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湯川秀樹の学習,研究,人となり

Posted on 2009年12月26日

はじめに(湯川秀樹の学習,研究,人となり)
前回は,湯川秀樹日記についてノーベル賞論文執筆に至る2年間ほどをざっと見た。何しろ日記は,前後の脈絡もなしに,ボツっと書いてあることが多く,それほどきちんとは解説できなかった。また,臨場感を持たせるために,かなりぶっきらぼうなままにしたところもある。

今回は,湯川秀樹について,本,論文,インターネット情報を少しばかり調べたので,いくつかの特徴ある面を取り上げて,私たち教員の研究と教育への示唆を与えることができればと思って書いてみた。もちろん,教員以外の方々にも何らかのヒントを提供できるはずだと思っている。
(村田 年)

(14)やがて世界から大きな反応がくる(『湯川秀樹日記』を読む ― ノーベル賞論文の発表と執筆の頃)

Posted on 2009年12月25日

★1935年11-12月カリフォルニア工科大学のアンダーソンほかによって,湯川が予言した中間子らしいものが捕まえられた。それは1937年5月12日に『フィジカル・レビュー』に発表された。日本でも,世界のあちこちでも実験で「中間子」が確認される。急に世界の物理学者が湯川に,日本の素粒子物理学に注目し始める。
(村田 年)

(13)論文に仕上げ投稿するが,反応はない(『湯川秀樹日記』を読む ― ノーベル賞論文の発表と執筆の頃)

Posted on 2009年12月24日

口頭発表の話ことばの原稿と英文原稿を同時進行で書いていたようだ。11月30日にはタイプライターで打ち始め,タイプはあまり上手ではないらしく,毎日暇を見つけては打ち続ける。推察するに論文審査は手書き原稿で受けたようだ。12月8日にタイプで打った原稿を学会に送っている。タイトルはOn the Interaction of Elementary Particles I(素粒子の相互作用についてI )1月14日に初校を送り返し,21日に再考を航空便で学会(東大)へ送り返している。

*2月5日 「別刷来る。教室内の人々に寄贈。」
1935年2月5日に論文の別刷が届き,阪大の物理学教室のみなさんに配り,ついで京都大学のみなさんに配り,海外の同学のひとりひとりに航空便で送ったことと推察される。世界のトップレベルの研究者の賛同は得られず,ほとんど反応はなかったという。
★この論文が湯川の初めての論文であり,ノーベル賞受賞につながる中間子論第1論文である。
(村田 年)

(12)研究発表は不評(『湯川秀樹日記』を読む ― ノーベル賞論文の発表と執筆の頃)

Posted on 2009年12月23日

11月17日 「数物は一時半開会。五時前,小生講演。六時前に終る。仁科さんの激励あり。」
湯川は話すようにきちんと書いてきた原稿を,小さな声で淡々と読み上げる。質問もなく,盛り上がりのない講演だった。ぼそぼそと読み上げるだけで,何を言っているのかわからない,といった陰口が聞こえ,肯定的な雰囲気ではなかったようだ。

理研のひとたちには前もって簡単に内容の説明をした。仁科,朝永を初め理研のメンバーは,未知の粒子の存在を予測するというアイディアはおもしろいが,その大胆さと斬新さにはついていけないという反応であった。しかし仁科先生はそういう新しい粒子が宇宙線内で見つかれば面白くなるね,と非常に興味を示された。
(★これがノーベル賞受賞となる中間子論第1論文になる。)

新橋で朝永,小林両名に金ぷらを御馳走になり,夜汽車に乗り,翌朝大阪に着く。帰ってみると,相変らず長男の春ちゃんは下痢が治っていない。午後は散髪に行ってから昼寝をする。
(村田 年)

(11)研究発表に上京する(『湯川秀樹日記』を読む ― ノーベル賞論文の発表と執筆の頃)

Posted on 2009年12月22日

*11月10日 「(発信)数学物理学会」
日本数学物理学会の常会(例会)に研究発表を申し込む。
*11月13日 「明日出発。数物講演に決定。. . . 昼過,切符を買いに行く。」
13日に発表受けつけたとの返事をもらい,次の日に出発することにし,切符を買いに行く。あわただしい。14日早朝に大阪を出て午後に東京に着き,ホテルに荷物を置いて,夕刻の理研(理科学研究所)の打合せに出席する。15日は午前中理研に行き,午後は横浜へ行く。理研のトップレベルの仲間たち,また,ここでしか見られない実験装置,湯川の心は弾んだことであろう。

*11月16日 「九時過,理研へ行く。」
理研の友達と午前中は安孫子まで行って手賀沼で渡し船に乗って遊ぶ。みんなで弁当を食べ,上野に戻って別れる。ひとりで銀座に行き,歌舞伎座で「ひらがな盛衰記」を観る。外に出て夕食を取ってから,さらに「勧進帳」を観てホテルに帰る。
(村田 年)