「浅野式でたらめ現代用語辞典」(再開の3)
民主党と自民党の総裁選がたけなわです。自民党の候補者などは、総裁選に勝てば総理大臣になれるとばかり張り切っていますが、国民の多数は少しも盛り上がっていないようです。
中学生ギャル:「お惣菜(そうざい)を選ぶやつね。うちのお母ちゃん、いつも苦労している。デパチカなんか種類がすごいものね。えっ、違うの。選挙のこと?私は AKB 48 の選挙のことしか関心ないよ。
知ったかぶり老人:昔は「困った状況になること」を「進退谷まる(きわまる)」と書いたものだ。これからは、「谷垣(たにがき)る」と言ったらどうかね。
真面目男子大学生:谷垣総裁はあまり長老の言うことを聞かなかったので、下ろされたそうです。“いじめっ子”は中高生ばかりではなく、老人にもいるんですね。若い人が総裁に選ばれたら、いじめられるんだろうなあ。怖いなあ!
(この回終り)
“ESD とは何か?”を考える
(1)昨日(2012年9月11日)、東京書籍発行の教育情報誌『教室の窓』(vol. 37)が届きました。その特集は、「持続可能な社会を構築する力を育てる―ESD の取り組み」となっています。まず、「“ESD”とは何だ?」と思う英語教員は少なくないと思いますので、まず、この用語の意味することを考えてみます。
(2)冒頭の記事は、三宅征夫(国立教育政策研究所名誉所員)「総論『学校における ESD に関する研究』の概要」を読んでみました。私は持論として、「啓蒙的な雑誌の記事はやたらと新語を使うべきではない」と考えていますが、教育学は1つの学問として、日進月歩の進歩をしていますから、新しい概念やそれに伴う用語が生まれて当然だと思います。
(3)しかし、私はこの最初の記事のタイトル「学校における ESD に関する研究」を見て、「教育現場で、ESD の研究がそんなに進んでいるのであろうか」と疑問に思ったのですが、記事をよく読んでみて、私の誤解であったことが分かりました。真意は、「“教育現場で ESD を活用するための”研究」といった意味だったのです。日本語でも英語でも、誤解しないように読む、または、誤解を与えないように話したり、書いたりするということは難しいことだと今更ながら思いました。
(4)三宅氏の記事によりますと、そもそも、ESD (Education for Sustainable Development:持続可能な発展のための教育)は、日本が 2002年に国連に提案して採択されたものとのことです。日本からの提案が、国際社会で認められるということは大変結構なことだと思いますが、私は、「提案内容にふさわしい教育実践がなされているであろうか」という不安を覚えるのです。文科省の教育方針を調べていると、文科省のサイトでは、「生きる力を育むために」という文言が踊っていることに私は疑問を感じました。
(5)そもそも、「生きる力」というものは、学校教育で教えられるものであろうか、ということです。教員が生徒の前で、「命は大切だ」とか、「生きることこそ立派なことだ」と語っても、どれだけ生徒の琴線に触れることが出来るのでしょうか?昔は、家庭で可愛がっていたペットが死んだとか、祖父や祖母の死亡を体験することで、命の大切さを実感することが普通だったのです。現在は核家族になって、そういう体験がしにくくなったからといって、学校教育で命の大切さを教えられるものであろうかという疑問はどうしても拭えません。
(6)文科省では、家庭科を「持続発展教育」の1つに挙げて、その内容の充実を目指しているようですが、TBS の番組(噂の東京マガジン)に、海水浴や買い物を楽しんでいるギャルたちに、「ドライカレー」とか、「アジのたたき」などを作らせるコーナーがありますが、とんでもない失敗作がほとんどで、うまく出来る人は10人中、1人か2人というのが、毎回の成績です。中学1年生程度の英語が言えない人が多いのといい勝負です。「持続発展」などとんでもないのです。
(7)文科省は、もっと地道に教育現場の実態を調べて、その状況に応じた対策を進めるべきだと思います。選挙ではあるまいし、耳に感じ良く響くスローガンを並べ立てることは止めてもらいたいと思うのです。教育現場を知らないお役人が作った文章ということは、読めばすぐに分かるのですから。(この回終り)
(浅野 博)
「浅野式でたらめ現代用語辞典」(再開その2)
こじれている外交問題では、日本の総理大臣の「親書」まで、行ったり来たりしていました。そこで、街中の声を拾ってみると…
中学生ギャル:何よ、「おやがき」って?「しんしょ」って読むの?そんなの知らないなあ。行く先がわからない手紙なら、郵便屋さんに聞いたらいいじゃん。
知ったかぶり老人:「親書」を突き返すなんて、失礼極まりない。でも、総理も袖の下をけちったんじゃないのかね?消費税を上げるんだから、その一部でも使えばいいのにね。
