言語情報ブログ 語学教育を考える

「誤りありますか、解釈するか、訂正するか」⑤

Posted on 2011年1月27日

前回載せるのを失念しておりましたが、今回は、次の(5)です。
(5) An old man though he is, he gets up late.(誤りがあれば、訂正しなさい)
 それでは、今回は、(故黒田成幸先生がよくお使いでしたけれども)immediate responseの練習としましょう。(5)の問題文は、誤りがあるでしょうか、誤りがありませんでしょうか。誤りなしとお考えの方々の方が、誤りありとお考えの方々よりも、多数ではないでしょうか。今回のシリーズ全部で20問ありますが、誤りなし対誤りありは、10対10なのですが、20問全部を提示して、誤りなしを10個選びなさいと出題すると、選ばれることが多い上位に(5)が入っていることが多いのです。しかしながら、問題とは、普通、意外性が小さくないことを念頭において、お答えになるべきでは、ないでしょうか。
 (5)は、一見誤りがなさそうですけれども、否、誤りがなさそうだからこそ、実は誤りがあるのです。受験英語で、①An old man as he is, he gets up late.という誤文にお目にかかったことは、ございませんか?更に、誤文訂正なら、②Old man as he is, he gets up late.に書き換えられたのを、ご記憶なさってますでしょうか。①文頭のAnは、補語であり、なおかつ、音声としては弱い場所を占めることから、省略されなければならなかったもので、②の形でのみ現存するのです。その証拠に、接続詞が文頭を占めると、③Though he is an old man, he gets up late.が辞書に記載され、③と同義で、④As he is an old man, he gets up late.とは言うことができません。④が言えなくて、①ではなくて②が言える、それならば、③が言えて、①にas → thoughが適用された(5)が言えないので、⑤が解答になります。

⑤ An old → Old 老人で彼はあるけれども、遅く起床する。

辞書に、②(=③)のように②と③が、paraphraseの関係のように、記載されていますが、残存する旧形としては、②は、Old man as (=though) he is, he gets up early.のように、asとthoughが相互に交換可能なのです。
 次回は、(6)を扱いましょう。
(6) We are under an obligation to study English this year.

浅野:英語教育批評:「リメディアル教育」の基本問題とは?

Posted on 2011年1月21日

(1)「英語教育」誌の2011 年2月号(大修館書店)の特集は「英語のレメディアル教育を考える~大学での取り組み・高校からの見方」である。私が “remedial” という単語を知ったのは、50年ほど前(1958)に渡米した時だった。2か月ほどノースカロライナ州の大西洋岸のエリザベス・シティ(Elizabeth City)という小さな町に滞在した。ホームステー(当時はこういう言い方はなかったが)をした家庭の奥さんは小学校教師を引退していたが、100キロほど離れた小学校で、「リメディアル・クラス」の担当を依頼されて、引き受けていた。100キロといっても、その65歳の婦人は自分で車を運転し、往復2時間くらいで通勤していた。ほとんど信号のない田舎道は、高速道路のように走れるのだった。

(2)当時の私の任務は、学校訪問をして制度や教育内容を学ぶことだったので、リメディアル・クラスも参観させてもらったが、1クラスは5、6名ほどで、6クラスあった。生徒の多くは知的障害のある子どもたちで、普通のクラスの倍以上の時間をかけて教えていた。英和辞典では、remedial education に「補習授業」とか「治療クラス」などの訳語を与えているが、概念が少しずれているのは仕方がないと思う。(当時、黒人は完全に差別されて学校は別だった。黒人の学校も訪問する機会があったが、生徒も教員も大変真面目で、ほぼ白人と同じように熱心に勉強をしていた。ノースカロライナ州は、黒人との衝突がない “quiet States” (穏健な州)の1つだった。 )

(3)特集の記事を読ませてもらうと、執筆者によってかなり視点や考え方が違っている感じがする。もちろん、それぞれ個性のある記事でよいわけだが、まず①「何故大学のリメディアル教育が必要なのか」→②「それは日本人の全体的な学力低下とどういう関係があるのか」→③「その原因は学校行政のどこに責任があるのか」→④「指導方法や指導内容はどう改善されなければならないのか」という思考の流れがあって、⑤「そのことと英語教育はどう結び付けて考えるべきか」→⑥「英語の授業はどのように改善されるべきか」に至るべきであろう。

