言語情報ブログ 語学教育を考える

「・・先生」を使わない ― 上下関係を取り払う―湯川秀樹に学ぶ(1)

Posted on 2010年2月7日

*京大へ仁科芳雄が集中講義に来られて,やさしく質問を促し,ていねいに答え,励ましてくれた。Stupid question(愚問)も歓迎といった態度に湯川も朝永も魅せられる。

*理研では,「さん」づけ,「くん」づけで,「先生」はあまり使わない,あだ名でもよい,といった雰囲気だった。大先生の仁科も「親方」であった。湯川も阪大で,京大で,できるだけこのフランクな関係に心がけた。湯川のあだ名は「お公家さん」であった。

*湯川の一番弟子の坂田昌一は31歳で,新設の名古屋大学へ主任教授として赴任するが,この習慣を徹底させ,研究室のドアーは閉めない,「・・先生」は使わない,先輩・後輩の 区別をつけない,を内規として徹底させた。上下関係を基盤とした口のきき方はしない,としたことの効果は大きく,小林,益川級の子弟がたくさん育った。御大の坂田は「へ理屈の坂田」と呼ばれた。

★同僚の間で「・・先生」を使わないようにしたいが,これがなかなかうまくいきませんね★
(村田 年)

部屋のドアーを開けておく―湯川秀樹に学ぶ(1)

Posted on 2010年2月6日

*各部屋,研究室のドアーを開け放しておく。そうすれば,いつでも,だれでも入ってきて,話しかける,またはすでに始まっている議論に口を挟むことができる。

*これは理研で始まって → 湯川の阪大 → 京都大 → 坂田の名古屋大,朝永の文理大など,理論物理の世界に広まっていった。

*東大の学生・院生も理研でこのようなフランクな付き合いの恩恵に浴して伸びていった。

*毎日研究室に出る。これが大事。だれかが話している。それに加わる。そこからアイディアが起る。自分が何らかのアイディアを掴んだと思ったら,さっそくだれかにぶつけてみる。いっしょに黒板で計算する。益川などはひとに議論を吹き掛ける,人の話し合いに 無理やり割って入るために大学へ出てきているようなところがあった。「いちゃもんの益川」と言われた。

*東大には「素粒子物理学」の講座はなかったので,みんな独学であった。学生・院生たちは理研の仁科・朝永のところに来てはくつろいで,議論に加わることができた。東大では先生の研究室を訪ねることはそう気軽にはできなかった。理研では,どの部屋もドアーが開け放されていて,だれでもどこの大学の人でも自由に入れる雰囲気があった。学閥もなければ,先輩に対してことばに特に気をつけることもなかった。夕方からの会食も頻繁に行われ,湯川も京都から理研にまめに通っていた。

★部屋のドアーを開けておいて,学生・生徒・同僚が気軽の入ってきて,話しかけられるようにしたいですね★

★研究者の上下関係,学閥の撤廃に関しての理研の役割は大きかった。理研のおかげで,物理学はもっとも開かれた研究分野になり得たのですね★
(村田 年)

まとめに替えて―湯川秀樹に学ぶ(1)

Posted on 2010年2月5日

はじめに
小生は大学の教師であり,この拙いエッセーの読者も大部分は大学の英語英文学関係の研究者なので,その観点から見て,学ぶべき点を書いたが,広くどのようなお仕事に従事しておられる方にも「自律(学習)」「自身の考えを持つ」といった点で参考になると考えております。

(1)人と話す,議論する
*湯川は最初の(ノーベル賞につながる)論文のアイディアをつかんだとき,何度も同僚に話し,確認し,機会をとらえて,いくつもの研究会で発表し,そののち論文にしている。専門が同じ助手の坂田とは毎日のように議論し,「コロキウム」で話し,「談話会」で話し,主任教授の菊池(実験物理)の反応も確かめ,発表の前に理研の主要メンバーにも話している。

*相手が聞いてくれそうもなくても,無理にでも話を聞いてもらう。これが自分の考察の整理,よいヒントになるようだ。

*随筆家・物理学者として有名な寺田寅彦(東大教授)でさえ,随筆の種を理研に来ては話し,受けるかどうかを確認してから文章にしていたという。

*いっしょに昼の弁当を食べる。夜の会食をする。弁当を食べながらいろいろな話をする。湯川は46歳で 基研(基礎物理学研究所)の所長になって以来,毎日基研の用務員室の畳に座ってみんなといっしょに愛妻弁当を食べながら,話に花を咲かせた。つい2時間以上 にも及ぶことがあり,用務員さんの邪魔になるというので,所長室の一角の応接室へ移動して,定年まで弁当会は続いた。そこから世界的な物理学者がたくさん巣立っていった。

