言語情報ブログ 語学教育を考える

浅野式現代でたらめ用語辞典(再開その30)(ビットコイン)

Posted on 2014年3月20日

仮想の金銭の取引なので、以前から危ぶむ声が聞かれましたが、ついに、取引所が破綻する事態になりました。

 

知ったかぶり老人:何?ピットコインか?ピット(pit)には“落とし穴”という意味もあるな。危険なもんじゃよ。え?“ビットコイン”?ビット(bit)は“少量”だ。うまい話には少額でも乗らんことだな。

 

中学生ギャル:うちの母ちゃん、「ビットマネーで儲けておけばよかった」なんて言ってるよ。ケータイ電話さえまごまごするのにさ。「仮想のお金だよ」って教えても、「“欽チャンの仮装大賞”にそんなのあったかね」なんて言っている。

 

真面目女子大生:ネット上で自由に取引出来たので、とても人気がありました。でも、3月1日頃には、「取引所が破綻」と大きく報じられて、「ビットコインは通貨ではなく、“もの”として扱う」と政府も言明したので、大騒ぎになりました。でも、インターネットを法律が追いかけるようでは、被害者は尽きないでしょうね。(この回終り)

「『英語教育』誌(大修館書店)批評」(その7)(「新学年を迎える」と「英語外部試験」)

Posted on 2014年3月19日

(1)「英語教育」誌(大修館書店)の2014年4月号の特集は、第1特集「新学期 まずは目の前の生徒を把握したい」と第2特集「英語外部試験の実態に迫る」の2編になっています。最初から表現の揚げ足を取るようですが、第1特集では、“新学期”ではなくて、“新学年”と言うべきでしょう。“新学年”>“新学期”の関係にあるのですから。

 

(2)第1特集の最初の記事は、静 哲人(大東文化大)「新学期・目の前の生徒の現状を理解するために」ですが、新学年を迎えた生徒を理解することが必要なことは分かります。ただし、「まず生徒に一斉の “read and look up” をやらせて、その音声を聞き、口元を観察するとよい」という趣旨の提案には首を傾げたくなりました。なぜ“一斉に”なのでしょうか?個々の生徒がどういうことを教わってきて、何が出来るのか、出来ないのかを知ることが大事だと私は思ったからです。静氏が細かい指導法を説けば説くほど、「自分の生徒の場合と違っている」と感じる教員は増えるのではないかと思いました。

 

(3)2番目の記事は、大鐘 雅勝(千葉市立花園中)「『自己紹介アンケート』で把握する」です。アンケートに答えてもらうのは1つの方法だとは思いますが、この記事のように、小学校の英語学習歴は、5年生からが26名、4年生からが1名、などと細かく報告されても、「そういう例もあるであろうが、私のクラスの場合は違う」ということになってしまえば、あまり役に立たない資料になってしまうのではないでしょうか?

 

(4)高校1年生の場合ならば、“When did you start learning English?” のように、英語そのものの復習を兼ねて、個々の生徒に尋ねてみる方法もあると私は思います。時間がかかり過ぎる場合は、用紙に書かせて提出させればよいでしょう。とにかく英語の指導時間は不足しがちなのが一般的な実情ですから、自分の生徒とあまり違う資料を詳しく示されても、参考にならないことが多いのではないかと私は思いました。

 

(5)他の記事も着眼点は良くても、「自分の生徒には合わない」と感じる場合が多いのではないかと思いました。コラムを含めて9編の記事がありますが、「生徒・学生を知るための方法論」は、中学の場合、高校の場合、大学の場合と3つもあれば十分で、細かい留意点を説けば説くほど役に立たない記事になってしまうことを心配しました。編集者にもこの点にもっと配慮をして欲しかったと思いました。

 

(6)第2特集「英語外部試験の実態に迫る」については、私は、誰かがTOEFL の作成本部にでも潜入して、その秘密を暴くのだろうかと期待してしまいました。記事としては2編だけで、“受験の手引き”のようなものでしたので、がっかりしてしまいました。まさに “be disappointed”(がっかりさせられている) 状態でした。奇抜なタイトルで読者を引き付けるのは、芸能週刊誌にでもまかせておけばよいでしょう。

 

(7)ところで、この号の「英語教育時評」は、持田 清氏(四天王寺大)によるもので、SET(Super English Teacher)という制度を紹介しています。これは大阪府が始めているもので、特に優れた英語教員を採用しようとする制度だそうです。私は初めて知りました。しかし、人格的に立派で、かつTOEFL で100点以上の優秀教員を3年間だけ採用するような制度は大きな問題があることを持田氏は指摘しています。私も全く同感です。それと、英語教育の専門雑誌であっても、制度から生じる政治的な問題には常に批判的な姿勢を持つことが大事なことだと思います。(この回終り)

「日英語ことばのエッセー」(その7)(“言語習得の常識”とは?)

