「『英語教育』誌(大修館書店)批評」(その4)(英語教育の現状)
(1)「英語教育」誌(大修館書店)の2014年1月号の特集は、「日本の英語教育は今どうなっているのか」です。英語教育に関心のある人であれば、一番知りたいことでしょうから、時宜を得た特集だと思いました。冒頭の大谷 泰照(大阪大学名誉教授)「日本人と『英語』との距離―言語教育のあり方を考える前に」は大局的な観点からの記事と思ったので、2番目の金谷 憲(元東京学芸大学)「英語教育をめぐる議論を整理する―正しい理解のために」をまず読んでみました。
(2)金谷氏は、「英語教育」という複雑な営みは、それぞれの人が自分の立場から見ることが多いので、正確な見方が出来にくいことを指摘しています。私もこの点は同感で、特に政治家や官僚たちは、「最初に結論あり」という自分たちの立場だけから英語教育に口を出す傾向があります。
(3)それでは、“正しい見方”というのは、どういうものでしょうか。金谷氏は例として、「英語の授業は英語で行う」という文科省の方針を取り上げて、これについても、様々な見方と考え方があることを指摘しています(p. 14~)。極端な場合は、英語ばかりの授業から、全く英語を使わない日本語だけの授業まで存在するとしています。
(4)私は持論として、外国語を話すことは、日常的に行う環境に居ないと、すぐに衰える能力だと考えています(少数の天才的な人は存在しますが)。したがって、中学や高校で(小学校を加えても)、週に5時間程度の英語だけの授業があっても、「話すこと」にはほとんど効果は無いと信じています。金谷氏も結論的に、小学校では結構楽しく学んでいるのに、「中学へ行くと文法ばかりでつまらない」という生徒の間違ったイメージが強調されてしまう傾向を指摘しています。そして、今後は十分に時間をかけて、アイディアを出し合い、同僚や保護者の誤解などを解く努力をすべきだ、つまり「急がば回れ」だとしています。これも私は賛成します。
(5)三番目の記事は、斉田 智里(横浜国立大)「英語力はどう測るのか―テストの経年比較から分かること」です。テストの結果というのは、生徒はもとより、親も教師も関心が強いものですから、このテーマも多くの人たちが知りたいことだと思います。そして、斉田氏も指摘しているように、誤解されることの多い問題です。誤解の最大のものは、平均点だけを比較して、「日本人の英語力は弱い」とか、「国際比較でビリのほうだ」といった騒ぎになることです。
(6)テストの結果処理の方法として、「項目反応理論(IRT)」というものが、1970年頃から開発されました。ごく簡単に言えば、受験者が違ってもその結果を比較することに意味があるようにする方法論です。私は筑波大時代の同僚で、言語テストの先端的研究者であった大友 賢二教授(現名誉教授)にいろいろ教えてもらって勉強したことがあります。大友氏は後に、「日本言語テスト学会」を創設して、活発な活動を続けられました。
(7)斉田氏の記事でも、「項目反応理論」に言及していますが、私が気になったのは、「生徒の英語力を測る目的は、学習指導要領目標に照らして生徒の学習状況を把握すること」(p.18)と述べている点です。最近は「英語教育特区」という「指導要領の制限を超えた英語教育を実践している地域」があるのですから、指導要領を前提にしていたのでは、生徒の実態は掴めないと思います(英語教育特区の状況は、インターネットで検索すれば知ることが出来ます)。
(8)冒頭の大谷氏の記事も実は「学力の比較」を論じているのですが、英語力だけではなく、数学力の国際比較や、日本人が韓国語や中国語を現地で学ぶような場合の習得結果についても資料を示して考察しています。日本にいる英語教師は、生徒の英語力を考えるべきですが、時にはこうした記事を読んで、視野を広げる努力をすべきです。大谷氏の考え方について詳しく知りたい方には、『日本人にとって英語とは何か―異文化理解のあり方を問う』(大修館書店、2007)を薦めたいと思います。(この回終り)
浅野式現代でたらめ用語辞典(再開その26)
「ワイシャツ」
明治の時代から男性には馴染みのあるシャツだが、最近は日本人の器用さが評判になって、特に“鎌倉シャツ”が話題になりました。
知ったかぶり老人:“ワイシャツ”のことくらい知っているぞ。“ホワイトシャツ”がなまって“ワイシャツ”になったんじゃ。“鎌倉シャツ”?それは、男が“いざ鎌倉”という勝負の時に着るもんじゃろ。
中学生ギャル:うちの父ちゃんに「なぜ“Yシャツ”って書くの?」と聞いたら、「“Tシャツ”は普段着だ。“Yシャツ”は男の正装だ」なんて言ったよ。父ちゃんのワイシャツに口紅がついていて、母ちゃんと夫婦げんかになったことがある。父ちゃんは「それは男の勲章だ」なんて勝手なことを言ってた。
