にはもう少し配慮が欲しいと思います。例えば、”Which club do you belong to?”の “belong” については、『ジーニアス英和』の注意「運動部員については、”I am on the baseball team.”
がふつう」を参考にしたいところです。”Ask one question to him/ her.” も調べる必要があるでしょう。日本人教師が“英語で英語を教える”のは、簡単ではないのです。「話す」時はともかく、「書く」場合はより慎重であるべきです。
(5)加納幹雄(岐阜聖徳学園大)「多読をうながす授業づくりの基礎・基本」は、2012年の“全英連”の石川県での発表内容を基にした記述です。しかし、公立中学校の多くは、検定教科書を終わらせるのが精一杯のはずです。私が中学校を教えていた昭和30年代には、英語の時間は週4時間から5時間あって、副読本も使えましたが、“週3時間”になってからは、そうした余裕は全く無くなりました。現状はどうなのか、また科目がよく変わる高校の場合も同じような問題がないのか、といったことにも触れて欲しいと思いました。
(7)問題の多い高校のことを書いているのが、宮本順紀(茨城県立茎先高校)「CAN-DO リストで自立する学習者を育む」ですが、用語の説明が不親切だと思います。少なくても、“CAN-DO リスト”とか、“自律する学習者”の定義を示すべきでしょう。宮本氏が、「午前部、午後部、夜間部あわせて各学年4学級の3部制定時制単位制普通科」という複雑な学校に勤務しているならば、なおさら、細部にも配慮した記述をしてもらいたいのです。
(8)根岸恒雄(埼玉県熊谷市立大幡中学)「始めてみましょう、協同学習!」は、参考文献を示すだけでなく、「共同学習の理念、効果」「共同学習導入のポイント」など入門的な記述をしていて、同感出来ます。そこまで書くのであれば、うまくいかない実例やその原因まで書いてもらいたいと望みたくなります。
(9)赤池秀代(浦和明の星女子中学・高校)「タスクを効果的に取り入れるコツ」は、“タスク”の定義に始まって、実例、成功のカギなど具体的に説いていて分かりやすい記述です。欲を言えば、どのタスクにどのくらいの時間を必要とするかを具体的に示して欲しかったと思います。「短時間(15分以内)で行えるものであること」という注意がありますが、どこまで普遍性があるかをある程度実証したほうが良いでしょう。
(10)松本茂(立教大)「ディベートができる生徒を育てるための指導の発想と方法」は、まず「この場合の“発想”とはどういう意味なのだろう」と考えてしまいました。国語辞典では“発想”は「思いつくこと」と定義していますから、「ディベートでも指導しようか、と思いつくこと」を意味することになると皮肉を言いたくなります。記事には、「3年次の最終目標を達成するためには、1年次からの指導が大切」という趣旨のことが書いてあって、指導手順を丁寧に述べているのですから、分かりやすいタイトルにして欲しいと思いました。
(11)関 典明(成城学園中・高)「辞書指導 導入のコツ」です。この場合の“導入”も、どういう意味なのだろう、と考えてしまいました。「辞書指導のコツ」でいいではありませんか。特集のテーマ「生徒を引きこむ『導入』のコツ」にこじつけたための分かりにくさです。これは編集部の方針だと思いますが、記事の記述は、ベテランらしく指導の方法と注意点を述べていて、同感です。“完全な辞書”の実現は無理ですが、日本の英語学習者に適した「英語辞書」については、英語教員は更に批判的、かつ建設的な意見をもっと表明すべきだと思いました。(この回終り)