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浅野:英語教育批評:「テレビ番組から学ぶ英語教育」のこと

Posted on 2009年12月21日

(1)良いテレビ番組があることを認めながらも、質の凋落の止まらない民放の番組から学ぼうと私が言うのだから、十分に皮肉を込めての言い方である。以前、NHKは「皆様のNHK」などと言っていたが、強制的に視聴料を取っておいて「皆様の」もないだろう批判があって止めたようだ。民放は無料だから、もっと傲慢だ。しかも、最近はスポンサーをインターネットなどに取られて景気が悪い。「貧すれば鈍する」でますます質が悪くなっていると私は思う。
(2)まず気になるのは、デジタル化で編集がしやすくなったために、やたらと映像を小出しにすることである。授業でも、ヒントとして内容を少しずつ示すことはあるが、復習か、導入か、展開かなどをはっきりさせなければ、効果は期待できない。しかも、「続きは来週」などと言ったら、学習意欲は消滅してしまう。
(3)民放の番組にCM があるのはやむを得ないが、その入れ方が問題だ。視聴率の稼げるクイズ番組など、いざ「正答」という段階で CM を入れる例が多い。熱心な視聴者ほど正答を考えるのに夢中で、そんなCM など見ていないであろう。授業でも、問題を出していざ正答の確認という段階で、関係のない話題になったら、注意力が散漫になって能率が上がらなくなる。
(4)「面白くなければテレビでない」という宣伝文句を売り物にした放送局があったが、何でも面白くすればよいというものではない。しかも、やたらと笑い声を入れる番組が多い。またドラマやバラエティ番組の制作過程における出演者の失敗を集めて笑わせる“お手軽”番組がある。これは「いじめ」の見本だ。もし教室で、教師が答案を返却しながら、珍答や誤答を実名で発表したらどうなるであろうか。そういう悪例を示していることを番組制作者は認識すべきだ。
(5)テレビは不特定多数の視聴者を相手にしている。一方、授業は非常に限定された状況で、一人の教師が30~40名の生徒に対応する(最近は複数の教師が当たることもある)。テレビはどういう映像を送り出すかは、視聴率を基準にするから、例えばゴルフの中継では、上位の選手よりも、人気のある最下位に近い一人のスターを追いかける。もしも、教室で教師がえこひいきして、特定の生徒ばかり相手にしたら、他の生徒は犠牲者となるのは当然であろう。教師はこんなことを意識しながらテレビを見れば、反面教師にもならないテレビ番組からも学べることがあることを知ることができよう。(浅 野 博)

(10)論文を書き始める(『湯川秀樹日記』を読む ― ノーベル賞論文の発表と執筆の頃)

Posted on 2009年12月21日

*11月1日 日記では言及されていないが,この日手書きで英文論文を書き始める。いつも遅れ遅れの湯川にしてはすばやい開始である。妻の「早く論文を書いて」といった願い,主任教授からの「まだ論文が1遍もないではないか」といったお叱り,先を越されてしまっては,との恐れなどが作用したのであろう。

*11月5日 「午後4時より,浅田さんところの談話会。小生,沢田両氏。」
聞いてくれる人がある限り話す,といった態度のようだ。当時原子核内の粒子の力関係について,よくわかる人は仁科芳雄,朝永振一郎,坂田昌一ぐらいしかいなかったのではないかと思われるが,何かコメントを求めて,あるいは自身の論理を確認していたのかも知れない。
(村田 年)

(9)自説をみんなに話して確かめる(『湯川秀樹日記』を読む ― ノーベル賞論文の発表と執筆の頃)

Posted on 2009年12月20日

*10月 9日 「γ’rayについて考える。」
*10月10日 「γ’rayの考えを坂田君に話す。」
*10月11日 「γ’rayの話,菊池さん等と話合ふ。」
*10月12日 「登校,相変わらずγ’rayのことを坂田君と議論する。」

γ’ray(ガンマ・プライム・レイ;日本語流に読めば,ガンマ・ダッシュ・レイ)。ガンマ・レイは光子(こうし)。光を粒子と見たときの粒子,すなわち電子。ダッシュをつけて,「光子まがいのもの,光子に準ずるもの」という意味か。このダッシュに新しい粒子という意味を込めたのであろう。

このとき,のちに「湯川ポテンシャル」と名づけられる「核力の式」と「クライン・ゴルドン波動方程式」が初めて湯川によって結びつけられた。そのあとの分析・計算は友人である朝永に送ってもらった詳しいメモが役立つのである。★これで(ノーベル賞論文になるはずの)論文の骨格はできあがる。
(村田 年)

(8)悩む,迷う(『湯川秀樹日記』を読む ― ノーベル賞論文の発表と執筆の頃)

Posted on 2009年12月19日

*6月2日 「午後コロキウム,湯川,ニュートリノ」
ここで湯川は,フェルミの一連のベータ崩壊の理論を解説・検討し,自説の新たな粒子導入の可能性を説いたのではないかと思われる。

湯川と同じく新粒子導入の論文がロシアの研究者から発表された。しかし,結論は否定的なものであった。湯川はこれによってかえって元気を得て,新たな目が開かれた。

それからも考えては行き詰まる,また考える. . . これを繰り返して数ヶ月が過ぎ,10月になってしまった。また先を越されてはという恐怖に悩まされるが,どうしようもない。
(村田 年)

(7)問題点は絞られる(『湯川秀樹日記』を読む ― ノーベル賞論文の発表と執筆の頃)

Posted on 2009年12月18日

*5月6日 「七時半起床。Fermi Neutrino を読む。」
*5月9日 「Neutrino 問題を考究。」
*5月31日 「四面楚歌,奮起せよ。」
続いて,フェルミのベータ線放出理論の論文を読み,一瞬先を越されたかと湯川は思った。しかし,よく検討してみると,まだ自説の入る余地はあると思い直した。湯川は悩む。核力の場に付随する粒子を,既知の素粒子の中にさがし求めることはやめよう。核力の場の性格を追及してゆけば,それにふさわしい新粒子の性質もきまるであろうと決心する。(★これがやがてそのままノーベル賞論文につながっていく。)

が,しかし,世界の学会の大勢は既知の素粒子だけで説明し尽そうとしている。それからさらに,考えては行き詰まる,また考える. . . 湯川は考えに集中すると部屋の中を歩き回る。ぶつぶつ言う。考えてはまた最初に戻るのを繰り返すのだった。
(村田 年)