真面目女子大生:外来語をカタカナ語で表すと意味が不正確になることが多いですね。昔のワイシャツは、襟が変えられましたが、その襟を“カラー”と書くと、“色”(color/ colour)のことか“襟”(collar)のことかが分からなくなります。英語の授業では、こういう発音や綴りのことも、きちんと教えたら良いと思います。(この回終り)
「日英語ことばのエッセー」(その4)(タテマエとホンネ)
(1)増原 良彦『タテマエとホンネ』(講談社現代新書、1984)という本があります。副題には、「日本的あいまいさを分析」とあるように、日本人の発言者や聞き手に潜む心理的な“あいまいさ”を追求している書物です。
(2)今回の猪瀬東京都知事が、医療法人「徳州会」から、「無利子、無担保で五千万円を借りていた」という話も、知事自身が弁明すればするほどホンネが読めるような気がしてきます。つまり「選挙に勝つための資金だった」というのがホンネだと思うのは当然のように思えます。ただし、その真相を追求できるのは警察や検察ですが、それさえ信用出来ないという不気味な世の中になってきています。
(3)猪瀬都知事の問題についての都民の反応は、「意外と冷静」と報じているマスメディアがありました。この辺りも日本人の“あいまいさ”なのでしょう。「都知事選挙をやりなおすのは面倒だ」というのがホンネなのでしょうか? それとも、「都知事には誰がなっても同じだ」という諦めであれば、“タテマエ”と“ホンネ”の他に、“アキラメ”というのを日本人の心的態度として付け加える必要があるでしょう。
(4)日本語にはもともと“表向き”という言い方があって、『明鏡国語辞典』(大修館書店)では、「公的なこと」の他に、「世間に対して取りつくろった表面上のこと」という意味が示してあります。したがって、猪瀬知事の弁明は、正にこの後者の意味にぴったりです。
(5)増原氏の書物では、和英辞典や『広辞苑』などの日本語辞典の“タテマエ”(主義・方針)と“ホンネ”(本心から出たことば)の説明を適切ではないと指摘しています(p.11 ~)。そして、この二つの用語の問題から、「宗教と道徳の落差」、「平均人と絶対人」といった日本人論を展開しています。その内容は興味深いものですが、ここでは割愛して、今日的な政治問題を考えたいと思います。
(6)「特定秘密保護法案」が参議院の委員会で強行可決された翌日の「東京新聞」の第一面には、「民主主義の否定」「議論尽くさず、ごり押し」といった大きな活字が目立ちました。マスメディアにも「右翼系」から「左翼系」まであって当然なのかも知れませんが、私は「報道する姿勢」はまず冷静であるべきだと考えています。それぞれの新聞社や放送局の主義は、“社説”とか、“編集者のコラム”とかで、テレビであれば、特集番組を組んで問題提起をしたらいいのです。
(7)他の例で言えば、大きな地震が来ることを十数秒前に予告出来る装置がありますが、ある時はNHK の女子アナウンサーがとてもあわてた声で、「地震が来ます!テーブルの下などに身を隠してください!」と叫んでいました。これでは、聞く人の恐怖心をあおるばかりです。難しいことでしょうが、“報道者”はまず冷静であるべきなのです。
(8)ラジオの場合は、テレビの場合のように文字だけを画面に流すことが出来ませんから、放送内容を中断しなければなりません。それは仕方がないとしても、あるときは、震度5弱の地震があって、NHK ラジオの放送が40分以上も中断されたことがあります。その間、続々と被害状況が入って来るならともかく、そうではなくて、同じような内容(“震度3はどこの地域”のような)をNHK ラジオが繰り返していたことがあります。その間、TBS などの民放は通常の番組に戻っていました。
(9)非常事態には誰でもあわてるものです。しかし、報道関係者は日頃から、様々な事態を予測して訓練しておくべきでしょう。首都圏では自治体が“災害マップ”を作って公表もしています。「そんなものを公表されると、土地代が下がる」といった反対論もあるようですが、こういう場合は、個人の利害ではなく、住民全体の利害を優先させるべきでしょう。(この回終り)
(前回の補足)前回の「日英語ことばのエッセー」の(8)で私は次のように書きました。
“一億総白痴化”という造語は、評論家 大宅 壮一(1900-1970)によるものですが、その後彼は“一億総評論家時代”という言い方もしている、と小林氏の本では指摘しています(p. 29)。
