言語情報ブログ 語学教育を考える

両義性が、文の種類に由来しています

Posted on 2010年9月9日

 (6)Such a man would be happy with no job.という平叙文における両義性は、A:肯定文とB:否定文という文の種類に由来しています。
A: With no job such a man would be happy.
B: With no job would such a man be happy.
何とか解釈できそうなのは、A肯定文の方で、with no job「仕事がないと」とわかりますと、with much job「仕事が多いと」に変更したA’と同じ種類の解釈になるのです。
A‘: With much job such a man would be happy.
AでもA‘でも、with no/much jobがこの句内部で完結して、文全体が肯定文になっています。
 これに対して、わかり難そうなB否定文は、with no jobをwith much jobに変更できません。
B‘:X With much job would such a man be happy
否定文Bでは、with no jobだけが、noという否定辞によって、主語such a manと法助動詞wouldとの倒置とも符合する否定文化を担うのです。
 (6)Such a man would be happy with no job.の両義性は、次のようになります。
A: 仕事がないと、そんな男は満足しているであろう。
B: どんな仕事にも、そんな男は満足しないであろう。
文末を比較して、肯定文と否定文の相違は明白ですが、両者の意味が微妙に近接もしており、このことが、AがわかってもBがわかり難い一因でしょうか。

次回は、次の(7)です。中学校2年生で習うことが多いようですけども。
(7)The scholar has a number of followers.

日本の教育の特徴

Posted on 2010年9月9日

●教育にとって最も大切なのは? ― それは先生!
5.日本の教育の特徴
日本の教育を大雑把に眺めると,次のようなことが言えると思う。これをそのままフィンランドの教育と比べると,見事な対照が読み取れる。

1)「客観主義」と名づけられる。すなわち,全国的に一律に 教育内容を決定し,その知識の体系を順々に,計画的に, 効率よく教え込んでいく。
2)言い換えれば,「訓練的学力観」に基づく。
3)上で全部決定し,下へ下へと流す「中央集権的教育」である。
4)指導の要領も教科書も法律の細則で決まっている。
5)先生は常に上からの「指示待ち」状態にあり, 自分たちで進む道を模索するわけではない。
6)一斉授業によって効率よく指導することが望まれる。
7)評価 ― 現時点での知識の習得状況とその応用力が
 評価の対象となり,客観的な数値で示される。
(村田 年)

先生の世界

Posted on 2010年9月9日

●教育にとって最も大切なのは? ― それは先生!
4.先生の世界
「先生の世界」は問題が多いと私は思っている。かつては師範学校出が大部分であって,父兄は敬意を表し,無理難題を持ちこむことは少なかった。この「師範学校」というのは学費も寮費もただで,少数精鋭教育をしてくれた。どちらかと言うと貧しい家庭から成績優秀な人材を集めたが,たいへんに小さな世界で,ほとんど全寮制できっちりと教育され,師範学校の伝統通りの型にはまった「先生」が育った。

戦後の学制改革で,相当開けたが,それでも原則として,小学校の教員免許は国立大学と一部の私立大学でしか取れない。普通の学生にとっては,免許状を取得するのは困難であったし,現在もそうである。

従って,先生の世界は,小学校教員養成課程を出た人たちばかりの世界である。大学で相当サークル活動に熱をあげた人以外は総合大学の利点をあまり経験せずに卒業してしまった可能性がある。学閥が優先されることもあり,千葉県ならば,千葉大学教育学部卒業生が大部分を占め,身うちでまとまる,閉じられた社会を形成しやすい。

1)先生は本を読まない
一般のサラリーマンに比べて先生は,本を買わない,本を読まない,新聞も読まないと言われる。私もそう思う。関係した辞書や本の読者カード,編集者とのおしゃべりなどからもそう思う。怠ける先生は怠け放題だが,真面目な先生は,これまた際限もなく仕事に追われて,一般的な読書などには気が向かないこともあろう。

2)先生になってしまえば安心
先生になってしまえばもう安心。教科書に頼る。教科書にないことには触れない。教師用指導書が見開き2ページで1時間になっているのを10分で読んで,教室へ行って,さも知っていたように話せば済む。こうしてベテランになっても,乏しい自己の経験にすがって,独りよがりになっていれば,定年まで持つ。教員同士の係わりも希薄で,楽な閉鎖社会である。

3)大人の会話ができない先生
敬語が使えない。だいたい先生同士が「先生!」と呼び合っているのはたいへんおかしい。社会常識に欠ける,名刺の交換も知らないし,名刺を作ったこともない先生もいる。電話での受け答えもできないし,時事用語,経済用語などにも極めて弱い。

就職した日から「先生」と呼ばれ,何の社会的訓練もないのだから,自学自習しなければならないのに,それを怠っていたり,あまりにも多忙な状況にはまりこんでしまったりする。「教師力」をつける前に「人間力」「社会人力」を養う必要があるのだが。
(村田 年)

X is YとY is Xとは、完全同義にあらず

Posted on 2010年9月7日

(5)Who is your aunt?は、中学校1年生でも既習ですが、A:your aunt is whoからでも、B:who is your auntからでも、(直接)疑問文としては、形として(5)だけになってしまうのです。このAとBを、そのまま英語から日本語に置き換えれば、解釈することはできます。
A: おば様は、どなたですか。
B: どなたが、おば様ですか。
日本語(学)で知名度の高い、「ハ」と「ガ」について、「ハ」が旧情報を担い、「ガ」が新情報を担うということが見事に実現されていて、AとBの両方が、日本語教育にも使えそうな教材を提供しているのでは、ないでしょうか。尚、どなたがはっきりしなければ、どなたに具体的女性名を代入することです。
A‘: おば様は、マサコサマですか。
B‘; マサコサマが、おば様ですか。
 また、(5)の両義性を形に反映させるのであれば、次のような書き換えが可能です。
A: I ask you who your aunt is.
B: I ask you who is your aunt.

 次回は、(6)で、一方の解釈がやっとわかっても、他方の解釈は、容易ではないでしょう。
(6)Such a man would be happy with no job.

かつての先生

Posted on 2010年9月6日

●教育にとって最も大切なのは? ― それは先生!
3.かつての先生
ここで問題にするのは原則として小学校教員とします。終戦のころ,すなわち,昭和20年代に私の父親は小学校の校長をしていた。新制中学校ができ,義務教育の教員はまったく足りなかった。校長の仕事は,人を探し,何とか担任の先生のいないクラスを作らないことであった。

「森田屋のお兄ちゃん,どうだろう。かき氷やっているけど,あれで旧制中学出ているんだって。」「あのお兄ちゃん,すごく野球うまいよ。教えるもうまいし。感じいい!」「そうかちょっと聞いてみるか…。」それから間もなくお兄ちゃんは,かき氷をやめて小学校で教え始めた。算数も理科も面倒になると,さー外へ出て,と野球を始めるが,なかなかの評判だった。

こうして多くの若者が「先生にでもなるか」「あいつは先生にしかなれないよ」(でもしか先生)として,代用教員に採用された。そして多くは,教科指導に悩み,生身の生徒にもまれて,だんだんと立派な先生に育っていった。こんな時代もあった。

今から推察してみるに,上で見たような非正規の代用教員が一部存在したが,中心は正規の師範学校出で固めた日本の教育は,形式としては世界に誇れる形であったであろう。
(村田 年)