平和主義の大学生:その昔、「日、没する国の天子へ」と中国に親書を送ったものです。でも東方の米国には親書が届かずに、大戦争になってしまいましたね。今度も韓国とそんなことになるんでしょうか。私は平和主義者ですから、戦争はいやです。死ぬのもいやです。何とかして下さい。(この回終り)
“カタカナ英語の高級化”で考えること
(1)“高級化”というのは、「程度が高くなってきて、難しくなった」ということです。「歓迎すべきことではないか」と思われる人もいるかも知れません。しかし、私は「“カタカナ英語”に関する限りあまり望ましくない」と考えています。今回はその理由を述べることにします。
(2)英語を起源とする「カタカナ語」を聞いたり読んだりした場合、本物の英語の力に応用できる生徒はほとんどいないと思います。“リアリスティック”とか、“バーチャル”などは広辞苑にも出ていますが、生徒が広辞苑を引いて英語のスペリングや意味を調べることは、まず期待できないでしょう。それは、国語教育や英語教育の責任でもあるのですが、教科書の進度に追われて、「辞書指導などする余裕がない」とこぼす教員の声をかなり耳にします。
(3)コンピュータ用語には英語起源のものが多いですから、「リアリスティック」を知らなくても、「バーチャル」は、「仮想の」という意味だということくらいは知っている生徒は少なくないでしょう。また、電子辞書の中には、『カタカナで引くスペリング辞典』(研究社)などを搭載しているものがありますから、やる気があればスペリングを確かめ、さらに英和辞典でその意味や用法を調べることも出来ます。問題は「やる気があれば」ということだと思います。
(4)日本では、敗戦直後から日本語をなるべく簡略化することにした結果、「ヴ」はすべて「ブ」で表記することになりました。英語の ”very” (とても)も、”berry” (いちご類)も同じ「ベリー」です。英語は祖先のラテン語と比べると、格変化などの文法的な変化が簡略化された言語です。「簡略化」は、「便利さ」をもたらすとは限らないので、昔は、「ドイツ語は笑って入門し、笑って卒業できるが、英語はいつまでも卒業できない」と先輩から言われたものです。
(5)先ごろ国会で行われた議論の中で、ある議員は、「ベクトルの動きが上向きの場合は…」と言いました。“ベクトル”は、広辞苑では、「ドイツ語(Vector)」とあります。しかし、「大きさと向きを有する量」という定義を読んでも、普通の人には何のことだか分かりません。どうしてこの議員は、「景気が良くなって、税収が増えた場合には…」といった分かりやすい日本語を使わないのでしょうか。日本人は議論になると、「相手のなるべく知らない言葉を使うほうが有利」と考える悪いくせがあります。
(6)国立国語研究所という機関は、様々な日本語に関する研究や提言をしていて、その1つに、「カタカナ語」をどのような日本語に直すかという発表もあります。しかし、いかにもお役所仕事的で、私は賛成出来ないところがあります。「カタカナ語」のままのほうが、大勢の人が知っていて、分かりやすいものもあるはずです。例えば、「フリーター」や「ニート」(両語とも広辞苑にあり)のように。漢字表記にすると、かえってわかりにくくなる場合があります。
(7)英語教育の問題としては、日本の中高生が2千語、3千語レベルの易しい英語の物語を読むことは大いに薦めてよいと思います。授業では教科書の1ページか、2ページしか進まないのが普通ですから、「英語の物語を1冊読んだ」という成就感は、もっと読みたいという動機になるはずです。言語の学習は、このように、“動的な捉え方”をしたいと私は考えます。(この回終り)
「浅野式でたらめ現代用語辞典」(再開その1)
「浅野式でたらめ現代用語辞典」の再開の弁:3.11(2011)東日本大震災以来中断していました「現代用語辞典」を再開することにしました。被災地の復興はまだまだ大変ですが、新聞などでは時事川柳などが盛んですし、いつの時代も権力の批判とユーモアの精神は忘れてはならないと思うからです。原則として「英語教育批評」の後に、付加することにします。
「浅野式でたらめ現代用語辞典」(再開その1)
「垂直離着陸航空機オスプレー」は事故が多いと心配する住民の心配もどこ吹く風と防衛大臣はアメリカで乗ってみて、ご満悦の様子。
知ったかぶり:オスプレー?ああ、男の遊びね。最近は女子会なんていうのが盛んなようだから男も遊んでいいんじゃないかね。
女子高生:ああ、スマホで出来るゲームね。ちょっと押すと画面が変わって、敵をやっつけるわけ。面白いけどお金がかかるわ。また親に泣きつかなないと。
男子大学生:僕は英語が得意だ。オスプレーは、猛禽類の鳥さ。” prey” は“餌食”のことだから、「住民を餌食にしてのさばる飛行機」のことかな。怖い、怖い!(この回終り)