この記述について、旧友の宇佐美 昇三さんから、「私の調べたところでは、大宅 壮一氏が、“一億総白痴化”と言ったという根拠は無い」旨のご指摘がありました。私は単純に『現代“死語”ノート』という書物にあったことを信じてしまったのですが、宇佐美さんは、大宅氏の書いた物を丹念に調べられて指摘されているので、信頼できるものです。ここに感謝の意と共にご紹介して、ブログの読者の方々にご了解を得たいと思います。
なお、宇佐美氏は、艦船の研究家でもあり、NHK のプロデューサーとしての長い経験と、その後上越教育大、駒沢女子大で教えた経験をお持ちです。以上
「『英語教育』誌(大修館書店)批評」(その3)
(1)「英語教育」誌(大修館書店)2013年12月号の特集は、「授業に活かす言語学」で、副題は、「文法、語彙、発音、作文、テスト作成から家庭学習まで」と大変欲張った特集です。“欲張った”というのは編集者や執筆者に失礼な言い方かも知れませんが、私は、「学習者の視点が軽視されていないか」という懸念をこの長いタイトルを見た時に抱いたのです。
(2)冒頭の記事は、大津 由起雄(明海大)「英語教師が知っておきたい言語学とは?」です。大津氏の発言は常に論理性や説得力のあるもので、私は常に敬意を感じていますが、英語教師にとって、「なぜ言語学の研究の成果が必要なのか」を丁寧に解説しています。
(3)大津氏は、言語学は、(A)ことばの普遍性、(B)英語の個別性、(C)日本語の個別性の3つについての知識を英語教師が持つことが必要なことを教えてくれるという趣旨のことを述べています。英語教師は生徒の訳した日本語がおかしいと、「そんな日本語があるか」と叱ったりしますが、その理由は説明しないことが多いように思います。センター入試の正解表だけを与えるようなもので、学習者は恐らく疑問や不満を感じていることでしょう。
(4)一方、ビジネス英語を専門に教える英語教員は、「言語学などの説く理論など現実性がない」と、もっぱら体験したことを重視する傾向があります。特に非英語圏で商売のための英語を使う立場では、学問的な理論は役に立たないのは確かでしょう。しかし、教室で教える立場ではあまり極端な態度を取ることは学習者のためにならないことも知っておくべきだと思います。
(5)今回の特集では大津氏のもの以外に、それぞれの学問分野について、9名の執筆者が書いています。全てを取り上げるのは無理ですので、その分野だけを紹介させてもらいます。①語用論、②音声学・音韻論、③語彙意味論、④応用言語学(指導編)、⑤応用言語学(学習編)⑥心理言語学、⑦社会言語学、⑧脳科学、⑨理論言語学、の9編です。このように並べますと、学術論文集のような感じがしますが、どの執筆者も「授業に活かす」という特集のテーマを意識して、教室での指導を視野に入れた解説をしています。したがって、読者は自分の関心の薄かった分野について学べることが多いと思います。
(6)私の手元に、佐久間 淳一『はじめてみよう言語学』(研究社、2007)という書物があります。本書の帯には、「『たこ焼き』が『焼きたこ』でないのはなぜだろう?」と書いてあります。この例で分かるように、本書は日本人の身近な言語問題について述べているものです。3人の人物(言語学者の先生、高校3年生の“はづき”、及び日本人の母親を持つフィンランド人“ペトリ”)の話し合いを通じて言葉の諸問題を解説している分かりやすく興味深い本です(“アマゾン”で検索すれば購入可能です)。
(7)中高生の教室では、教師は今回の特集記事や佐久間氏の本で得た知識を折に触れて話してやるといいと思います。生徒はそういう余談を期待以上に覚えてくれるものです。教師は“あまり欲張らずに”時に余談として、自分の知識を披露してやることが大切なのだと思います。(この回終り)
浅野式現代でたらめ用語辞典(再開その25)
「メニュー」
ご存知のように、料理店で客に見せる料理の一覧表。ところが見る人によって実物と違うことがある不思議なものらしい。
知ったかぶり老人:わしなんかメニューなんて要らんね。「いつものやつ」で済むよ。味も分からんくせに高級料理など食うから騙されるんだ。
中学生ギャル:珍しく両親がレストランへ連れて行ってくれた。家に帰ってテレビを見たら、その店の品物がメニューと違うと大騒ぎになっていた。それで父ちゃんと母ちゃんが喧嘩を始めて、家中の空気がおかしくなったよ。こういうのも弁償してくれるのかな?
真面目女子大生:実物を知っている料理長はメニューを読まず、メニューを読んだ店の経営者たちは実物を知らないということを暴露した事件です。こんなことを「偽装ではなく、不注意な間違い」と誤魔化そうとするなんて頭がどうかしているわね。でも、“味”というものはとても主観的なものだから、これが本物なんて言えないのではないかしら。(この回終り)