(4)私は以上のことをすべて書けと言っているのではなくて、考え方の基本方針を指摘しているのである。①から④の問題を論じるならば、英語教師以外の教育問題の専門家に執筆を依頼したほうがよいであろうが、関連する書物は数多く出ているから、参考書目として挙げるだけでもよいであろう。合田美子(熊本大学)「リメディアル教育と自己調整学習――自分の学習を振り返るところからはじめてみる」は、他の記事と同じように、英語以外の学習と英語の学習が混同されて論じられているように思う。論じ方は丁寧で、用語の定義もしっかりしているが、上に挙げた「前提」(①~④)をもう少し意識してもらいたいのである。

(5)臼倉美里(昭和女子大)「学生をやる気にさせる動機づけの工夫」とか、田原博幸(札幌大学)「自動繰り返し学習機能付き e ラーニングの有効性」なども立派な実践報告だと思うが、こういうことを中学、高校でやっておけば、大学生に「補習授業」をやる必要性は小さくなるであろうに、と考えるのは私だけであろうか。また、発想を変えて、「君は英語が不得意なようだから、中国語か朝鮮語をやってみないか」といった忠告ができないものであろうか。いつまでも「英語は必要だ、しかし、できない」という劣等感を持たせるよりも、別な方法を実行させたほうがよいであろう。それを可能にするためには、「教育行政の改革」が必須条件なのだと思う。(浅 野 博)

【私の記事に対するコメントは原則非公開扱いとさせていただきます】

「誤りありますか、解釈するか、訂正するか」④:

Posted on 2011年1月21日

(4) This pond is deepest at this point. (誤りがあれば、訂正しなさい)
 この問題は、誤りか否かに係わりそうな場所が、主語this pondでも、動詞isでも、副詞句at this pointでも、なさそうであることは、宜しいですね。つまり、補語の部分であるdeepestが、この問題のポイントになる箇所なのです。
 ここで、deepestは、deepの最上級で、冠詞が問題になりますね。冠詞として可能性では、まず不定冠詞a(n)が伴われて、a deepestとなることは、a deepest pond (one)でもない限り、不可能で、定冠詞が伴われるthe deepestと、不定冠詞も定冠詞も伴われない「無冠詞」である単なるdeepestとは、両方とも可能です。それで、解答は、④になります。

④ 誤りなし、 この池は、この地点が最も深い。

解答④は、結果としては一つですが、辿り着き方に二つはありそうで、その二つとは、副詞の最上級と定冠詞の有無と平行的です。Carl runs (the) fastest of all the runners.等における副詞の最上級は、定冠詞が伴われる場合と定冠詞が伴われない場合とがあり、日本の英語教育では、前者が新で、後者が旧であり、境目のきっかけは、1981年からの中学校英語週3時間と無関係ではありません。1981年以前は、Car runs fastest of all the runners.のみが正解で、Carl runs the fastest of all the runners.の方が不正解で、この不正解→この正解、という誤文訂正の文法問題をご記憶の方も少なくないことでしょう。1981年からNew Horizon(東京書籍)を手始めに、Carl runs the fastest of all the runners.のみが学校文法で教えられるようになり、Car runs fastest of all the runners.の方が「破格」になったのです。Car runs fastest of all the runners.の旧時代には、(4)は、副詞の最上級と同様に、冠詞が伴われないと教えられ、Carl runs the fastest of all the runners.の新時代には、(4)は、唯一例外的に、冠詞が伴われないと教えられていることでしょう。
 では、(4)とともに、可能であることが確認されたThis pond is the deepest at this pointという定冠詞付きの最上級は、どう説明されるべきなのでしょうか。1981年の前: runs fastest/deepest、1981年以降: runs the fastest/deepest、現在: runs the fastest/the deepestのように推移しているのではなく、副詞の最上級に定冠詞も、同一物内での比較による形容詞の最上級も、定冠詞の有無は両方とも可能で、runs (the) fastest/(the) deepestが実態であり、英語において最上級にはすべて定冠詞を付けることが可能なのです、これは付けないのと選択的に両方可能であることも多く、最上級には必ず定冠詞を伴わなければならないフランス語等と、同方向ながら、対照的なのです。

浅野:英語教育批評:「『ダーリンの頭ン中』を考える」

Posted on 2011年1月14日

(1)この漫画本は6年前のものだが、続刊が次々と出ていて、「ダーリンは外国人」という映画も上映されたとのこと。私は、漫画本はめったに読まないほうだが、「英語と語学」という副題に興味を感じて読んでみた(小栗左多里 & トニー・ラズロ著、メディアファクトリー、2005).英語学習、及びその指導上の問題点を指摘した真面目な内容である。ただし、A5版で 160 ページほどもあるが、英和辞書で説明すれば、2,3ページに纏められる程度のものだ。どうして、時間の無駄と思えるような漫画で解説しなければならないのであろうか。日本人の学力低下と無縁ではないのであろうという疑問を持った。