Posted on 2014年3月4日

(1)今回は、白畑知彦(静岡大)編著『英語習得の「常識」「非常識」―第二言語習得研究からの検証』という書物(大修館書店、2004)を参考にしながら、英語教育の問題を考えてみることにします。なお上記の書物には、若林 茂則(中央大)、須田 孝司(仙台電波高専)の両氏も著者として参加しています。職名は本の発行時のものです。

 

(2)この書物は、A5版、179ページのもので、参考点を挙げるだけでも数が多過ぎますから、今回は私の主観で、最初のほうから少し選ばせてもらうことにします。白幡氏は、「はじめに」のタイトルに「あやふやな説にだまされないために」と付言して、そういう例として、「たいていの日本人は英語を学ぶとき左脳で学ぼうとします。でも言葉は本来右脳で学ぶもの」(原文のまま)を示しています。これは、英語教育関係の雑誌の広告にあったキャッチコピーとのことです。

 

(3)英語を学ぶ、または学ばせられる中学生は、右脳か左脳かを意識することはないでしょうし、「英語を学ぶためには右脳を使え」と言うような教師の例も私は知りません。一般的に言って、意識しにくい脳の働きなどは、専門家に言われると、「そんなものか」と思う程度のことはあると思います。女性のよく試みるダイエットにしても、いろいろな説があるものですから、実践する女性は悩むことが多いようです。言葉の問題に似た点があります。

 

(4)余談はさておき、本題は「英語習得」のことです。本書では、第1章として、「母語習得について考える」として「母語は模倣によって習得するのか?」という問題を取り上げています。「幼児は親や周囲の大人たちの言葉を真似して覚える」というのは、かなり広く信じられていることであろうと推測できます。

 

(5)私は、まず“聞き取る能力”と、“発話する能力”は分けて考えるべきだと思います。そしてこの原則は、外国語(異言語)の学習の場合にも共通点があると思います。特に最近強調される「早くから英語を話せるようにしよう」というのは、“間違った説”だと考えるべきです。白畑氏は、英語を母語とする幼児の言語的発達段階を紹介(p. 5)していて、模倣によって発話出来る部分は非常に限られていると述べています。そして結論的には、「母語(の文法)習得の完成時は世界共通」として、この習得は5、6才で完成し、知能指数や一般学力の指数とは関係ないとも述べています(P. 6)。

 

(6)常識的に考えても、幼児の周囲の大人たちが常に“文法的に正しい文”を話しているとは限らないことは容易に想像出来ます。それなのに、幼児が母語をかなりの程度正確に習得出来るのはなぜであろうか?というのは、自分の子を育てたり、周囲の幼児をよく観察したりしている大人には自然に生じてくる疑問であろうと思います。そこで、白畑氏の書物では、「生まれつき備わっている言語習得能力があるのか?」という問題を検証しています(p. 11)。

日本語の例では、a.「太郎はテレビを見たい。」、b.「太郎はテレビが見たい。」を示していて、日本語話者はどちらも正しい文と認識するが、a.「健は旅行の日程を決めている。」、b.「健は旅行の日程が決めている。」となると、b.は不適格な文だと分かる、というわけです。

 

(7)しかしながら、私は、こういう不適格な日本語は、学問的研究の成果に関係なく、広く使われていると思わざるを得ません。特にひどいのは、国会の中継で耳にする議員たちのでたらめな日本語です。敬語の間違いは別としても、「今の答弁は私の質問を答えていません」とか、「予定を変えると言いながら、実際は予定を変わっていないではないですか」のような間違いは枚挙にいとまがないほどです。英語教育に限らず、日本語の教育も見直さなければならないのが現状であろうと思います。

 

(8)見方によっては、文法的に不適格な文でも、通じ合えるというのが日本文化であって、そういう“おおらかさ”を大事にすべきではないか、という見解もありますが、私は同意出来ません。学校教育の基本問題に関わることだからです。したがって、この問題は、今後も考え続けるつもりです。(この回終り)

浅野式現代でたらめ用語辞典(再開その29)

Posted on 2014年2月26日

「一期一会」は、16世紀頃に、茶道から生まれた古い言葉ですが、最近もよく使われます。それだけに、あまり意味を考えずに、自己流に使う人も少なくないようです。

 

知ったかぶり老人:“イチゴイチエ”(苺一枝)か?それはな、苺というものは、ヒトエダ(一枝)に1つしか実がつかんな。そのことを表した言葉じゃよ。うまい苺を食いたいなあ!