★アイディアをつかんだと思ったら,何度でも人にぶつけて確認する。盗まれたらなどと思わないで★
(村田 年)

浅野:英語教育批評:「英語教育と国際理解教育」のこと

Posted on 2010年2月4日

(1)英語教員には、「国際理解教育」を引き受けるのは自分たちの使命だと考えている人が多いように感じる。意地悪く言えば、どうして英語教育は、何でもかんでも引き受けようとするのであろうか、と私は疑問を覚えるのである。一方では、「受験教育」といったものが存在していて、国際理解教育どころではない過酷さである。また、近くの外国人を連れてきて、「ありがとう」「さようなら」といった言葉を言ってみる程度が国際理解だと錯覚しているのではないかとさえ思えるときがある。

(2)私は50歳近くなって、ゴルフを始めたが、経験のある周囲の人に「もっと力を抜いて!」とよく言われた。「しっかり握って」とか「脚を踏ん張って」というような指示はわかりやすいが、「力を抜く」というのは実行が難しいのである。イチローがあの体格で、メジャーリーグで記録を出せるのは、「力を抜くことを彼が知っているからだ」という説を聞いたことがある。しかもイチローは、打つときのヘッドスピードは他の大打者に負けないほど速く、外野からの返球はしばしば走者を刺すほどすばらしい。一瞬の集中力が働くのだ。

(3)日本人は、「頑張れ!」と言うのが好きだが、よく知られているように、英語では多くの場合、”Take it easy!” と言う。「力を抜け!」に当たる言い方だ。私は日本の英語教員に「力を抜け!」と言いたい。「力を抜く」ことは、決して「手を抜く」「サボる」ことだけを意味するのではない。一息ついて周囲を見渡せば、生徒や同僚の本当の姿が見えやすくなると思う。「国際相互理解」といった大問題は、がむしゃらに取り組むだけでうまく解決できるものではないのだ。

(4)「国際化」はスポーツの世界では、早くから経験していることだ。国内のチームに外国人が加わった歴史も短くはない。代表的なのは大相撲だ。外国人力士を加入させるなら、まず環境整備が必要で、単に「国技だ」「伝統だ」と言っている場合ではない。もちろん、外国人に迎合しろ、ということではない。しかし、昨今報道されている横綱の暴力事件とか理事選挙は問題外にしても、外国人受け入れのための環境改善がなされてきたとは決して思えない。

(5)海外で試合をする選手たちは、まず勝つことを意識するし、日程の関係からも、対戦する選手や周囲の人たちと交流する余裕はなかなか無いであろう。だとすれば、易しいことではないが、国内で試合をする選手や観客は、国際交流ということをもっと考え、実践すべきだ。学校での「国際相互理解教育」は、すべての教科を横断するような広範囲な視野に立って、実践することが望ましいのだと思う。(浅 野  博)

【私の記事に対するコメントは原則非公開扱いとさせていただきます】

11.湯川の言語観,外国語学習観(湯川秀樹の英語力-その2)

Posted on 2010年2月4日

湯川は外国語学習についてはほとんど書いていない。やっと見つけたある対談(1973)で,渡辺慧氏(理論物理学者)と外国語を知る意味のひとつについて語っている。そのままここに書きだしてみよう。英語教育の目的として学び取るべきことがあるであろう。

*1つの外国語を学ぶと第2の外国語はやさしくなる。
*私など語学は得意じゃないけれども,たとえば日本語と英語,あるいはドイツ語,それからフランス語のある種の表現,そういうものがものを考えるときにある程度入っているわけです。
*そのほかに私は子どものときに漢学というものをずいぶん習いましたから,そういう発想がほかの人よりたくさん入っていると思う。日本人だから生まれつきの日本語だけで 考えているとは限らないな。
*ちがった言語による発想がどの程度入っているか,人によってちがいますけれど,ある程度入っていないと,思想が普遍性をもたないんじゃないですか。どの特定の外国語ということは別にしましてね。
*何語でも表現できるようなものを考えるということになると,だれにでもわかるように明確に話をするようになる・・・。
*(ことばは生得的なものだというのは)チョムスキーを待つまでもなく,私もそうだと思っているんです。それがまた恐るべくフレキシブルで,日本におれば日本語,アメリカにおれば英語でしょう。・・・そういう意味で(チョムスキーも)カンティアンということ ですか。(カンティアン=カント主義の亜流。経験主義のあとをうけてアメリカで流行ってきた,ある意味でのカント哲学の観念論の信奉者。)
(村田 年)