(2)まず“テンションが上がる”という日本語のコロケーションは正しいか、という問題提起がある。テンションは上がるのではなくて、“増す”とか“高まる”と結びつくのではないか、という議論が示されている。私の手元にある「日本語コロケーション」の辞典では、もちろん扱っていない。テレビを見ていて、芸人がいきなり大声で話し出すと、「あの人テンション高いね」などとよく言うから、「テンションが高まる」も言えそうだ。日本語については、こういう研究はとても遅れているのではないかと思う。

(3)音声学的な問題も取り上げてある。主人公の日本の少女がテレビの音声を消して、画面を見ていて気付くのだが、英語のネイティヴ・スピーカーは、「vの音を出す時に下唇なんか噛んでいない!英語の時間にはそうしろと教わったのに!」というわけである。[ f ] や [ v ] の音を出すときは、上の歯を軽く下唇に当てる程度で、噛むようなことはしない。しかし、教室の指導で日本語に無い音の練習をさせる時は、少し大げさにやったほうがよいと私は考えている。[ th ] の音もそうだ。舌の先が上の歯と下の歯の間から出るくらいにしたほうがよい。息が出にくかったら、少し舌先を丸めるようにしたらよい。

(4)定冠詞 のthe の発音も、英語教室で教える「母音の前では [ザ] ではなくて、[ジ] となるは正しいのか」という問題も提起されている。英語母語話者の主人公は、「そんなこと意識したことはない」と答えている。この問題は私がまだ、中学の英語教科書に関係していて、録音、録画教材を監修していた(1980年)頃に問題になったことがある。私は同行できなかったが、ビデオ作製でニューヨーク州に行った同僚から、「この地域では、母音の前でも [ジ] とは言わないそうですがどうしますか」という問い合わせがきたのである。結論として、「少し早目に話してもらって、そのまま録音しよう」ということになった。

(5)国内で録音教材を作る場合でも、”I have a pen in my right hand.” をゆっくり読んでもらうと、不定冠詞は [エイ] となってしまうのが普通だった。当時は録音教材を一斉読みのモデルに使っていたので、「なるべくスピードを遅くしてほしい」と要望されることが多かったのである。指導方法で改善できる問題と、あまり意味のない指導に時間を無駄にしている面があることを改めて意識させられる。今後も折に触れて言及させてもらうことにしたい。(浅 野 博)

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「誤りありますか、解釈するか、訂正するか」③

Posted on 2011年1月8日

(3) The pupil’s picture was very beautiful.(誤りがあれば、訂正しなさい)
 この問題は、wasをisに交換すると、中学1年生でもできそうで、ほとんど難しくはないでしょう。つまり、③が、解答なのです。

③ 誤りなし、 その生徒の絵は大変美しかった。

強いて、容易ではない点は、the pupil’s pictureでも「その生徒の絵」でも、the pupilその生徒とpicture絵との関係で、the picture the student painted「その生徒が描いた絵」なり、the picture the student possessed「その生徒が所有する絵」なりで、両(多)義的ではあります。
 この問題が、相当に英語がおできになる方々でも、容易ではなくなる文脈があることをご存知でしょうか。それは、The my picture was very beautiful.が、サッカーで言えば、イエロー・カードではなく、レッド・カードが2枚位に、宜しくないと教わった直後に起こり易いのです。この英文に対応する和文「その私の絵は大変美しかった」は、全く問題ありませんね、私の大学院の先輩に、お父様が元日本言語学会会長でお母様が高校の国語教師という日本語に厳しい方がおりましたけれども、その方でも「その私の絵は大変美しかった」は日本語として全く問題なしでした。「その私の絵は大変美しかった」の完璧さと、The my picture was very beautiful.の極悪さとの間には何があるのでしょうか。これを習うか習わないか微妙なのですけれども、「冠詞や所有格は、一つの名詞に、一つしか付けられない」という制約が、日本語にはなく、英語にのみ適用されているのです。
 では、英語内で、The my picture was very beautiful.の極悪さと、The pupil’s picture was very beautiful.の完璧さとは、どのように説明されるべきなのでしょうか。「冠詞や所有格は、一つの名詞に、一つしか付けられない」という制約が、the my pictureには、theもmyもpictureを限定するために、働きますけれども、the pupil’s pictureでは、theはpupilを限定して、the pupil’s全体でpictureを限定しますから、この制約が働かないのです。
 次回は、次の(4)に取り組みましょう。
(4) This pond is deepest at this point. (誤りがあれば、訂正しなさい)