 

中学生ギャル:今度の校内マラソンでは、1位になってみせるよ。ずいぶん練習もしたからね。母ちゃんは私のことバカにして、「お前なんか1位になれっこないよ。それよりもっと勉強しなさい」なんて言うんだ。私は来年卒業だし、最後のチャンス、イチゴイチエだから頑張るよ。

 

真面目女子大生:言葉というものは、普及するほどに誤用も多くなりますから用心する必要があります。茶道の利休の弟子が、“一生に一度の機会”という意味で使った言葉とされています。ですから、上の中学生の遣い方も間違いではないでしょう。ただし、学校ではこの言葉の由来や正しい意味を教えて欲しいと思います。ちなみに、NHK ラジオの「深夜便」では、歌手の田川寿美が、2月の歌として「一期一会」という歌を歌っています。(この回終り)

「『英語教育』誌(大修館書店)批評」(その6)(英語辞書を愉しむ)

Posted on 2014年2月17日

(1)「英語教育」誌(大修館書店)の2014年3月号の特集は、「英語辞書を愉しむ」です。私は、この特集記事を一読して、今回は“批評”にはならないと思いました。その理由は、次の通りです。

 

(2)「愉しむ」というのは、“各個人の好み”に関することで、他人の好みに口出しすべきではないのが原則だと思います。子供がコンピュータゲームが大好きで、勉強をおろそかにしていたならば、親は、「好きなことばかりしていないで、勉強をしなさい」と叱る権利はあるでしょう。

 

(3)今回の特集の記事は、立派な肩書がある執筆者が、「自分はこういうふうに好きな辞典のことを考えている」と書いているのですから、批判する余地はないと私は考えたのです。また、歴史的に先達の英語辞書に関する記事を紹介しているものもありますが、それがどのくらい事実に忠実に書いているかは、今の私には確認する余裕はありません。ですから、間違いはないと信じています。

 

(4)このように言うと、今回の特集にけちをつけているようですが、英語教員としては、特集の記事のような内容は、「知らないよりは知っていたほうが良い」ことは認めます。ただし、毎日の授業で、英和辞典の引き方や読み方を教えるのに苦労している英語教員にとっては、あまり身近な問題とは思えないのではないでしょうか。このことは、2011年12月号の特集「英和・和英辞典の今~進化を探る~」についても私が書いたことで、拙著『浅野博のブログ放談』(リーベル出版、2013)に再録してあります。

 

(5)最初の記事は、江利川 春雄(和歌山大)「日本の英語辞書を築いた巨匠たち」ですが、斎藤 秀三郎(1866-1929)の “idiomology” の研究を紹介しています。この語は斎藤氏の造語ですが、ウェブスターの辞書には、”the study of idiom” と紹介されているとも書いてあります。

 

(6)私的なことですが、私は旧制中学の1年生の頃(1942)に、五歳上の兄が、『熟語本位英和中辞典』(豊田 實改訂増補版)を持っていたので、時々引いてみたことがあります。この記事にも紹介してありますが、”Mind your own business.” には、「己が頭の蠅を追へ」とあって、私は、英語を学ぶためには日本語をもっと一生懸命に勉強しないとダメだと思ったものでした。

 

(7)私がブログで度々書いていますように、最近の評論家や政治家は、立派な日本語があるのに、わざわざ発音のおかしい英語を使って、いかにも物知りであるような態度を取る人物が多過ぎるように思います。そういうことを批判する記事も欲しくなりました。歴史上の業績に学ぶのであれば、その業績がどう現代と関わっているか、現代の教育の諸問題解決にどう役立てるかに触れても良かったのではないでしょうか?

 

(8)英語教育の観点から言えば、単に古いことを教えればいいのではなくて、それが現在とどう関係しているかに触れるべきでしょう。それが、全ての記事に必要だとは言いませんが、一編くらいは、「英和辞書の先達と現代の英語教育」といった記事が欲しいと私は思いました。(この回終り)